1991年10月10日木曜日付 La Repubblica
MARCO PANARA 記者 東京特派員
Sono un giapponese e mi ribello
僕は日本人だが反逆する。
Si chiama Akio Koiso. E' stato per trent'anni impiegato in un colosso bancario, ora al centro di
uno scandalo. Ha raccontato le magagne del suo paese in un libro.
名はこいそあきおと言う。大銀行に30年勤めた銀行員である、今スキャンダルの中心にいて、彼の本はこの国の欠陥を物語っている。
下がマルコ記者の書いた全文サイトです
http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/10/10/sono-un-giapponese-mi-ribello.html
*******
この記事は今まで日本人の良い面や可笑しい事だけ書かれていたイタリアメディアに初めてと言えるくらい、複雑な社会関係、日本社会の人間関係の中にある冷たい意地の悪い欠点があるのを隠さずに書いてあります。
冷たい非人間的な社会に変貌してしまった日本社会の現状がなるべくイタリア人に理解し易く書かれています。デリケートな事柄なので結構な文章力と説得術が必要ですがマルコ記者はベテランらしく上手に説明しながらペンを進めます。現代の日本のサラリーマン生活(職場のいじめ等)の欠陥や難しい人間関係を彼 Koiso Akio の著作に書かれた人生を例にとり解き明かしてくれます。何故イタリア人には理解するのが難しいかと言えば彼らは人間関係が非情に温かく、誰も厳しく働く心情は持っていません、人間的で完璧主義ではない血が通っているのが良い面でも悪くてもイタリア社会とその人間関係です。勿論そのおかげで欠点も多いのが伊社会ですが、この記事にある日本社会はとても理解しにくいのがイタリア人の自然な気持ちです。
記事内のベストセラー本
小磯彰夫著1991年『富士銀行』 晩聲社1300円富士銀行行員の記録
(こいそ あきお1942年満州チチハル生まれ1960年富士銀行に入行)
現在の小磯彰夫氏のサイト 誇り高き平社員とその友の会
http://homepage1.nifty.com/koiso-hiraken/sub2.html
現在はイタリアヤングの間では、日本人や日本社会にある冷たさが、ブログやサイトでさかんに討論されています。日本人の人間関係にスキンシップが少ないのも若いイタリア人には驚きの様です。イタリアの人達が日本に憧れて訪ねた後、表面と違って以外と冷たくて自分の意見が無い日本人にびっくりして帰ってきます。又日本人がイタリアを訪ねてその美しさや人なつっこい愛嬌に驚き、反面治安の悪さ(スリ、かっぱらい、泥棒)にあきれて日本に帰ってくるのと似ています。実質的な被害は日本人の方が大きいかな?
当時は連日のようにマルコ記者の東京特派員報告がラ レプッブリカ紙に載ります。これもそのうちの一つで全文を打ち込もうと思っていたところ、けっこう長いのでふっと同紙のアーカイブサーチを探してみたら、ちゃんとありました !!! 助かった〜 このブログを始めた頃は2008年ですが、同紙のサーチエンジンに出てこなかったマルコの細かい記事が今は入っているので嬉しい。ラレプッブリカ紙のこのサイトアーカイブの編集スタッフと長期マラソンしているみたい、私の方がボ〜と うろうろ悩んでいるうちに先を追い越された様です。
Koiso Akioが語る彼の人生のなかに父親がシベリア抑留から帰るヶ所が出て来ます。イタリア人が初めて知ったスターリンが行った日本兵への残酷な収容所列島の一面です。参考までに日本兵シベリア抑留のサイトを調べた時に見つけて感動したのでここに貼付けします。
日本兵のシベリア抑留サイト
http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm
