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venerdì 9 settembre 2011

MARE MARE   ORTIGIAの海

毎年くる夏のおわり........


La festa è finita .....蒼い海の島 ORTIGIA


しばらく会えない、またの日まで........





青い空蒼い海の日、太陽がいっぱい   路地からチラチラ見える海







私の泳ぐ場所私の岩場、有料の海はきらい、海は皆のもの







ある何気ない買い物の時(うそ、写真右端3階建てのアパートに興味あり、でも家賃割り引きしてくれなかったので諦めた)恨めしく、そんで写真に撮ったのだ〜





少し曇りで波の高かった日、海の色は迫力あった







上と同じアングル、ある夕方のロマンチックな空と海
(こういう夕べ独りは不便)


Arrivederci Ortigia !!!

martedì 6 settembre 2011

FRUTTA DI SICILIA シチリアの果実

Ortigia Siracusa e sue nature ......


シチリアの果物や野菜は素晴らしい,型や値はのびのびと自由だ、、






港のヨットを見ながら屋台で食べるオレンジ、レモン、チェドロのミックスサラダを作るおばさん







我が家の台所に何時もある自由な不揃いの果物  ♪オレンジ畑で.. ♪



♪ 桃太郎ッ !!




Ortigia の朝市 も〜もも太郎のももそのもののももを初めて見た !!







手製ピッツア実演中のお婆ちゃん、名物の紙にするパピルスをすく実演中の女性






  
小さな黄色い花、良く古代の遺跡にも刻まれている模様の葉っぱ〜

ブーゲンビリアは切っても切れないお馴染み色


♬☀♪

domenica 28 agosto 2011

ORTIGIA STORIA SILENZIOSA   オルテイジャ沈黙史 

ここは長い歴史がそっと静かに眠っている、何百年以上何千年から昔の姿をとどめ、


SIRACUSA市の紋章
は鷹





CAVALIERI DI MALTA 私の家の近所にあるマルタ騎士団の教会広場 





マルタ島とシラクサとの関係は地理的に近く歴史上大切です。


かの有名な画家カラバッジョがマルタから逃れて最初に着いたのがシラクサだったことも興味深い事件。カラバッジョはここで聖ルチア(瞳の聖女)の埋葬の絵を描きました。(友達からのルチア俗説は、飢饉からシラクサを救ったり、好きな人がいたが、権力と金持ちじじいがあまりにもその目が美しかったので結婚を申し込まれ、それならと自分で自分の目を潰したと言う伝説)ミネルバ神殿( Duomo ) の右にある教会にオリジナルが展示されてます。






Santa Luciaの埋葬の絵(ユダヤ風呂見学前に説明する案内女性、集合したホテルのサロンにあったカラバッジョ作品複写?)



最近改めて興味持たれているマルタ騎士団やテンプル騎士団の歴史ですが、長い歴史の中でどの時代の騎士団という視点も重要な要素です。


Le Logge Massoniche
 ロッジェ マッソニケ(フリーメーソン群)


Chiesa di QUATTRO CORONATI ( impugnano gli strumenti dell'Arte : Squadra, Mazzuolo, Scalpello e Cazzuola ) ロッジァ マッソニカ跡


ロッジ
ァ マッソネリアの歴史は現代にはとても重要ですが、非常に難しい点が多く、体裁の良い表面しか知る事が出来ません。まだまだ真の中身をかいま見るのは難しく、もともと秘密結社ですからそんなに容易く構造や内容を公表する習慣も無いわけです。歴史の修正が多くなり過ぎるから?

