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martedì 7 dicembre 2010

ATTACCO A PEARL HARBOR  真珠湾攻撃


過ぎ去る年月に風化していく戦争戦記 12月7日 真珠湾攻撃の日に思う

今年2010年12月7日は記事が見つからず、時代が自然に変わってきている。私にはさして覚えている必要があるとは思えない日。ただ日本がどうして敵国の細部情報、メンタリティー理解、さらに基本の国際政治外交情報不足で戦争に突入した背後関係の歴史分析は重要、これからも充分研究する余地があると思えます。モービーデックじゃあるまいし,何故に負けるのが明白な巨大白くじらに戦いを挑んだのか?しっかり己のミスを知っておくのも将来には得策、又情報収集がどれだけ重要かと言う事を記憶に止める日、歴史のなかでそんな風にこの日を覚えていたい。

湾岸戦争とパラレルに発生したソ連邦崩壊の時代にイタリアの大新聞に載ったパール ハーバー記事を集めてみました。書かれ方はそれぞれの記者の個性と立場で異なります。署名入りはイタリア新聞の良い点でもあるし、又短所も平行するのですが、読む人が自身で選択し判断すれば良い事で、リテラシー後慣れるとすぐ察知出来る様になります。

1991年12月4日水曜日
付      Corriere della Sera

VITTORIO VOLPI - TOKYO

Cinquant'anni dopo ancora polemiche tra Giappone e Stati Uniti

La ferita di Pearl Harbor non si è chiusa

A Tokyo ora vogliono scuse per Hiroshima

Nonostante sia passato mezzo secolo dall'inizio della Seconda gerra mondiale,USA e Giappone - i due vecchi nemici nel conflitto del Pacifico - sono piu che mai in disaccordo sull'interpretazione della storia.

La commemorazione che Bush farà sabato a Pearl Harbor, dove il 7 dicembre del '41 con un'operazione militare ardita per i tempi i giapponesi attaccarono dando inizio alla guerra del Pacifico, sia suscitando polemiche fra Tokyo e Washington.

Gli americani si aspettano delle scuse da parte dei giapponesi per aver dato avvio al conflitto e per aver attaccato senza un ultimatum e una dichiarazione di guerra. I giapponesi replicano che anche Bush dovrebbe scusarsi per le bombe atomiche su Hiroshimae Nagasaki che posero fine alla guerra. In un'intervista alla rete televisiva Abc, Bush si è adirato per la richiesta giapponese : " Truman prese una decisione dura e calcolata che risparmio la vita a milioni di cittadini americani, oltre a quella di milioni digiapponesi ".

Ad attizzare la polemica questa volta sono i politici giapponesi, che si contraddicono anche fra loro. Secondo il portavoce del ministro degli Esteri, il Parlamento sta considerando un testo di scuse per Pearl Harbor.Il portavoce ha aggiunto pero che molti giapponesi ritengono che anche gli americani debbono fare la stessa cosa. Secondo il capo della segreteria del Gabinetto, invece, i giapponesi non chiederanno scusa ma non ne faranno per Pearl Harbor: " Meglio sforzarsi per costruire una storia nuova ".

La dufferenza di posizione probabilmente troverà un punto di compromesso e tutti salmi finiranno in gloria. Ma la polemica non sembra essere solo temporanea ed emozionale. Mentre l'argomento guerra mondiale e bombe atomiche era in passato un tabu, gradatamente i giapponesi incominciano a esprimere le opinioni che fino ad ora si tenevano dentro.

Le interviste televisive di questi giorni con la gente comune confermano che Pearl Harbor è uguale a Hiroshima e Nagasaki. Anzi, per l'opinione pubblica, la guerra è il risultato di una trappola tesa da Roosevelt: il Giappone, messo alle corde dall'embargo degli alleati, non aveva scelte.

Le bombe atomiche invece, secondo il sindaco di Hiroshima, furono un atto crudele e inumano. Per il sindaco di Nagasaki gli americani le lanciarono per assicurarsi " la superiorità nel dopoguerra ".

E per Shintaro Ishihara, autore del controverso " Un Giappone che sa dire di no ", non ci sono dubbi: gli americani ricorsero alle atomiche per razzismo, non le avrebbero mai usate coi bianchi in Europa.

Per moltissimi giapponesi, dunque, le bombe atomiche sono state un inutile massacro di civili.
E nel sondaggi fatti nelle ultime settimane il 10 percento del giovani giapponesi ha dimostrato di non sapere che cosa sia stato Pearl Harbor.

( Vittorio Volpi )  



1991年12月7日土曜日付      La Repubblica

MARCO   PANARA

Il Muro caduto a Pearl Harbor

Oggi l'America celebra

http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/12/07/il-muro-caduto-pearl-harbor.html




1991年12月7日土曜日付        La Repubblica  

ENNIO  CARETTO


Il presidente alle Hawaii ricorda l'attacco

Bush a Pearl Harbor " Non c'è piu rancore"

http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/12/07/bush-pearl-harbor-non.html




そして年月が経ち、通常イタリアメディアで書かれているのは「米国は事前に攻撃を知っていた」と言う記事が多数でした、、が、、この年は米国に都合良いこんな意見も、

2001年6月2日 ENNIO CARETTO 記者が書く真珠湾攻撃の真実?
Corriere della Sera

ルーズベルト大統領は事前に日本軍の真珠湾攻撃を知っていたか?

" Il giorno dell'infamia "

Presidente D. Roosevelt seppe in anticipo dei piani di attacco del Giappone a Pearl Habor?
 
http://archiviostorico.corriere.it/2001/giugno/02/PEARL_HARBOR_giorni_del_dubbio_co_0_0106026663.shtml
(この記事も日付に注意、後の状況補正用の気配もありSchlesinger氏の立場も解りますが、史実は彼をも飲み込むでしょう)


2010年現在のWikipedia より

ウィキペディアイタリア版に記載された詳しい真珠湾攻撃、これが全部正確かどうか確定出来る軍事知識が私には無いのですが、ウィキペディアに対する分析もそれが書かれた背景を承知しておけば、何が事実で何が追加され膨らました情報かの広報用細工が何とか読みとれそう

ウィキぺディア米国側で作成した真珠湾攻撃
http://en.wikipedia.org/wiki/Attack_on_Pearl_Harbor


ウィキぺディア、イタリア語版真珠湾攻撃
http://it.wikipedia.org/wiki/Attacco_di_Pearl_Harbor

分析 : 例 :米国の被害死亡者数 軍人2345人、市民1270人は今年12月7日で57人に修正

これを例にとって書こうと思って用意してたのですが、数週間違いで書き直しの修正が入り残念ながら、批判する良い例ではなくなりました。12月7日以前までは民間人が1270人も死亡したと記入してあり、これはおかしい細工だな?と常に思っていたのです。

