venerdì 11 aprile 2008

AMORE ANIME E FELICITA  愛とアニメ 幸せな日々

1980年代後半 イタリア メディア ウオッチ

大人の世界(日刊紙より)
「日本は世界一犯罪が少ない、強盗や殺人事件は滅多に起きない、先日の事件は駅で老人と若者が足をふんだ、いや踏まないと殴り合いの喧嘩が起きた、これが主なニュースである、先進国では考えられない治安の良さである。一方米国は、、」
「アメリカの経済政策、第二次世界大戦では米国は戦争に勝った、しかし今.日本は平和での勝利国となり米国は経済戦争で日本に大敗している」
「米国内に日本企業との提携関係を開拓して欲しいと勧誘の為に州事務所を日本にオープンして現地で嘆願している、、伊はもっと、」
「日本は経済面はジャイアントだが政治については小人であると言うのは良く知られている、米国の軍隊巨人より小人を選びたい」
「外交面はひどくさえない、、ガラスの館(国連)でも力は無い、、なのに人は毎日何か日本人が作ったものを使っている」

(後に湾岸危機が始まり、ブッシュから暗黙に「米国か日本かどっちか選べ」と迫られてどんなにイタリアの政治家や国民は悲しんだか、彼らにはそれから想像を絶する苦悩が待っていた)

子供の世界
幼児、子供、若者達はすでに20年前から日本で放映されたアニメはほとんどイタリアのTVでも見る事が出来た、特にテーマソングもイタリア語で作成したので大人気、当時既に300本以上放送されていた。毎日何処かのTV局で朝から夕方まで何かの日本アニメが放映されていた。Valeri ManeraのプロデュースでLicia Coloが紹介する子供人気番組「BIM BUM BAM」を中心に ハイジから始まりCandy Candy、マジンガー、タイガーマスク、巨人の星、銀河鉄道999、ハーロック、ベルサイユのバラ、ルパン3世、北斗の拳他にも、てんとう虫の歌、つりきち三平、マコちゃん、日本昔話、一休さん等々きりがない。と言う事は日本を非常に好きな少年少女や青年が育っていた土壌がすでに出来上がっていた。

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http://www.youtube.com/watch?v=RI3qPvtYnv0&feature=related

Il Grande Mazinga
http://www.youtube.com/watch?v=awuIl8GN7g8&feature=related

老人の世界
昔のよしみ(三国同盟はあったが、一般の人は日本人を見た事がなかった)だろうか、年配の人達は日本が戦争に(第二次世界大戦の方)負けて原爆を落とされた事を非常に悲しみ日本については何時も同情的に解釈してくれていた。有名なジャーナリストは「カミカゼ」と言う言葉を「テロリスト行為と同じに使うべきでない」とか、もっとも芸者のでる映画が好きな年代でもあった。太平洋戦争のドキュメンタリーでは「米国は良く戦いました、でも敵である日本側も非常に立派に戦い抜きましたねェ」と一言つけ加えるのを忘れなかった。真夏のTVは街に残る老人達用にサムライドラマがサービスされた。戦争中(もち湾岸戦争の方)Milanoの公園を歩いていたらベンチに座っていたおじいさんが突然「あんたが一番美しい」と怒鳴ってくれた、ありがたい事だ。

1980年前半はここに書く必要はないくらい日本の経済成長を褒めちぎり「早いスピード」「奇跡だ」の形容詞又「JAPAN AS N°1」等の出版物「日本型が大成功モデルか?」「日本に見習う」そんな言葉がニュースには溢れていた。フィレンツェ駅のホームで列車を待っていると「日本の貿易黒字が悪いッ」と文句をつけてくる全く知らない男性がいた、よっぽど腹がたつ事でもあったのだろう。(内心日本も早く2桁赤字くらいにならないかな、と待ちわびたのが懐かしい。ところで今せっかく赤字になった、何故もっと宣伝しないのかな?)TVでは「女子プロレスリング」「子ずれ狼」が人気で、毎朝会社に行く前に寄ったカフェのシニョーラは昨日見たサムライの感想を話すのが日課「昨日の見たか? 私は泣けた涙が止まらなかったよ、あーかわいそうな子 だいごろう、、」と、私は「Siそうだ Siそうだ」うなずきながらカプチィーノを飲む毎日だった。

今考えると幸せな時代だった。