純粋な学究書籍はシラクサの図書館に行って特別歴史書籍を読む必要がありますが、こわごわ古書をひもとく忍耐力が無いので、ただただ想像力をフルに働かして、パズルゲームの様に楽しみましょう。何故なら今現代は再び秘密結社が必要になるくらい、サイトやネット規制が世界で次第に厳しくなりつつあります。だんだんに言論の自由が無くなって来て、このまま進めば又中世に逆戻りしてしまいそう。









クワットロ コロナーテイ教会 ロッジァ マッソニカ入口扉。
(antico ingresso del Corporazione dei Muratori e Scalpellini)
フリーメーソンのシンボルマークが刻まれています。





コンパス,角尺等のシンボルマークが刻まれている石の扉飾り

ほっぽりぱなしで大切な文化財を新セメントで張り合わせる無神経さに腹が立ちます。この様な貴重な歴史文化財はオルテイジャにはあちこちにちらばっていますが文化資金がなかなかここまで届かないのでしょうか?



CHIESA  DI  NOTO






これもかの有名なシンボルマークがNOTO市内教会の祭壇の上こんなところに !?(確かに聖ルチアさまは目に疾患のある人が特に崇める瞳のマドンナですが、それにしても、何だか? 何故かは.... 聴いて下さるな ! )




ジョヴァンニ バッテイスタ教会(再建築中)から見たシチリア夏の青空






ARRIVEDERCI  A  PRESTO   !!   ORTIGIA  !!


紺碧の 空 と 海   輝く太陽   ☀  ORTIGIA    ☀  


  ☀

sabato 14 maggio 2011

POTERE OSCURO 闇の権力マフィア


マフィアとは?  闇の権力とは?



よく聞かれる事に「マフィアって、そんなにすごいの?」まあハリウッド映画の見過ぎがあるかも、、簡単に言葉では言い現せないが、、イメージとしてはこんな物


美しい海とヨットの見える公園 子供と大人の憩いの散歩道 どこでもある海のヨットハーバー風景







ある日突然 出現し始めた超大型コンクリートの壁、海は見えなくなる









これがマフィアの姿です。人々の幸せな空間など何とも感じない、だだ目的はお金と言うか国からふんだくる建設資金が目当、醜悪なコンクリート塊で遮断された美しい海の紺碧、太陽がコンクリートの隙間からのぞいて







これがマフィアのやる事です、、そこでシラクサ市民は毎日代わりばんこにこの岸壁にきて工事が進行しない様に見張りをしていました。そうこうしてる内に私も朝市の帰りにちょくちょく寄りましたが、ある日地方TVや新聞にこのコンクリート塊を建設許可した政治家や役人が調査され逮捕されるかもとニュースが流れた後でした。私がオルテイジャ暮らしを初めて3年目にようやく取り除かれ昔の姿に戻りました。コンクリート塊が無かった古い風景を知らない私はあまりの美しさにあっけにとられました、そうかこの憩いと癒しの空間、小さい子供や老人そして若い恋人達が楽しむ、全ての市民からこの美しい空間を取り上げたのがマフィアなんだ、、 と、しっかり理解出来ました。





美しい昔に戻った海岸公園散歩道


これが暗黒の権力と言うシンボルです、幸せな心を醜く遮断して平気な傲慢で金銭欲に取り憑かれたコンクリート塊


何処かの国にも最近こんな状況があったような、、どす黒い権力とはこういう物、、

domenica 17 aprile 2011

PARIS TO ORTIGIA 再びパリからオルティジャへ

またまた パリ からカターニャ空港へ飛びオルティジャの家に移動だ〜



フランスの大地や畑はよく整理されて美しい,菜の花の黄色が際立って







今回は晴天でフランス アルプスがはっきり見えた飛行でした







アルプスを過ぎると一面海ばかりでイタリア領に入ったと気がつきます、下にエルバ島に良く似た小島が、、






さあ オルテイジャ島暮らし 太陽と地中海の空気を胸いっぱい、、

がんばろう〜

domenica 25 luglio 2010

QUARTIERE EBRAICA メンタリテイー又は文明の衝突 ?

ORTIGIA にあるユダヤ地区の我が家 CASA MIA.... CARINA !!

