2010年3月28日 Domenica Cielo sereno 日曜日の晴天に
変わった展示会を見ました、常設展ではない めずらしいその時の写真です
Chiesa San Francesco di Paola - Ortigia
LAMBA DORIA Associazione Culturale Siracusa
Bombardamento al centro Ortigia
連合軍によるオルテイジャ中心街への空爆
Bombardamento a Ortigia 連合軍による空爆
イタリアは第二次世界大戦で各地に連合軍から空爆され、チンクエテッラのそばのある村などは全て崩壊してしまった処もあります。北から南までものすごい空襲を受けたのが実状です。さらにひどかったのは逃げていくドイツ軍からも攻撃されたり、敵味方の両方から村人が沢山殺戮されたのでいっそう悲しい現実です。ある村ではドイツ兵1人がパルチザンに殺されると10人の村人が銃殺されました。
シチリア島のジェラやリカータ等の海岸沿いは米軍が上陸する(1943年7月10日)前にさんざん空爆されました、上の写真はその空襲にあったOrtigiaの中心街です。
ミラノでも市内や北イタリア空襲の写真を市役所で見た事がありますが、日本の人達はこの事情をあまり知らないようで,残念です。ファションやイタめしグルメも良いですが,このような日本と似た経験を持つ事をもっと若い人に知って欲しいと思います。
上は私が手伝う現代美術画廊Quadrifoglioのある通りVia SS Coronatiが英米軍から空爆された後の写真。今も隣のBarの壁に掛けてあります。
イタリア人は声に出しません。静かに悲しんでいるのですが、日本ほど敵味方がはっきりしていない(兄弟で敵味方になったり、丘の上と下で敵味方に別れたり)込み入った複雑な状態の戦いがイタリアの第二次世界大戦でした
I Bombardamenti a Tokyo nel 10 marzo'45 e aprile, maggio ecc nel 1945
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
爆撃写真を見ていると米軍が昔から敵国への破壊度や死者数、特に女子供の死亡数などに全く無神経なのがよく解ります。今もイラクでアフガニスタンで相変わらず続けて空爆しているのがその証拠です。歴史の中で騎士道の中世が無かった国なので戦いの掟など全く無関心なのでしょう、、ヨーロッパと日本で少し教えてあげた方が世界のためになるのでは、、
以前ある歴史家が『米国はこのままほっておくとあと1000年は戦争をし続ける』と言ったのを聞いた事があります。ほんと恐ろしい事ですね、、
そう私もしつこく繰り返しますが、米国とイスラエルは, はっきり言えば新しい国ですから、戦国時代がないのでそれなりに歩く道を,そろそろ指導するのも一案と考えます。