mercoledì 16 aprile 2008

PROLOGO DI BATTAGLIA 合戦前のプロローグ

イタリア ジャーナリスト ウオッチ 

Luca Raffaelli 彼の曰く「マジンガーを見ていた子供は今大人になった、ようやく主張する事が出来る時がやってきた、皆集まろうマジンガーやその他のアニメの話をしよう、日本アニメのミーティングや会議を開催する」とトスカーナ地方にある美しい街ルッカで色々な集会が始まった記事を書いた。別の日は「なんとしても孤児でいたいシャーロット」とか、孤児が多いアニメを分析している。日本アニメの特徴である瞳の大きさのパーセンテージを分析、結論として顔の70%まできた記録を書く。彼の記事は日本アニメで育った若者達に人気があった。

Vittorio Volpi 彼の書く日本への警告は本当に心からの思いやりがあった。キューイを日本国内で栽培について彼は「キューイぐらい何故ニュージーランドから輸入してあげないのか」。バブル時代に有頂天で巨大な公民会館等を建築している時は「誰の物か分からない建物がどんどん建っていく、日本よ気をつけなさいもっと国民の為の物を、、」又日本の科学者の能力をかっていたが大学付属の優秀な学者が拙劣な環境でしか研究が出来ない状況を嘆いてくれた「だめだ、日本を背負う優秀な科学者が四畳半で焼酎を飲んでいるような環境では、、」。彼は沢山の著書のなかで政治改革の必要性を語ったが日本は聞く耳を持っていなかった「いつか日本が沈没しそうになった時、誰も助けてくれないそんな状況にしてはいけない、昔栄えたフェニキア人がいた経済だけを追い求めていけばいつか日本がこの歴史に消え去ったフェニキア人と同じ道をたどる、」何度も叫んでくれた(政府高官が彼の忠告を聞かなかったのが悔やまれる)。後日「芸者の反抗」との記事に対し丁度来伊したバナナから「そんな事件知らない」と言われた。後にイタリアUBS会長になった。

Vittorio Zucconi 彼は東京特派員だったが真っ先に現代の日本を書いたジャーナリスト。著作「GIAPPONE TRA NOI」現在はLa Repubblica.it の編集長。

Renata PisuMiriam Verrini も活躍。

こうして相思相愛の二人の関係を血に飢えた、乱暴で嫉妬深く意地の悪い怪物が、じわじわと恐ろしい策略で二人の中を裂く計画の実行に移すチャンスをじーっと狙っていた。その目は飢えた獣が獲物を観察する目と重なる。恐ろしい見えない津波がイタリアと日本に押し寄せて来ていたのには気がつかなかった。

一方私の中では何か嫌な予感が少しずつ蓄積していった、、何か起きる、、日本に、、何かとてつもない災難が、、何故か怯えていた、米国は何か悪巧みを工夫してくる、、どんな工作なんだろうかと、、、

メディアをじーっと見つめる毎日が続いた。