Marco Panara da Kyoto
1990年10月26日付 La Repubblica
Il Giappone di Fellini è una pace da aquario
E se l’Oriente fosse in ciascuno di noi ?
Viaggio in treno verso Kyoto assieme al grande regista, che con lo scultore Pomodoro,il pittore Tapies e L’architetto Stirling ha ricevuto a Tokyo il prestigioso Premio Imperiale per le arti e ha presenziato alla prima di “ La voce della luna”
フェリーニの日本は水槽の平和、もしかしてオリエントは我々それぞれ己の内にあるのでは? 精神分析学者が言うには、夢の中に東洋人の顔が出て来たら自分自身の未知の部分との出会いだと。大監督と共に京都までの記者の旅、、
Sono divertito e incuriosito da queste tenere fiammelle, da queste monachine sorridenti che in allbergo spuntano fuori ogni momento.E’ lo steso archetipo riproposto in mille esemplari, ed ogni volta c’è la meraviglia che siano cosi, veramente. Non solo il simbolo esotico o l’oggetto di fantasie erotiche da vitellone. Mi sembra che con i loro sorrisi ed il loro inchini rappresentino in filigrana una società che continua ad affiorare su questa piovra di accanimento produttivo, sono l’umiltà di fondo, la timidezza degli antichi contadini gentili che si sovrappone all’orgoglio e alla determinazione”
「何時もひょこっと宿のあちこちから現れる微笑む修道女仕達、この優しい炎(女性達)に興味を持ち楽しんだ。お手本として幾千の典型があるが毎回本当にそのとうりなので驚く(ん?何の話)ただの雄牛(性力旺盛でひまな男)のエロティックなファンタジーの対象やエキゾティックなシンボルとしてではない。(ん?ホント?)彼女達の微笑みやお辞儀はたこみたいに熱狂的生産性で繁栄を続けるこの社会に金糸細工を施しているかのよう、奥深い慎ましさに、古いお百姓さんの優しさと強固な誇りがおおい重なっているみたいだ、、」
「何時もひょこっと宿のあちこちから現れる微笑む修道女仕達、この優しい炎(女性達)に興味を持ち楽しんだ。お手本として幾千の典型があるが毎回本当にそのとうりなので驚く(ん?何の話)ただの雄牛(性力旺盛でひまな男)のエロティックなファンタジーの対象やエキゾティックなシンボルとしてではない。(ん?ホント?)彼女達の微笑みやお辞儀はたこみたいに熱狂的生産性で繁栄を続けるこの社会に金糸細工を施しているかのよう、奥深い慎ましさに、古いお百姓さんの優しさと強固な誇りがおおい重なっているみたいだ、、」
“Ho subito il fascino inatteso dell’imperatrice, quell suo sguardo vago che sembra vedere altre cose, il sussurro della voce, la grazia, la trasparenza. Ha detto a Giulietta che da giovane aveva visto La Strada e poi aveva voluto rivederla.Gli è parsa una fata,una creatura magica alla quale si puo chiedere di tutto. E’ diventata ai miei occhi la personificazione dell’aristocrazia spirituale piu pura: non credo di avere mai provato prima l’affascinazione di una creatura in contatto con altri mondi.
Accanto alla sua figura etera, l’imperatore,sucuro di capelli,mi è parso un azteco.
「皇后には思いがけなく、その透明感、優雅さ、ささやく様な声、その美しい眼差し等に魅了させられた。皇后はジュリエッタに若い時に「道」を見たが又みたくなりもう一度見たと話していた。妖精みたいに現れ何でもかなえてくれる神秘な創造物の様だった。僕の目には一番純粋な貴族の精神を人格化したようで、この世でない物と接触するために創造された者の魅惑は今まで経験した事がなかった。永遠の姿の隣にいた天皇は髪は黒くアズテックみたいだった、、」(ん?天皇はインカ系?)
Accanto alla sua figura etera, l’imperatore,sucuro di capelli,mi è parso un azteco.
「皇后には思いがけなく、その透明感、優雅さ、ささやく様な声、その美しい眼差し等に魅了させられた。皇后はジュリエッタに若い時に「道」を見たが又みたくなりもう一度見たと話していた。妖精みたいに現れ何でもかなえてくれる神秘な創造物の様だった。僕の目には一番純粋な貴族の精神を人格化したようで、この世でない物と接触するために創造された者の魅惑は今まで経験した事がなかった。永遠の姿の隣にいた天皇は髪は黒くアズテックみたいだった、、」(ん?天皇はインカ系?)