特に2001年にハリウッド映画パールハーバーがロードショウ。大々的にシャンゼリゼクレメンソー地下鉄駅に民間人が爆撃されそうなアングルの大ポスターがずらーっと連結して貼られていました。上り下りのプラットホームいっぱい埋め尽くされて、、ちなみにこの駅の隣はコンコルド駅で米国大使館があります。もーすでにカンの良い人ならピーンとくるでしょう。『米国市民がこんなに犠牲になった』と、わめきたかった様です(視覚的説得法のイメージ戦略)何年もこの米国の政府広報態度は変化していません。もっともこの後で例の9月11日大事件が起きます、この映画は事前戦争準備の気がしないでも?多角面で大衆操作、上手に計算していますねー


ウィキぺディア日本語版で作成した真珠湾攻撃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83

分析 :例 : 米国の被害死亡者数 軍人2345人、市民57人

『なお、1939年9月のドイツとソビエト連邦によるポーランドへの攻撃は、完全に宣戦布告が行なわれなかったにもかかわらず、このように喧伝されることはなかった』

この日本側作成部分に上記の文がありました、とても大切な分析です。

さらに私にとっても歴史上の日本で行われた戦国史の戦の中にはどんなに沢山の奇襲戦があった事でしょう、そこで繰り返し『長い日本史の事実上、正常な戦の重要なテクニックの一つであった』と強く主張するのも日本側として重要な活動と思えます。米国が何十年と泡吹いて『悪しき日本 !! 』と叫んできたのですから(それも偽事実)これに対抗するには日本は事実を書き、真実を広範囲に強く語っていくのが一番良い対抗術では?


全く別次元のWikiLeaksにも、この先同様に他のサイトに移動した時にどこまで追加の細工がくっついているか、よく見極める必要が出て来る日も近い、読む人が比較分析して独自に判断していく事になるのでしょう。

時が流れ、次第に真実が現れてきた、歴史は繰り返し、長い何千年の歴史を重ねる日本には何時か真実は何処からか出現する事を経験から知り、隠しても10年後、50年後、100年後、200年後には、真実のシッポのかけらが何処かで現れる、と。


これから沢山の真実裏情報や機密文書が氾濫する時代が来そうですが、日本の弱点である他国の多角面での状況分析とメンタリティ研究の力が何より大切な時代に入っていくので(情報分析、ジャーナリズムとジャーナリストや人の強化等)このあたりの事をしつこく、このブログでも書き続けていきたいと思います。

lunedì 26 aprile 2010

SONO UN GIAPPONESE E MI RIBELLO ある日本人の反逆

1991年10月10日木曜日付          La  Repubblica

MARCO  PANARA 記者  東京特派員

Sono un giapponese e mi ribello
僕は日本人だが反逆する。

Si chiama Akio Koiso. E' stato per trent'anni impiegato in un colosso bancario, ora al centro di
uno scandalo. Ha raccontato le magagne del suo paese in un libro.
名はこいそあきおと言う。大銀行に30年勤めた銀行員である、今スキャンダルの中心にいて、彼の本はこの国の欠陥を物語っている。

下がマルコ記者の書いた全文サイトです
http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/10/10/sono-un-giapponese-mi-ribello.html

*******

この記事は今まで日本人の良い面や可笑しい事だけ書かれていたイタリアメディアに初めてと言えるくらい、複雑な社会関係、日本社会の人間関係の中にある冷たい意地の悪い欠点があるのを隠さずに書いてあります。

冷たい非人間的な社会に変貌してしまった日本社会の現状がなるべくイタリア人に理解し易く書かれています。デリケートな事柄なので結構な文章力と説得術が必要ですがマルコ記者はベテランらしく上手に説明しながらペンを進めます。現代の日本のサラリーマン生活(職場のいじめ等)の欠陥や難しい人間関係を彼 Koiso Akio の著作に書かれた人生を例にとり解き明かしてくれます。何故イタリア人には理解するのが難しいかと言えば彼らは人間関係が非情に温かく、誰も厳しく働く心情は持っていません、人間的で完璧主義ではない血が通っているのが良い面でも悪くてもイタリア社会とその人間関係です。勿論そのおかげで欠点も多いのが伊社会ですが、この記事にある日本社会はとても理解しにくいのがイタリア人の自然な気持ちです。

記事内のベストセラー本 
小磯彰夫
著1991年『富士銀行』 晩聲社1300円富士銀行行員の記録
(こいそ あきお1942年満州チチハル生まれ1960年富士銀行に入行)

現在の小磯彰夫氏のサイト 誇り高き平社員とその友の会
http://homepage1.nifty.com/koiso-hiraken/sub2.html

現在はイタリアヤングの間では、日本人や日本社会にある冷たさが、ブログやサイトでさかんに討論されています。日本人の人間関係にスキンシップが少ないのも若いイタリア人には驚きの様です。イタリアの人達が日本に憧れて訪ねた後、表面と違って以外と冷たくて自分の意見が無い日本人にびっくりして帰ってきます。又日本人がイタリアを訪ねてその美しさや人なつっこい愛嬌に驚き、反面治安の悪さ(スリ、かっぱらい、泥棒)にあきれて日本に帰ってくるのと似ています。実質的な被害は日本人の方が大きいかな?

当時は連日のようにマルコ記者の東京特派員報告がラ レプッブリカ紙に載ります。これもそのうちの一つで全文を打ち込もうと思っていたところ、けっこう長いのでふっと同紙のアーカイブサーチを探してみたら、ちゃんとありました !!!  助かった〜 このブログを始めた頃は2008年ですが、同紙のサーチエンジンに出てこなかったマルコの細かい記事が今は入っているので嬉しい。ラレプッブリカ紙のこのサイトアーカイブの編集スタッフと長期マラソンしているみたい、私の方がボ〜と うろうろ悩んでいるうちに先を追い越された様です。

Koiso Akioが語る彼の人生のなかに父親がシベリア抑留から帰るヶ所が出て来ます。イタリア人が初めて知ったスターリンが行った日本兵への残酷な収容所列島の一面です。参考までに日本兵シベリア抑留のサイトを調べた時に見つけて感動したのでここに貼付けします。

日本兵のシベリア抑留サイト
http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm

と言うのは、イタリア人の若者達も大勢ロシアに戦いに出て行ったというか、ファシスト政権により送られました。日本と似て大多数は行方不明兵となっていました、が、湾岸戦争の当時日本の海部首相がゴルバチョフからロシアでの日本兵埋葬死者名簿を受け取った時のVideoが伊TVのニュースに流れた瞬間、イタリア全国のロシアに送られたらしい行方不明兵士の身内の人々は「あっ !! 」と叫んだのです。「我らの行方不明のイタリア兵リストも !! 」と共通の苦しい哀しい過去を思い起しました。

現在のイタリアでは誰にも顧みられないファシスト政府下の兵隊達です。これは日本と似ていて極端に悲しい現実です。特に現代の若い人達や特に左翼知識人と自負する層が激しく拒否反応を示します。反対にど田舎のおじいちゃんの方が60年後の自然な反応が返ってきます。これは私が日本人だからその反応に長い間隠していたものを感じ、早く言えば日本人にたいしては正直な感想を語ってくれるのかもしれません。イタリアの田舎の町を訪ねると必ず無名戦死の記念碑があり、近くの村や町の兵隊達で故郷に生還出来なかった人達の名前が刻まれてあるのも多くあります。