去年 VIA DEL CROCIFISSO に可愛い家を借りました1年間の約束で、、


Via del Crocifiss
o この通りも気に入って、必要家電(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、湯沸かしポット、アイロン等)の全生活用品完備(シーツ、毛布、タオル、食器、ナイフやフォーク付き)のミニミニレジデンス一軒家に決めました。インテリアもセンスがいいし必要なのは衣類のみ、トランク1ヶでパリから引っ越しだ ワ〜イ !! と喜んで飛んできました。 



Via del CROCIFISSO にあるRONCO1への入り口とロンコにある私の家の玄関。




どの家もまず最初鉄扉がありその後にガラスや木のドアがある、我が家はガラスの玄関ドアー。写真左は玄関内側より屋外 RONCO を見たところ。右は玄関入ってすぐキッチン兼勉強机(さらに一段下の居間で何か調べたり書く事はしっけで不可能、、)




左は居間、右の写真は寝室から居間を見たアングル。壁の厚さ1m以上、広いサロンでインテリア等は悪くない、ただ昼でも電気をつけないと本当に真っ暗。部屋にはしっけを少なくすためにいつも大きなキャンドルを買って用意(クーラー兼暖房、湿気抜き装置機付の家ですが...)




上の写真は Via del Crocifisso 通り、奥に見えるのがユダヤ地区の中心シナゴーグ跡に再建され地下にユダヤ清めの風呂が発見されたSan FILIPPO 教会 


狭くてもこぎれいに管理されている Via del Crocifisso 毎朝この路地を我が家のあるRONCO 1°から出ると Via della GIUDECCA 方向に行き San FILIPPO 教会につきあたる(タバコ屋の看板Tがあるヶ所)さらにこの教会脇 VICOLO II ALLA GIUDECCA 通りをひたすら真っすぐ歩く。この路地を散歩しながら左右に目をきょろきょろさせて、何千年前のユダヤ人の生活風習とメンタリテイーに思いを馳せる、、今の人達は「ここに住んでいたユダヤ人はゲットーではなくて自由だったんだよ」と言います。本当かどうか私には恐ろしくて推察したくない、、ただ変な想像をしてみたり、、何故こんなに狭い路地なのか? もし路地の始まりに鉄扉をかける必要があったら?夕方又は朝方それが閉まったら?おまけに外から閉まったら?歴史考証で確実な研究結果なく想像するのは(歴史捏造に注意)よくない、止めたっ、、と、、どんどん歩いて行くとしまいに海にぶちあたります。そこでマニアチェ城の方向にむかって太陽をあびつつ海沿いをぶらぶら歩きVia Romaのはずれにあるミニマーケットに買物に行く、これが私の朝の日課。

Vicolo II alla Giudecca に毎朝地面にウニを山の様において真二つにわり中のウニをスプーンで丁寧に一本一本すくっている家族がいます。毎日彼らの前を通るので最後には挨拶しあう様になりました。家の中ではおばあさんが暗い中で光る巨大テレビを見ていました。ぎぇー、、日本人なら、何をさしおいても、まず太陽のあたる家に移る事を考える。暗い疑り深い目でじーと見るので、ちっと怖くなり挨拶もそこそこに退散しました。ちょう巨大なダイヤの指輪がおばあさんの指にキラキラ光り、、その瞬間ただの怖さでは無く、何か全メンタリテイーが衝突し合う様な戦慄を感じました。(んま〜そんなダイアモンドが買えるのなら、日の当たる家に引っ越す事を、と、、おせっかいに考えました)、、その夜ジュデッカの我が家の暗闇でハッと思い当たった一つは、何故吸血鬼ドラキュラがユダヤ人のメタフォラ物語になったのか?またドブネズミのメタフォラは地下道を利用する事からきたのかな?、、