と言うのは、イタリア人の若者達も大勢ロシアに戦いに出て行ったというか、ファシスト政権により送られました。日本と似て大多数は行方不明兵となっていました、が、湾岸戦争の当時日本の海部首相がゴルバチョフからロシアでの日本兵埋葬死者名簿を受け取った時のVideoが伊TVのニュースに流れた瞬間、イタリア全国のロシアに送られたらしい行方不明兵士の身内の人々は「あっ !! 」と叫んだのです。「我らの行方不明のイタリア兵リストも !! 」と共通の苦しい哀しい過去を思い起しました。
現在のイタリアでは誰にも顧みられないファシスト政府下の兵隊達です。これは日本と似ていて極端に悲しい現実です。特に現代の若い人達や特に左翼知識人と自負する層が激しく拒否反応を示します。反対にど田舎のおじいちゃんの方が60年後の自然な反応が返ってきます。これは私が日本人だからその反応に長い間隠していたものを感じ、早く言えば日本人にたいしては正直な感想を語ってくれるのかもしれません。イタリアの田舎の町を訪ねると必ず無名戦死の記念碑があり、近くの村や町の兵隊達で故郷に生還出来なかった人達の名前が刻まれてあるのも多くあります。
ミラノに住んでいた時のアパートの隣のお婆ちゃんが当時を思い出しながら語ります「この近くにあるトリポリ広場には戦争直後には元ファシスト兵やファシズム協力者達の死体が山のようにつみ重ねてほったらかしてあったんだよ」戦後に勝者になったパルチザンや共産党員や連合軍協力者達は「アパートにかたっぱしから入ってきてファシスト達を隠してないか探し回ってね〜」「見つけてどうしたの?」「殺したんだよ」「どうして〜? 戦争は終わってたんでしょう〜」「復讐からさ」「........ 」
この話しからロレート広場でムッソリーニと愛人クララ ペタッチが殺された後、逆さ吊り(現在のスーパーマーケットUPIMの建物を建築中のために出ていた工事棒)に引っかけられた現実の群集心理が推察可能です。この事から いかに国民が苦しめられたか、と同時にグロテスクな民衆の復讐心が見えます。確かにファシスト政権下の憲兵はいばっていたようで、私も今の憲兵(カラビニエリ)はポリスと同業でユニホームが違うだけですが、ただ国民に仕える精神が無くファシスト当時と同じ傲慢さがあるんじゃないかと疑ってます。
日本の人達はそのあたりのあんばいが良く解って無い人が多く、大きな声で(今)イタリア人の前で三国同盟の話を出しますが、これは要注意が必要です。会社での関係者とかの公の会食等では特に、はっきり言って話題にしない方が賢明です。歴史上には確かに存在した事なのですが、今のイタリアでは受け取り方が違うのです。まあ誰も全体主義者にはなりたくないのは確かですが、
当時ロシアに送り込まれたイタリア兵は戦で死んだのではなく、寒さと飢えから死んだのがほとんどで私から見ると可哀想な兵隊なのです。田舎にいて右も左も判断できない素朴な男達もいたわけです。皆が聡明で本を読んでいたわけでなく、イタリアの為に少し目覚めたお百姓さんや山の中の人達、田舎職人の青年達に国家社会主義(ファシスト党-全体主義的)政府の政策が正しいものかどうか判断する知識が当時あったのか? 何か残酷な気がします。ダヌンツィオの様な詩人や芸術家がいて戦争讃歌をしてましたし、私には左翼思想もファシスト国家社会主義思想も区別つかずわけのわからないまま戦争に駆り出された若者が沢山いたと想像します。
ロシアに抑留されたイタリア兵捕虜( 古修道院SUZDAL強制収容所-Prigione di Suzdal)
http://www.youtube.com/watch?v=UN_i5d4cTkQ&feature=related
今のジャーナリストや知識人は「いや当時の若者達は政治思想は良く解っていたはずだ」と非難します。私にはどうもね〜 今でさえあまり政治思想が解ってない若者で解ったふりをする人達が沢山いる伊社会で、70年前なら余計に政治や国際知識などとは、ほど遠かった若者達がいたと思えるのです。今みたいにインテリ風の頭でっかちばかりではありません、昨日まで羊を追ったり、漁師やトマト狩りをしていた人達です。その意味で今のイタリア社会は彼らに冷たい。素朴に自分の国のために、と単純に考えて、ロシアまで行かされて凍え果てたのでしょう。日本兵も戦闘より飢え死にした%の方がずっと多い。戦死者には声が無いので残念ですが、どの国でもどんな時代でも喜んで飢え死にする人(兵)がいるとは思えません。