ミラノに住んでいた時のアパートの隣のお婆ちゃんが当時を思い出しながら語ります「この近くにあるトリポリ広場には戦争直後には元ファシスト兵やファシズム協力者達の死体が山のようにつみ重ねてほったらかしてあったんだよ」戦後に勝者になったパルチザンや共産党員や連合軍協力者達は「アパートにかたっぱしから入ってきてファシスト達を隠してないか探し回ってね〜」「見つけてどうしたの?」「殺したんだよ」「どうして〜? 戦争は終わってたんでしょう〜」「復讐からさ」「........ 」

この話しからロレート広場でムッソリーニと愛人クララ ペタッチが殺された後、逆さ吊り(現在のスーパーマーケットUPIMの建物を建築中のために出ていた工事棒)に引っかけられた現実の群集心理が推察可能です。この事から いかに国民が苦しめられたか、と同時にグロテスクな民衆の復讐心が見えます。確かにファシスト政権下の憲兵はいばっていたようで、私も今の憲兵(カラビニエリ)はポリスと同業でユニホームが違うだけですが、ただ国民に仕える精神が無くファシスト当時と同じ傲慢さがあるんじゃないかと疑ってます。

日本の人達はそのあたりのあんばいが良く解って無い人が多く、大きな声で(今)イタリア人の前で三国同盟の話を出しますが、これは要注意が必要です。会社での関係者とかの公の会食等では特に、はっきり言って話題にしない方が賢明です。歴史上には確かに存在した事なのですが、今のイタリアでは受け取り方が違うのです。まあ誰も全体主義者にはなりたくないのは確かですが、

当時ロシアに送り込まれたイタリア兵は戦で死んだのではなく、寒さと飢えから死んだのがほとんどで私から見ると可哀想な兵隊なのです。田舎にいて右も左も判断できない素朴な男達もいたわけです。皆が聡明で本を読んでいたわけでなく、イタリアの為に少し目覚めたお百姓さんや山の中の人達、田舎職人の青年達に国家社会主義(ファシスト党-全体主義的)政府の政策が正しいものかどうか判断する知識が当時あったのか? 何か残酷な気がします。ダヌンツィオの様な詩人や芸術家がいて戦争讃歌をしてましたし、私には左翼思想もファシスト国家社会主義思想も区別つかずわけのわからないまま戦争に駆り出された若者が沢山いたと想像します。

ロシアに抑留されたイタリア兵捕虜( 古修道院SUZDAL強制収容所-Prigione di Suzdal)
http://www.youtube.com/watch?v=UN_i5d4cTkQ&feature=related

今のジャーナリストや知識人は「いや当時の若者達は政治思想は良く解っていたはずだ」と非難します。私にはどうもね〜 今でさえあまり政治思想が解ってない若者で解ったふりをする人達が沢山いる伊社会で、70年前なら余計に政治や国際知識などとは、ほど遠かった若者達がいたと思えるのです。今みたいにインテリ風の頭でっかちばかりではありません、昨日まで羊を追ったり、漁師やトマト狩りをしていた人達です。その意味で今のイタリア社会は彼らに冷たい。素朴に自分の国のために、と単純に考えて、ロシアまで行かされて凍え果てたのでしょう。日本兵も戦闘より飢え死にした%の方がずっと多い。戦死者には声が無いので残念ですが、どの国でもどんな時代でも喜んで飢え死にする人(兵)がいるとは思えません。

今イタリアでも日本でも人々は皆自分は「民主主義的だ」「自由だ」と大声で宣言しますが、歴史を考える時には、もう少し寛大さも欲しいなあ〜 と つい ぶつぶつ考えてしまいます。

sabato 14 febbraio 2009

SCUOLA PER SPOSI 花婿学校


リアルタイムで今日はバレンタインデーこんな記事が出てきました

Marco Panara                         La  Repubblica  ( Cronaca 25 頁)

1991年2月26日

Decine di uomini affollano i corsi che insegnano a sedure
“ Vieni a lezione d’amore e troverai una moglie “
何十人の男達が魅惑手ほどきコースに溢れる
「愛のレッスンにいらっしゃい奥様が見つかりますよ」

Scuola di matrimonio a Tokyo
東京の花婿学校

Il maestro è un ex venditore di kimono. L’intero programma per imparare a conquistare l’anima gemella costa poco piu di un milione.
先生は元きものの販売人。全プログラムは相思相愛の相手を手に入れる
教科で約百万円ちょっとである。
(略)
Lanciata un anno emezzo fa con l’inferice slogan “ Chi conosce l’animo femminile meglio di un venditore di kimono ? ", la scuola fondata ad Osaka dall’ex venditore appunto di kimono Satoshi Noguchi è già una istituzione.
1年半ほど前に気の毒なスローガンを発表「着物のセールスマン以上に女性の心が分かる人がいるだろうか? 学校は実際、着物の販売員だった Satoshi Noguchi が大阪に創業し既に一つの組織である。

Che cosa si impara alla scuola dell’ex venditore di kimono? Teorie non sempre ortodosse, come il famoso suggerimento che dice: “ Siedi sempre alla destra di lei, cosi le tue parole entreranno dal suo orecchio destro e raggiungeranno la parte sinistra del cervello, quello delle emozioni ”
この元着物セールスマンの学校何を教わるのだろうか?理論は常にオーソドックスである、有名なアドヴァイスで言われている様に「いつも彼女の右側に座る事、そうすれば右の耳から貴方の言葉を聴き右側にある脳の感情層に到達する」

“Il problema è il dialogo, i signori che vengono da noi devono imparare l’abc del dialogo” dice Noguchi e racconta:” Le prime due domande classiche che tutti fanno all’inizio del primo incontro con una donna sono: “ da quale città vieni " e “ da dove vengono I tuoi genitori ". Quando dopo una lunga pausa, spinto dal docente a fare una trza domanda, l’impiegato trentacinquenne di una fabbrica di legnami ha chiesto: “ da dove vengono i tuoi nonni ? ", ho capito che con lui avevamo sbagliato tutto "  (略)

「問題は会話です、我々の所にくる男性達は会話のABCから習得しなければなりません」とNoguchi は語る。「女性との初回の出会いで最初のクラッシックな質問は2つです」それは「あなたは何処の町から来たのですか ?」そして「あなたの両親は何処から来たのですか?」長い沈黙の後講師に促され第三番目の質問をした、この35歳の材木工場の勤務者がきいたのは「あなたのおじいさん達は何処から来たのですか?」私はこれで彼についてこの教授法は全て間違っていたと気がつきました。

(記事は見合い結婚の習慣が無くなり出会いのない日本の若者の現状等が続きますが省略)


ただこの記事が書かれたのは湾岸戦争真っ最中です。私はこれを会社に行く前に読んでコヒーを吹き飛ばし、ウヒャヒャ、ケッケッケッと笑い転げました、それもそうとう。しかし深刻な暗い戦時に何やっちょる、と世界からどやされそうな和やかな日本の顔でもある。もっとも25ページ目に掲載されているのにご注目、通常1面は湾岸戦争現場  2面はブッシュ父以下力のポリテイック国際関係、3面は虐殺されたイラク一般市民の写真等、、世の中が暗くて陰惨であればあるほどますます日本の色々な姿(本人は真面目)は可笑しくて吹き出さずにはいられない。

