giovedì 15 maggio 2008

SPIRITO GIORNALISTICO DI TERZANI ジャーナリスト魂

TIZIANO TERZANI ティツィアーノ テルツァーニ(1938-2004)

彼は日本や中国そして東南アジアを巡りそのレポートは常に好評だった。ヴェトナム戦争で本格的に書き始め、著書「In Asia」等、又日本人へ感動的な「手紙」(遺書)を書き残しています。「Lettere contro la guerra 」は彼のテロへの返答としても読み応えある。晩年癌の宣告を受け治療していたが、ある日全てを止めてヒマラヤの山奥で暮らし始め、その中で人生のハーモニーを見い出した様で、その姿はイタリア人らしく陽気な仙人の如く7年後に他界しました。

元気だった頃、湾岸危機(1990年8月2日)直前の彼の記事を読む。

1990年7月19日付 Corriere della Sera より

I BANDITI DEL GIAPPONE 2 INCHIESTA SUL FENOMENO DEL CRIMINE ORGANIZZATO E I SUOI INTRECCI CON OL MONDO POLITICO
Tokyo, la destra dietro ai gangster
Non c’è quasi differenza fra le cosche e I gruppi nazionalisti : sfilate con camion di ultra e gruppi di “Yakuza” –Malavitosi in tenuta paramilitare chiedono contributi alle azienda per la “ liberazione dei territori del Nord”-C’è chi li considera I nuovi samurai

Tiziano Terzani記者の半ページにわたる記事の内容は、1945年 米国は日本国占領時に戦争直後のどさくさでやくざの親分児玉を出獄させ彼を利用して社会主義者や共産主義者が主導したストライキなどを抑圧するのに子分達と関連した組織を作らせた。児玉は最終的に財政面でも面倒をみて今の自由民主党の母体を創設するのに力を貸した。 笹川もA級戦犯として 監獄にいたがGHQは対共産主義運動に組織活動する条件で彼を出獄をさせる。これらが米国が工作した一連のやくざの利用であり同時に右翼との繋がりが最初からあった訳で、今に始まった事では無いのを大きな赤尾敏の葬式写真(やくざらしき人々が撮れている)と共に説明している。(後日全文スキャンします)

この記事から彼が釜ヶ崎まで行って取材したのが確認できる。(余談だが記事内の赤尾敏の顔写真はMSI(通称ファシスト党=伊版愛国党)の党首Giorgio Almiranteに似ているのが面白い、思想が同じだと顔も似てくるのかな)米国は第二次世界大戦後の日本でのYAKUZAの活用工作をOSS後のCIAを通して操作した。

イタリアにも同じ様な作戦を使用している。1943年 米国はNew Yorkマフィアのボスの一人Lucky Luciano ( 本名Salvatore Lucania)をDannemoraの監獄から出して、南シチリアのGelaやLicata等からの連合軍上陸作戦を助ける下準備をする為に利用した。(ラッキールチアーノは上陸成功の功績を褒められ自由な身で1962年にナポリで心臓麻痺で死亡)更にひどいのは戦後ナポリ等にデトロイトのイタリアンマフィアの小ボスそれも50代とかの歳のいった、いわゆる「 INDESIDERABILI 」厄介者を600人も米国内から集め連行し解き放った作戦。これには戦争直後のイタリアでは防ぎようが無く、せっかくムッソリーニが追い払った犯罪者達は米国で泊を付けて舞い戻り活躍し始めた。

何故今イタリアがマフィアで困っているか、日本の人には理解出来るのではないだろうか。今のイタリア人にとってもこのテルツァーニの記事から日本が自分達と同じ運命を背負ったのを初めて知った。

運命に翻弄される二人はここでも同じ道を歩いているようだ。