sabato 24 maggio 2008

MONDO DI MARCO PANARA マルコ パナーラの世界

         Marco Panara  マルコ 日本見聞録

ラ レプッブリカ紙の東京特派員のマルコ パナーラから送られてくる記事はとてつもなく新鮮で面白く、そしてちょっと考えさせられたものでした。 彼の日本発信記事はイタリア中で大変人気があり、ちょうどマルコ ポーロ東方見聞録の現代版。欠かさず読んだ人(上下 左右 大小)は多く政治家はもとより各界のプロフェッシオナル、アーテイスト、著名人等に大きな影響力を発揮し、当時のイタリア世論の中核にもなっていました。
La Repubblica 日刊紙は創設者 Eugenio Scalfari のきりっとした文化度も立派で、飛び抜けて文化関連の記事は濃い内容と高い知性に裏ずけられいるのが特徴です。著作家はもとより各専門分野の人、創造的職業人各デザイナーや若者の愛読者も多い。マルコは歴史も含めて複雑な日本の問題の各経緯、現状、正直な国民感情等を誠実にイタリアに伝えてくれたアルカンジェロの使者。これから彼の記事をひとつづつ見ながら主要な物を抜粋して進んでいきたいと思います。
日本とイタリアの星、マルコを知ってもらうために、、、


1990年9月26日付    La Repubblica

Giappone allo specchio
Alla Fiera di Francoforte sarà il paese dell’anno e cercherà di farsi capire e di capirsi al di là degli stereotipi

Il GIappone , dopo aver conquistato I mercati ha deciso di lanciarsi in una piu ardua battaglia, quella della conoscenza e, in senso letterale, della comprensione.
Passiva ovviamente. Il Giapone ha letto e studiato tutto quello che poteva degli altri, ora vuole ricevere lo stesso trattamento, vuol essere letto e studiato, nella speranza di essere capito e magari anche accettato.
“Sentiamo fortissimamente il bisogno di essere compresi”
“ Conquista della comprensione del mondo “

鏡の前の日本
今年のフランクフルト本の見本市メーンカントリーは日本、ステレオタイプから抜け出た理解を求めて模索している。

日本は市場を征服した後に非常に厳しい戦いに挑む決心をしている、それは「知ってもらう」文字どうりの意味で、勿論受け身な型の「理解されたい comprensione 」日本は他所の物は全て読み研究した、今度は反対の立場で扱って欲しい、分かってもらいたい、あるいはひょとして受け入れてもらえる との希望から、今度は自分たちを読んで研究して欲しいと願っている。この「分かって欲しい essere capito & comprensione 」強い要求から、世界に理解してもらう為の遠征に挑戦している。

Marco Panara記者の上は1ページ位の記事ですが、日本がどんなに困難な戦いに臨んでいるかが分かる様に書いてあります。この記事でイタリアの若者がいつかもっと日本を分かってあげたいと思う気持ちが湧いたのは事実

 
マルコはその難しい道 "comprensione"への良き案内人となりました。