この湾岸戦争の頃から日本の国自身が国際世界の中でじょじょに癒しの里的な源になって行く運命の様でした。私は日本人なので癒しと呼びますが、他国の人達は道化者とかピエロとか言ってたかな。(何か頼りないけど世界から影で邪悪、破壊、悪魔、陰謀、軍事国家などと呼ばれている国々よりずっといい)

良いのか悪いのかいつか歴史が語ってくれるでしょう。


lunedì 2 febbraio 2009

SCARPE VOLANTE   靴が飛んでくる

Marco Panara

1991年2月2日付          La Repubblica

PACIFISMO, MA SENZA ISOLAMENTO
平和主義、でも孤立しないで

TOKYO
Due scarpe da tennis partono dalla galleria per il pubblico, sorvolano le teste dei parlamentari, puntano contro il primo ministro Toshiki Kaifu che in piedi sta pronunciando il suo discorso sul contributo giapponese alla forza multinazionale in azione nel Golfo.
東京発
二のテニスシューズが観衆席からスタートし、国会議員の頭上をかすめ、湾岸での多国籍軍行動における日本の貢献について演説しようと立っている海部俊樹首相めがけて飛んでくる。

Lo mancano.  
命中せず。

Kaifu segue gli inconsueti proiettili con lo sguardo e continua a parlare. 
海部はこの無害な銃弾を一瞥して講演を続けた。

Alla fine della seduta commenterà con distacco: Lanciare scarpe mentre il parlamento discute della pace è fuori luogo.
講演後は冷静にコメントするだろう「平和を論議する国会で靴を投げるとは的外れ」

 E' accaduto mercoledì mattina, mentre il capo del governo si sforzava di convincere il parlamento ed il paese che il Giappone non può esimersi dal destinare 9 miliardi di dollari alla Forza multinazionale e dal mandare cinque aerei da trasporto delle forze di autodifesa per rimpatriare i rifugiati asiatici dalla Giordania.
多国籍軍に90億ドルとヨルダンのアジア系避難民の母国帰還の為に5機の自衛隊運搬航空機の調達、を説得するのに国のトップが国会で努力中の水曜日の朝に起った。
Il concetto chiave del suo discorso è in una frase: Il pacifismo giapponese non deve essere di quel tipo che ci costringe a vivere in una pace isolata. 
彼の演説の主旨の鍵は次の言葉である「日本の平和主義は孤立した平和の中に生きなければならないタイプであってはいけない」

Il concetto non piace alle opposizioni, ad una parte del partito di maggioranza e alla maggioranza del paese. 
この主旨は野党、一部の与党とそして国民の大多数は気に入らなかった。

E quelle scarpe da tennis sono i proiettili più innocui che in questi giorni siano stati lanciati contro di lui.
このスニーカーは最近彼に投げられた銃弾の中で一番無害な物だった。

Marco Panara記者の記事を読んでいた。いつもの様にこのブログに18年前の出来事をメモっていると、途中で色々なフラッシュバックやクロスオーバー珍現象が発生する。例えば blog timeで某ネチィネ-チ人間がトマホークの押売に Roma に来ている最中、あれっリアルタイムで同じ人がグルジア、南オセッツア侵略戦事件後にウクライナのYulia Timoshenko に揉み手してミサイルやパイプライン工事受注に来てるとか、何だローマで軍産武器宣伝営業部長だったのがキエフでパイプ配管工セールスマンやってる〜 

アリャリャ リアルタイムでも同じ事が〜 
2008年12月16日に 8 年の任期中に米国や世界を彼の(上)手下のネオコンによりめちゃくちゃに崩壊させた史上最低と言われているG W BUSH 子大統領がイラクに立寄る。


バクダッドで最後の記者会見中イラクの記者より抗議の靴が飛んでくる。靴を投げたイラクテレビ局TV Al-Bagdadia の Muntazar al-Zaidy記者は 7年の刑に服さなければならないかも。
イラクインターネットサイトAL-JIRANはバーチャルオークションでこの記者の靴に5千ドルの値が出たとか、の記事も。

靴投げ事件がダブルだと思っていたらトリプル化、同日2009年2月2日に英国を訪問中の中国温家宝首相がケンブリッジ大学で講演中に観衆から、ワッ又も抗議の靴が飛んで来た。

目の前で18年が吹っ飛んでいく、歴史は繰り返すダブル,トリプルと、海部首相には自衛隊派遣pkoへの湾岸戦争反対者からの靴投げ。当時イタリアはバクダッド空爆の伊空軍Tornado操縦兵2名がイラク側に攻撃され墜落。その後生きていて人質になり拷問された顔がイラクTVに映し出され伊全国民が悲しみ苦しんでいた。これで多国籍軍の国際社会と日本政治外交のずれ、言い訳主張不足とワンステップ次元遅れが ばれてしまった。

今では靴投げ 初代は虐殺などの背景が無いので少し救われるが、二代目 三代目と残酷歴史を背に持つトップが続いた暗い世の中で、この靴投げ連鎖反応は笑って癒される。


mercoledì 24 settembre 2008

MORSA DI YAKUZA やくざの腐食

日本社会のYAKUZAのしみ

Marco Panara

1990年11月22日付      La Repubblica

La morsa della mafia sul Giappone
やくざに蝕まれた日本
Per un sondaggio lorganizzazione è diventata una potenza nazionale
調査によると全国的な力を持つに至った
Secondo lo stile orientale la « Yakuza dispone di uffici, portavoce, segretarie e conta 85 mila affiliati.Oltre che gioco dazzardo e prostituzione ora controlla l’intermediazione negli incidenti stradali e la liquidazione delle aziende fallite
東洋の習慣により「やくざ」は事務所や、スポークスマン、8万5千の支部を持つ事務長がいる。賭博や売春以外に今は交通事故の仲介屋とか倒産企業の清算をコントロールしている。

Ieri la polizia ha reso noti i risultati di un sondaggio al quale hanno risposto 2106 imprese su 3000 contattate.
警察が行った3000の企業に行ったアンケート内2106回答の結果
(略)
Tokyo : Arrivano dopo una telefonata, su appuntamento, e presentano il loro biglietto da visita.Con nome, cognome, indirizzo, numero di telefono e di fax. E poi chiedono soldi.Sotto forma di costosissimi abbonamenti a riviste inesistenti,di improbabili consulenze ecc…
東京発  :一本のアポイントメント電話の後に彼らの名刺を持って現れる。それには姓名 住所電話番号とFax番号が表記。その後で存在しない高価な雑誌の購読料やありえないコンサルタント顧問料とかの金を請求してくる。