文明の衝突 ? メンタリテイーの違い? それとも濁流の交差点か?と、、いつも静かに悩みますが、世界には理解不可能なメンタリテイーがガンと有る事を再認識しました。アル意味でこれか らの研究課題として的を射ているので、この意味深い周辺をゆっくりこれからも勉強していきたいと思っています。日本でよく出会うノホホンとした幸せな目の老人はここには見当たりません。この問題の糸口が何とか見つかった時、日本人は皆がなりたがっている国際人になれるのかも? ただ珍しい貴重な日本人の良い点を捨てて、そこまでして国際人になる必要があるのだろうか? 、、生き残る為にはもっと相手を知る必要が、、

それでこれからの世界は各文明文化の歴史とメンタリテイーの深部研究分析が大切「もっともっと勉強しなければいかんな〜」と私はユダヤ文化や各国ユダヤ系のメンタリテイーを 知りたいと興味を持ってあれこれ見て回ります。(かつて米国が「菊と刀」で私達を研究した様に、まず知る事が重要です、これは愛とは次元が違います)自分に何かとちょっかいだす者(ま〜ちょっかいくらいな らいいのですが、もっとひどくなる可能性も大いにあります、又その逆もありえますが、、)対する相手をよく知るために研究するのは大事な事だと考えるのです。

このブログのメインストリートである1990年代のイタリアと日本の姿。そして交差点になった湾岸戦争以後 日本は たたきがいのある、はらいせ役にぴったりな国になってしまいました。愛してくれた他の国がさっぱり見えず解らず、とんちんかんでトロイ、鈍感な国に落ちていったのです。誰も興味を持たない政治と外交をもつ国として、、その後は国際社会の舞台から少しずつ脱落していきました、、、

あれこれつくづく考えさ せられたジュデッカ暮らしの月日でしたが、その内さすがにタフな私も太陽不足と湿気で心理的にまいってきました。9ヶ月間がんばりましたが、引っ越しをする決心をつけ、アパート探し、幸い友人の応援で良い家が見つかりました。新しい家は太陽がいっぱいですが、インターネットまだ無し。そんなでフォト アルバムが続きます、、

SAYONARA QUARTIERE EBRAICA CASA MIA !!

sabato 17 luglio 2010

MERCATO DI ORTIGIA   毎日オルテイジャの朝市へ

相変わらず我が家からVIA DIONE (紀元前の人、思想ではプラトンの弟子、実際ではプラトンの君主)を通り毎日せっせと朝市に出かけます。とても楽しい、、野菜、果物や魚に会うのは面白い、彼らも話しかけてくる様に思えて、、何を?それは、その色々と、何せこの朝市が大きな日課、ま〜一日中リラックスか?(昼ちょっと又夕方からはちゃんと画廊で働いています)




相変わらず食べるのは生ハムとメロンが続いてます。昨日も今日も、、


朝市巡り




名産パッキーノトマト、チェリー型各タイプが勢揃いバカでか茄子も  




茎とつるむ先っぽが美味しいそう、タンポポの葉っぱも安売り中だ〜


ウエッラー !! いらっしゃい ! いらっしゃい ! 魚が新鮮だよ〜 !!
生きのいいかけ声は大きい高めのバリトンが響く



朝市の魚屋さん達、わけの分からない魚がならんでる、こわいな〜


わーっ今日はマグロの大魚だ〜 !! 大トロ、中トロ(これは専門家にまかせます)私はイカを買ってさしみに(これなら出来る)醤油は島の郊外にある大スーパーマーケットにある。

友達夫婦のなおこさんとマリオが経営するレストラン『 LA CAMBUSA 』で海の市で特別買い付けるマグロのすしや刺身が食べられるし、又海の幸のリングイーネが美味しいのだ !! Duomo ( Ortigia )の前の通りVia delle Carceri Vecchie 12番地にある、是非お立ち寄りおすすめ。
サイトはここ http://www.lacambusa-siracusa.it/

P.S 2011年 新しく引っ越した『 LA CAMBUSA 』の住所は Ortigia の PASSEGGIO ADORNO n.9番地です。電話は同じtelefono rimane uguale : 0931465707 - 3935936445
経営者NaokoさんとMarioの楽しいBlog : http://siracusa.exblog.jp/