Lo ammetto, venire in Giappone mi è piaciuto , ho avuto sensazioni confortanti che hanno risvegliato una parte di me che pensavo fosse andata in pensione.
「日本に来た事は確かに気に入ったのは認める、僕がもはや引退したと思った部分を目覚ましてくれた感じだ」(ん?何を)
Marco Panara記者とFellini監督の極上味の記事。日本の印象は?に「マイクとテレカメラばかり目の前にした日本の5日間が 何の印象なんだ!」の言葉で始まる天皇から文化勲章を受領しに日本訪問したフェデリコ フェリーニへのインタビュー(フェリーニのぶつぶつ独り言)マルコ記者の京都まで 新幹線で 一緒の道中語り。尚上記事のかっこ内は私の感じたコメントでマルコ記者の書いたものではありません、すいません。
マルコ記者の記事の言葉も面白く、色々な謎解きの様な文章が続き、いわゆるフェリッニアーニ(ワールド)。フェリーニとって日本の汚い街や騒音にうんざりした事は想像つく(ん?勿論)。タイトルにある「水槽の中の平和」は800人が食事するレストランの静寂への賞賛の表現でフェリーニが「たこ」と一緒に日本出発前から用意しておいたシナリオ用の言葉みたい(ん?きっとね)。
美智子皇后に非常に感動した事を細かく表現するフェリーニの描写が楽しい。「何でもかなえてくれる妖精の様だ」は、(ん?それは困る)やはり皇后の希有な美しさは大監督も魅了したようで嬉しくなりました。ピストイアにいらした時は沢山のイタリア人が歓迎しようと嬉しそうに道に並んで待っていました。
「日本に来た事は確かに気に入ったのは認める、僕がもはや引退したと思った部分を目覚ましてくれた感じだ」(ん?何を)
Marco Panara記者とFellini監督の極上味の記事。日本の印象は?に「マイクとテレカメラばかり目の前にした日本の5日間が 何の印象なんだ!」の言葉で始まる天皇から文化勲章を受領しに日本訪問したフェデリコ フェリーニへのインタビュー(フェリーニのぶつぶつ独り言)マルコ記者の京都まで 新幹線で 一緒の道中語り。尚上記事のかっこ内は私の感じたコメントでマルコ記者の書いたものではありません、すいません。
マルコ記者の記事の言葉も面白く、色々な謎解きの様な文章が続き、いわゆるフェリッニアーニ(ワールド)。フェリーニとって日本の汚い街や騒音にうんざりした事は想像つく(ん?勿論)。タイトルにある「水槽の中の平和」は800人が食事するレストランの静寂への賞賛の表現でフェリーニが「たこ」と一緒に日本出発前から用意しておいたシナリオ用の言葉みたい(ん?きっとね)。
美智子皇后に非常に感動した事を細かく表現するフェリーニの描写が楽しい。「何でもかなえてくれる妖精の様だ」は、(ん?それは困る)やはり皇后の希有な美しさは大監督も魅了したようで嬉しくなりました。ピストイアにいらした時は沢山のイタリア人が歓迎しようと嬉しそうに道に並んで待っていました。
A Kyoto è già scuro. Piove. 京都は既に暗く。雨模様。これはマルコ記者のフェリーニ描写に最適でちょっと有名な結びの言葉ですが、、在イタリアのZS記者は反対陣営にいたのか気に入らないらしく「何が雨が降るだッ」といちゃもんをつけ、この声を偶然TVで聞いていて男の同業者への焼きもちというのを見て驚きました。気の毒にイタリアの記者なのに日本特派員だった為に反対陣営から攻撃される身になってしまうのでした。
マルコ記者の才能溢れる書き方はイタリアに刺激と癒しを日本から送り続け、常に注目され ていました。私もイタリアの人々と一緒に次は何を書いてくるのかな?と、楽しみでした。
フェリーニの勲章を読んでいて何故ジャーナリストのマルコには勲章が無いのかな〜と不思議に感じたものです。
マルコ記者の才能溢れる書き方はイタリアに刺激と癒しを日本から送り続け、常に注目され ていました。私もイタリアの人々と一緒に次は何を書いてくるのかな?と、楽しみでした。
フェリーニの勲章を読んでいて何故ジャーナリストのマルコには勲章が無いのかな〜と不思議に感じたものです。