Estorsori come gangster, molti altri sono stati vittime del cosiddetti « sokaiya », i professionisti di assemblea, che arrivano negli uffici urlando « banzai» e poi chiedono soldi per garantire tranquillità nel corso dell’assemblea degli azionisti.
ギャングスターの恐喝、その他に多くの人が犠牲者になっているいわゆる『総会屋』、彼らは総会専門で、会場に現れて「万歳」を叫び、その後「金払え」と請求する、その後の株式総会中は何事もおきない安全保証の代金である。
(略)
Le grandi famiglie mafiose sono tre, la Ymaguchi gumi, che ha il quartier generale ad Osaka, conta circa 22 mila aderenti ed ha un giro di affari stimato in 3 mila miliardi, la Inagawa kai e la Sumiyoshi rengo.
大きなやくざファミリーは3つある、山口組は本部が大阪にあり、2万2千人の組員がいて取引額はおおよそ3百億、そして稲川会、住吉連合がある。
(略)
Si arriva al punto di reclutare il personale con avvisi sui giornali : tutte le industrie soffrono di carenza di manodopera e quella della malavita ha gli stessi problemi delle altre.
新聞に求人広告までだす始末である、全ての企業は人手不足に悩んでいるので、犯罪組織も他と同じ悩みを抱えている。


Marco Panaraの記事は日本社会を分析する目がますます面白くなる。今回はやくざの総会屋、株式総会荒しの様子を書き、同時に日本社会の中に不思議な存在の仕方(イタリア人にとって)を映し出す。この記事も多少微笑ましい、何故ならイタリアのマフィアは日本と同じだが完全に政治、ビジネス界以外にも司法界、判事、検事やその下の憲兵、警察、巡査 又 宗教界に地域により、非常に深く浸食している。ただマフィアは伊人の善良な市民の仮面をかぶっている分よけい悪質で狡猾と言える。イタリア人はこのマルコの記事でYAKUZAにアレーとあきれ、笑ってしまう、そして多少癒される。

何年後かに日本から燃料を浪費するケバケバネオンやパチンコ、パチスロ、サラ金等が全滅するのを期待する一方イタリアのマフィア退治の消毒ぶりを見ている。

マフィア菌、 やくざ菌からぺニシリンが出来ないのは確か、、


martedì 9 settembre 2008

INTERVISTA AL TERROLISTA テロリストにインタビュー

Marco  Panara    Tokyo発

1990年11月10日付          La Repubblica

Tokyo : hanno uffici, fax e telefono. Parla un rivoluzionario del « chukaku-ha »
Professione terroristaオフィスには電話 Fax あり"中核派"革命家が話す。 職業はテロリスト

Mettono bombe ma non si nascondono gli estremisti che lottano contro Akihito
「反AKIHITO(天皇)」として戦う過激派は爆弾を仕掛けても潜伏したりしない。

Tokyo – In questo paese è impossibile nascondersi e loro ne hanno preso atto.Hanno un quartier generale,sette uffici periferici,per la gran parte in edifici di loro proprietà, un numero di telefono. Chiamarli terroristi è forse eccessivo,loro si definiscono guerriglieri,ma si potrebbe chiamarli agitatori o sabotatori,specie rivoluzionarie ottocentesche ormai in estinzione che ancora allignano in Giappone,area paradossalmente protetta.Il nome del grupppo è Chukaku--ha,che vuol dire « Asse rivoluzionario »
この国は何も隠す事が出来ない、彼らもそれに漏れない。総本部があり、郊外には7つの事務所を持ち、ほとんどが彼ら所有の建物で電話もある。テロリストと呼ぶには、おおげさだ。彼らはゲリラと自称しているが、アジテーターかサボタージュ活動家が妥当である。日本にまだ生き残っている、滅びつつある1800年代の革命家の一種のようだ。グループの名前は「中核派」、即ち「革命同盟」。

Fazioni rivali della sinistra radicale.
過激派左翼の対立分派である

« Sono un giornalista italiano,vorrei intervistarvi ». « Le mandiamo un questionario via fax,lei risponda e poi le faremo sapere » .
Passa qualche ora ed arriva un altro fax « Venerdi all’una »,piu indirizzo ed una piantina per ragiungere il posto. Un quartiere anonimo di Tokyo.
「私はイタリアのジャーナリストで貴方にインタビユーしたい」に、「質問状をfax で送る、貴方が返答したらその後に連絡する」と、、何時間かたってもう一枚のfax "金曜日の13時"とさらに住所とその場所にたどりつく地図が送信されてくる。東京にある名を伏せたアジトである。

Nessuno di coloro che frequenta questo edificio avrà mai letto Hugo Plratt,ma sembra di stare in un’aventure bullonate da primo Novecento,
この事務所に行き来する者は誰もウーゴ プラットを読んだ事がないのだろう、しかしまるで1900年代初期の冒険物語に出くわしたようだ。

Si apre un’altra porticina ed entriamo nel covo.Un mucchio di scarpe all’ingresso,come in qualsiasi casa giapponese si cammina scalzi,ma si sente che l’aerazione è razionata. Il signor Fujiwara è attempato ma prestante,indossa camicia e cravatta sotto una grisaglia maroncina ;ha 53anni.
もう一つの扉が開くと隠れ家に入る。玄関には沢山の靴がある、日本の全ての住宅は裸足で歩く、ここでも枠から外れる事はあり得ない。藤原氏は年配だがはつらつとして元気、茶系の霜降りの下はYシャツとネクタイ、53歳である。

« Aspettiamo oggi una irruzione della polizia- esordisce- in quel caso dovrà scusarmi ma dovremo interrompere l’intervista »
「今日は警察の家宅捜索が入るかもしれない(と前置きして) 申し訳ないがその場合はインタビユーは打ち切らなくてはならない」

Come fate sapere che oggi verranno ?
どうして今日くるのが分かるのか?
« Vengono spesso, e per noi non è mai una sorpresa.Questa mattina, attesi, hanno fatto una irruzione nella nostra sede di Kanagawa, piu tardi arriveranno qui »
「よく来る、俺たちには別に驚く事では無い。今朝我々の神奈川の本部が捜索に入られた、その後はここにくるだろう」

Questi due palazzetti valgono parecchio, Come vi finanziate ?
この建物は高価な物だが、どのようにやりくりしているのか?
« Tutti i membri dell’organizzazione versno una quota mensile,riceviamo donazioni dai simpatizzanti e vendiamo la nostra rivista, Zenshin (Progresso,ndr) »
「組織のメンバー全員は毎月経費を払い込む、親派からは寄付があるし、我々の雑誌「前進」を販売している」

Ma quanti siete e quanto raccogliete ogni anno ?
何人いて、毎年幾らくらい集まるのか?
« Non le posso dare alcun numero »
「数字をあげる事は出来ない」

Secondo uno studio pubblicato nel 1989 dal Pentagono,Chukaku-ha ha 3 mila membri dei quali 200 a tempo pieno,secondo la polizia giapponese gli aderenti sono almeno 5 mila.
ペンタゴンの1989年度発表の調査では、中核派は3千人のメンバーでうち200人はフルタイム、日本警察によると組織人口はおおよそ5千人。

Cosa volete ?
何をしたいのか?
« Siamo contro l’imperialismo,contro lo stalinismo e per la rivoluzione globale,siamo marxisti leninisti e ci battiamo perché il mondo,tutto insieme,avanzi lungo la via del socialismo e del comunismo »
「帝国主義に反対、スターリン主義に反対、グローバル革命のため我々はマルクスとレーニン主義で皆いっしょに世界が社会主義と共産主義に進む様に戦う。

Casa pensate di Gorbaciov ?
ゴルバチョフについてどう考えている?
« E’ un stalinista »
「スターリン主義者だ」

E’ di Deng Xiaoping ?
鄧小平は?
« E ‘ uno stalinista dei piu puri »
「一番純粋なスターリン主義者だ」

E del partito comunista giapponese ?
日本共産党は?
« Sono stalinisti e come tali nostro nemici »
「彼らもスターリン主義者だ、したがって我々の敵である」

Mi scusi,ma c’è qualcuno al mondo al quale vi ispirate o del quale pensate bene o con cui pensate di poter collaborare ?
失礼だがこの世に理想としている、又は考えが合う、或は協力出来ると考えている物があるのか?
« No,che io sappia non c’è nessuno che abbia il nostro stesso programma, ma abbiamo simpatia per il popolo palestinese,per la gente di Pechino che combatte contro Deng.Nessun collegamento operativo,solo simpatia »
「いいや、私が知る限りでは我々と同じ課題を持ったのは、誰もいない、ただパレステイーナ人や対 鄧小平と戦う北京の人達に親しみを持つ。活動には何ら関係はない単にシンパテイーのみだ」

A sentire i vostri proclami l’imperatore è il nemico numero uno. Perché ?
あなた方の宣言では、第一番の敵は天皇だが、何故か?
« Perché rappresenta il sistema piu violento e servaggio del mondo,che ha ammazzato 20 milioni di asiatici e colonizzato buona parte dell’Asia.L’imperialismo giapponese è cominciato con l’epoca Meiji(nella seconda metà del secolo scorso,ndr),quando il sistema
Imperiale giapponese ha incontrato il capitalismo,la miscela che ne è uscita è la peggiore che sia possa immaginare.Abbiamo fatto la seconda guerra mondiale perchè volevano colonizzare il Pacifico,e lo rifaremo perchè ilGiappone non riuscirà mai ad integrarsi davvero con l’Occidente,resterà isolato e dovrà crearsi un suo spazio in Asia ,e lo farà con le armi,e ancora una volta nel nome dell’imperatore.Si ama dire che l’imperatore non ha mai avuto potere,non è vro.Dopo la guerra il Giappone ha accettato di trasformarlo in simbolo,ma solo perchè quello era il massimo che ci sarebbe stato consentito.Ora si sta ciminciando a ricostruire il sistema imperiale.Questa incoronazione cos’altro è ? Con la cerimonia di lunedi,il Sokui-no-Rei,il tenno diventa superiore a tutti,comprsi Parlamento e governo,con quella del 22,il Daijosai,diventa dio.Saranno simboli,ma i simboli alla fine diventano fatti.Lunedi per la prima volta davanti all’imperatore saranno schierati 2 mila 500 soldati.E’la prima volta che dalla fine della guerra due « simboli »cosi odiosi vengono rimessi accanto.E questo vuol dire che l’esercito di autodifesa si avvia a diventare l’esercito dell’imperatore »
(訳略-何故なら例のアンチ天皇論、脳血栓寸前のカチカチ頭の日教組的な意見、はしょります)

Saboterete l’incoronazione ?
即位式をサボタージュするつもりか?
« Abbiamo promesso che faremmo di tutto per impedirla,e manterremo la promessa »
「我々は阻止すると約束をした、約束は守る」

Ma non siete contrari agli spargimenti di sangue ?
しかし流血には反対ではないのか?
« Noi non vogliamo coinvolgere nessuno,chi ha paura non ci vada, è stato avvertito »
「我々は誰も巻き添えにしたくない、怖い人は行くな、事前に警告してある」

E’ vero che avete dei mortai e dei missili ?
爆弾やミサイルを持ってるとか、本当か?
« Non so nulla di tutto questo,se ne occupa la parte clandestina dell’organizzazione.Noi qui siamo la parte che opera in piena legalità, è per questo che possiamo girare,stampare e vendere rivista,farci intervistare »
「その事については何も知らない、地下組織の部門が担当している。我々は全く合法な工作をする部署である、だから自由に動けるし雑誌を印刷したり販売したり出来るし、インタビューも受けられる」

Ma quando rivendicate attentati non siete fuori dalla legge ?
しかし抗議のテロ行為は法律違反ではないか?
« Gli attentati li rivendica l’organizzazione,che non è punibile.Ogni volta viene la polizia ma non arresta mai nessuno,per farlo dovrebbe scoprire chi personalmente lo ha commesso,e quasi mai ci riesce »
組織のテロ抗議は、罰則する事が出来ない。毎回警察がやってくるが誰も逮捕出来ない、それをするには誰が直接に関わったか判明させなければならない、ほとんどそれは出来無い」

Ma chi siete,quanti anni avete,che lavoro fate,cosa pensano di voi le vostre mogli ed i vostri figli ?
貴方達は誰で、何歳で、何の仕事をしているのか、奥さんや子供達は貴方達をどう思っているのか?
« Siamo dipendenti pubblici o impiegati di società private,qualche operaio »
「我々は公務員や会社の社員とか、工員も何人かいる」

Avete problemi sul posto di lavoro ?
仕事場で問題はおきるのか?
« Sempre.Le faccio un esempio di questi giorni :alcuni dei nostri lavorano alle Poste e lunedi sono stati messi tutti di turno,per non farli partecipare alle nostre proposte »
「いつもだ。例えば最近だが、我々のうちの何人かは郵便局で働いているが、我々の抗議に参加出来ない様に月曜日には皆交互に働くように組まれた」

Ci sono anche studenti ?
学生もいるのか?
« No, direi di no,non ho statistiche ma siamo tra i quaranta ed i cinquanta,gente normale,che lavora e poi la sera e la notte lavora ancora per l’organizzazione »
「いや、いないだろう、統計はないがしかし我々は40代から50代で普通の人間だ、働いた後、夕方や夜に組織の為にさらに働く」

E la domenica ?
日曜日は?
« Al parco con i bambini »
「子供と公園に行く」


L’intervista finisce con un velo di delusione,la polizia questa volta s’è fatta aspettare invano.
インタビユーは警察はこずに待ちぼうけとなり 多少の期待はずれで終った。


マルコ パナーラ記者が左翼過激派にインタビュー  もう これだけでほほ笑ましい。イタリアやフランスにも沢山いる左翼系中老年達を乗せた さまよえるオランダ船、何処が目的の錨を下ろす港か迷い、、今世紀を漂流している。 

多少可笑しさを含んだ 彼の東京発信記事は だんだんイタリアの人々にとって、癒し記事となっていく運命にありました。湾岸戦争の刺々しい時代にポッと咲く、可愛いくもおかしな花の様に Marco Panara 記者が日本を綴る文章は 心をほぐしてくれたのです。

venerdì 25 luglio 2008

NAKASONE A BAGDAD    中曽根がバグダッドへ

NAKASONE  DA  SADDAM  &   人質達

MARCO PANARA         Tokyo発

1990年10月31日付            La  Repubblica

Parlerà con Saddam
サダムと話し合い
Nakasone a Bagdad preoccupa Washington
中曽根がバグダッドに、ワシントンの心配

Sabato prossimo l'ex primo ministro giapponese Yasuhiro Nakasone, insieme ad una delegazione di parlamentari liberaldemocratici,partirà per Bagdad dove incontrerà il presidente iracheno Saddam Hussein.
E,questa, la risposta del partito di maggioranza giapponese(Ldp) all’insoddisfazione del paese su come il governo ha gestito l’intera vicenda degli ostaggi.Di fronte al viaggio di Nakasone, il Dipartimento di Stato americano si è mostrato preoccupato e ieri il portavoce del segretario alla Difesa James Baker ha fatto una dichiarazione ammonendo l’ex primo ministro di Tokyo a non cadere nella trappola della propaganda di Saddam Hussein. Nakasone ha fatto tutto il possibile per rassicurare l’alleato di oltre oceano.

今度の土曜日に日本の中曽根元首相が国会議員自民党代表と共にイラクの大統領サダムフセインに会いにイラクに出発。
これが人質問題全行程を扱った政府への不満を持つ国民に出した与党(自由民主党)の返答である。中曽根の今回の旅について米国国防総省スポークスマンは、ジェームス ベーカーが日本の元首相に「サダムがしかける宣伝工作の罠に落ちないように」と釘を刺す宣言をした。中曽根は太平洋の向こう側にいる同盟国に出来るかぎり「心配しないように」と保証。
(略)

このMarco Panara記者の新聞記事が載った頃にはTV NEWSも同じべーカーのワシントンからの一喝?を放映していました、、ただ違う点は画面にサダムも中曽根も現れず、、太い透明なチューブや四角形の迷路で猿が実験用に何回も同じ行為をさせられ、罠に落ちそうになる映像が追加で流れていました、、他は何やらの実験で罠に落ちるハツカネズミが出演、等米国のVIDEOをそのまま放送。

自分の国がからかわれているのは、ある程度慣れてくると許す気持ち大というか、平気になりますが(それしかない、文句つければよけい面白がってもっとひどい物をばらまくでしょうから)。ただ米国は平気で面白半分に欧州に送ってきますが、ヨーロッパの人々は同じ感覚ではないので、、結果として逆効果。特に伊では(日本人の私には長い年月の米国のからかいとその傲慢さにもーうんざり)同じTV見ている人達にも同じ感情が湧きおこるという現象を計算に入れないといけないですね。

迷路の様な広報戦の始り、不透明な五角形の数多い落とし穴には罠を仕掛けた本人達が落ちてしまったようです。


domenica 8 giugno 2008

ENIGMA DI FELLINI  フェリーニのなぞなぞ

Il Giappone di Fellini フェリーニの日本

Marco Panara      da Kyoto

1990年10月26日付   La Repubblica

Il Giappone di Fellini è una pace da aquario
E se l’Oriente fosse in ciascuno di noi ?
Viaggio in treno verso Kyoto assieme al grande regista, che con lo scultore Pomodoro,il pittore Tapies e L’architetto Stirling ha ricevuto a Tokyo il prestigioso Premio Imperiale per le arti e ha presenziato alla prima di “ La voce della luna”
フェリーニの日本は水槽の平和、もしかしてオリエントは我々それぞれ己の内にあるのでは? 精神分析学者が言うには、夢の中に東洋人の顔が出て来たら自分自身の未知の部分との出会いだと。大監督と共に京都までの記者の旅、、

Sono divertito e incuriosito da queste tenere fiammelle, da queste monachine sorridenti che in allbergo spuntano fuori ogni momento.E’ lo steso archetipo riproposto in mille esemplari, ed ogni volta c’è la meraviglia che siano cosi, veramente. Non solo il simbolo esotico o l’oggetto di fantasie erotiche da vitellone. Mi sembra che con i loro sorrisi ed il loro inchini rappresentino in filigrana una società che continua ad affiorare su questa piovra di accanimento produttivo, sono l’umiltà di fondo, la timidezza degli antichi contadini gentili che si sovrappone all’orgoglio e alla determinazione”
「何時もひょこっと宿のあちこちから現れる微笑む修道女仕達、この優しい炎(女性達)に興味を持ち楽しんだ。お手本として幾千の典型があるが毎回本当にそのとうりなので驚く(ん?何の話)ただの雄牛(性力旺盛でひまな男)のエロティックなファンタジーの対象やエキゾティックなシンボルとしてではない。(ん?ホント?)彼女達の微笑みやお辞儀はたこみたいに熱狂的生産性で繁栄を続けるこの社会に金糸細工を施しているかのよう、奥深い慎ましさに、古いお百姓さんの優しさと強固な誇りがおおい重なっているみたいだ、、」

“Ho subito il fascino inatteso dell’imperatrice, quell suo sguardo vago che sembra vedere altre cose, il sussurro della voce, la grazia, la trasparenza. Ha detto a Giulietta che da giovane aveva visto La Strada e poi aveva voluto rivederla.Gli è parsa una fata,una creatura magica alla quale si puo chiedere di tutto. E’ diventata ai miei occhi la personificazione dell’aristocrazia spirituale piu pura: non credo di avere mai provato prima l’affascinazione di una creatura in contatto con altri mondi.
Accanto alla sua figura etera, l’imperatore,sucuro di capelli,mi è parso un azteco.
「皇后には思いがけなく、その透明感、優雅さ、ささやく様な声、その美しい眼差し等に魅了させられた。皇后はジュリエッタに若い時に「道」を見たが又みたくなりもう一度見たと話していた。妖精みたいに現れ何でもかなえてくれる神秘な創造物の様だった。僕の目には一番純粋な貴族の精神を人格化したようで、この世でない物と接触するために創造された者の魅惑は今まで経験した事がなかった。永遠の姿の隣にいた天皇は髪は黒くアズテックみたいだった、、」(ん?天皇はインカ系?)

Lo ammetto, venire in Giappone mi è piaciuto , ho avuto sensazioni confortanti che hanno risvegliato una parte di me che pensavo fosse andata in pensione.
「日本に来た事は確かに気に入ったのは認める、僕がもはや引退したと思った部分を目覚ましてくれた感じだ」(ん?何を)

Marco Panara記者とFellini監督の極上味の記事。日本の印象は?に「マイクとテレカメラばかり目の前にした日本の5日間が 何の印象なんだ!」の言葉で始まる天皇から文化勲章を受領しに日本訪問したフェデリコ フェリーニへのインタビュー(フェリーニのぶつぶつ独り言)マルコ記者の京都まで 新幹線で 一緒の道中語り。尚上記事のかっこ内は私の感じたコメントでマルコ記者の書いたものではありません、すいません。
マルコ記者の記事の言葉も面白く、色々な謎解きの様な文章が続き、いわゆるフェリッニアーニ(ワールド)。フェリーニとって日本の汚い街や騒音にうんざりした事は想像つく(ん?勿論)。タイトルにある「水槽の中の平和」は800人が食事するレストランの静寂への賞賛の表現でフェリーニが「たこ」と一緒に日本出発前から用意しておいたシナリオ用の言葉みたい(ん?きっとね)。
美智子皇后に非常に感動した事を細かく表現するフェリーニの描写が楽しい。「何でもかなえてくれる妖精の様だ」は、(ん?それは困る)やはり皇后の希有な美しさは大監督も魅了したようで嬉しくなりました。ピストイアにいらした時は沢山のイタリア人が歓迎しようと嬉しそうに道に並んで待っていました。

A Kyoto è già scuro. Piove. 京都は既に暗く。雨模様。これはマルコ記者のフェリーニ描写に最適でちょっと有名な結びの言葉ですが、、在イタリアのZS記者は反対陣営にいたのか気に入らないらしく「何が雨が降るだッ」といちゃもんをつけ、この声を偶然TVで聞いていて男の同業者への焼きもちというのを見て驚きました。気の毒にイタリアの記者なのに日本特派員だった為に反対陣営から攻撃される身になってしまうのでした。

マルコ記者の才能溢れる書き方はイタリアに刺激と癒しを日本から送り続け、常に注目され ていました。私もイタリアの人々と一緒に次は何を書いてくるのかな?と、楽しみでした。

フェリーニの勲章を読んでいて何故ジャーナリストのマルコには勲章が無いのかな〜と不思議に感じたものです。

venerdì 30 maggio 2008

MARCO DA TOKYO マルコ東京発 湾岸危機状況

湾岸危機が開始して35日目

Marco Panara

1990年9月6日付  La Repubblica より

Tra due paesi c’è identità di vedute sul Golfo
Mosca e Tokyo intesa sulla crisi
ソ連邦と日本と両国の差が湾岸危機で露出、サダムのクエート侵略を意外にさっと非難したソ連邦と反面日本の優柔不断なあいまいさが際立った。両国はイラク非難の共同声明発表。 1991年春にゴルバチョフ日本訪問予定 Eduard Shevardnadze がその調整のため来日中。(略)83%の日本人は戦争に反対で経費負担は60%が賛成した。海部は100人の医師派遣を約束したが集まったのは10人。82人の人質が釈放されまだ332人が残っている、日本としてはまず彼らを無事家に帰らせ、全てはその後からと言う事なのだろう。(略)

Marco Panara

1990年9月13日付            La Repubblica

Il primo ministro di Tokyo è stretto fra le richieste di sostegno degli Stati Uniti e la voglia di pacifismo dei nipponici.Per risolvere il dilemma ha pensato di creare un corpo di pace da inviare all’estero,sotto egida Onu,in caso di crisi L’ambiguita di Kaifu. Giappone senza linea alla prova del Golfo  「Amercan boysが砂漠の中で米国の商店に並ぶ日本製品の生産に必要な石油を守っている、なのに日本人は単純に何時ものごとく彼らの目的は儲ける事、どん欲さと守銭奴さ」と日本の湾岸危機への貢献の低さを米国上院議員に告発され日本政府には非常なジレンマが発生する。正しい戦争にしろ正しくないにしろもう関わりたくない日本国民の意思と米国の意向との間で海部は難しい舵取り。
(略)

サダムフセインの攻撃は日本が国際社会に出る準備が整ってなかった事を明らかにした。  

Marco Panara記者の記事がメモ的な東京発 湾岸近況記事抜粋になって申し訳ないが、全文は日本が派兵できない内部事情や経費支払い状況等が書かれている。 他の記事は平和日本の伝説を保守する反対勢力の内情が解説されている。このように詳細を報告してくれるのでイタリアからでは把握しにくい日本の国内事情が理解しやすくなっていた。現代版マルコ見聞録はまさしく、えんの下の力持ち。悪意のない分析記事は大事な羅針盤となりえる、来る未来に参考にしたい。

この記事の脇はワシントン から ベーカーがローマ訪問、又欧州各国に湾岸戦争参加へのプレッシャーを強めている情報記事が配置されている、この前ぺージはブッシュ父の強気な「サダムはあきらめるさ」アメリカは戦争の風が吹く等の記事がある。これら新聞の構成からでも世界政治の力関係が読み取れた。

湾岸危機から1ケ月で起した米国政府の動きの速さは驚くべき物があり、戦争準備の警笛が鳴ると団結してはりきるアメリカ高官達にはうんざりさせられる。古い映画をみる時と同じ、又か、という感じ。

湾岸戦争はもしかして関ヶ原だったのだろうか。

sabato 24 maggio 2008

MONDO DI MARCO PANARA マルコ パナーラの世界

         Marco Panara  マルコ 日本見聞録

ラ レプッブリカ紙の東京特派員のマルコ パナーラから送られてくる記事はとてつもなく新鮮で面白く、そしてちょっと考えさせられたものでした。 彼の日本発信記事はイタリア中で大変人気があり、ちょうどマルコ ポーロ東方見聞録の現代版。欠かさず読んだ人(上下 左右 大小)は多く政治家はもとより各界のプロフェッシオナル、アーテイスト、著名人等に大きな影響力を発揮し、当時のイタリア世論の中核にもなっていました。
La Repubblica 日刊紙は創設者 Eugenio Scalfari のきりっとした文化度も立派で、飛び抜けて文化関連の記事は濃い内容と高い知性に裏ずけられいるのが特徴です。著作家はもとより各専門分野の人、創造的職業人各デザイナーや若者の愛読者も多い。マルコは歴史も含めて複雑な日本の問題の各経緯、現状、正直な国民感情等を誠実にイタリアに伝えてくれたアルカンジェロの使者。これから彼の記事をひとつづつ見ながら主要な物を抜粋して進んでいきたいと思います。
日本とイタリアの星、マルコを知ってもらうために、、、


1990年9月26日付    La Repubblica

Giappone allo specchio
Alla Fiera di Francoforte sarà il paese dell’anno e cercherà di farsi capire e di capirsi al di là degli stereotipi

Il GIappone , dopo aver conquistato I mercati ha deciso di lanciarsi in una piu ardua battaglia, quella della conoscenza e, in senso letterale, della comprensione.
Passiva ovviamente. Il Giapone ha letto e studiato tutto quello che poteva degli altri, ora vuole ricevere lo stesso trattamento, vuol essere letto e studiato, nella speranza di essere capito e magari anche accettato.
“Sentiamo fortissimamente il bisogno di essere compresi”
“ Conquista della comprensione del mondo “

鏡の前の日本
今年のフランクフルト本の見本市メーンカントリーは日本、ステレオタイプから抜け出た理解を求めて模索している。

日本は市場を征服した後に非常に厳しい戦いに挑む決心をしている、それは「知ってもらう」文字どうりの意味で、勿論受け身な型の「理解されたい comprensione 」日本は他所の物は全て読み研究した、今度は反対の立場で扱って欲しい、分かってもらいたい、あるいはひょとして受け入れてもらえる との希望から、今度は自分たちを読んで研究して欲しいと願っている。この「分かって欲しい essere capito & comprensione 」強い要求から、世界に理解してもらう為の遠征に挑戦している。

Marco Panara記者の上は1ページ位の記事ですが、日本がどんなに困難な戦いに臨んでいるかが分かる様に書いてあります。この記事でイタリアの若者がいつかもっと日本を分かってあげたいと思う気持ちが湧いたのは事実

 
マルコはその難しい道 "comprensione"への良き案内人となりました。