今イタリアでも日本でも人々は皆自分は「民主主義的だ」「自由だ」と大声で宣言しますが、歴史を考える時には、もう少し寛大さも欲しいなあ〜 と つい ぶつぶつ考えてしまいます。
lunedì 26 aprile 2010
sabato 10 aprile 2010
MOSSADO SENZA MASCHERA モサド仮面はがしの開始
2010年2月26日金曜日付 La Repubblica 紙の写真(下)を見て感じる、、時代が移り変わって行く、、
最近. 欧州内複数国のパスポートを偽造し入国した後、ドバイでハマス幹部を暗殺したモサドグループの復讐作戦の動きがメディアに大きく出ました。自国民のパスポートを無断偽造された被害国、英国等がイスラエルに抗議していますが(これは何となく臭い、逆の手段みたいで)非難させて実を手に入れる術かな。ヨーロッパメディアでモサドが伊新聞でもこんな大きな活字(モサドMの大文字が2.5cmあった)で印刷されたのは紙印刷メディア史上初めてでは。タイトル は『モサドの復讐作戦』ヴィットリオ ズッコーニ記者の記事はモサドが10年かけて準備した暗殺オペレーションを詳細に26人のモサドメンバーの顔写真と共に報告してくれます、非難しているわけではありません。先年、モサドのミスが欧州各国で発覚していましたが、まだこのイスラエルの諜報各組織を正面から非難できる国は少ないのです。まして一つの出版社など彼らにとって何でもありません。怖いもの無し、、ついこの前までは、、
写真はMOSSAD OPERAZIONE VENDETTA 『モサドの復讐作戦』Vittorio Zucconi 記者より
(foto : 26/02/2010 la Repubblica, 上の写真は3ページからなるモサド復讐劇の記事、ラ レプッブリカ紙を開けた両面ページですが、私が置いた耳かきだけが3Dです)
ヨーロッパで生活する場合 なかなかモサドやユダヤ人の批判は難しいと言うか,タブーにちかい事柄です。実際問題、住んでいるアパートの家主がユダヤ系、学校の先生がユダヤ系、大学の教授がユダヤ系、自分の担当医がユダヤ系、会計士がユダヤ系、銀行の担当者がユダヤ系、弁護士がユダヤ系、会社の社長がユダヤ系、私の場合も半分は当たっていますし、それに加えてユダヤ系の友達もいます。一つの国を潰す力があるのですから、誰でも常に用心しつつ書きます。
それでもダメなものはダメと、言うべき事は言わなければなりません
まあこの点で近代化が進んだ国際社会の中で日本だけが,比較的ユダヤ人に束縛されていない利点があり、今も比較的自由に物が言えます。現代で手足や口を縛られていないめずらしい国です。いつまでかは、大きいものには巻かれよ的、自国の弱点を公に書く癖、そんな点で心細いですが、、
ユダヤ系の人々は個人としても横の繋がりが強い、まして組織となると世界中にその情報網を拡大し定着済です。国際的にも、出版メディア界、専門家協会、医師会、弁護士協会、金融業界、芸術界、映画や芸能界、等々ここに書き始めたら終わり無く出て来ます。昨年1月のガザ空襲後の各日曜日など、ユダヤ人夫婦がパリのあちこちに出て来て散歩のふりをして観察していました。個人?の協力でしょうが、すごいな〜とあっけにとられたので、良く覚えています。この時私が感じたのは、これじゃまるでイスラエル国フランス領じゃ〜とか。アメリカと言う約束の大地を手に入れたのだから、国名を変えるだけでいいじゃんとか、ポーランド首相が反対する欧州旗のデザインさもありなんとか 等々。ま是等はパレステイナ問題とガザ民間人へのクラスター 劣化ウラン、白リン各弾の爆撃直後で心底腹立てていた時に吐いた悪態です
知人のユダヤおばあちゃんは、ハリウッド映画(トムクルーズ主演「 ワルキューレ」)のロードショウ宣伝でパリの街にナチス卍の旗が並んだ時には 『あの(ヒットラー)時代を思い出しちゃって,外出が怖くて ず〜と家に引きこもっていたよ』と、聞いていて哀しくなりました。もう少し若いユダヤ系仏友人は一緒にモンパルナスでのショッピングの帰りに、あるウインドーにグロテスクに描かれたどぶネズミの絵が置いてありました。ジーと見つめていた彼女の目の下の膜がグアッと飛び出したのを覚えてます。私は急いで腕組みしていた彼女を強く引っ張りその場を離れ話題を変えましたが、寂しそうなその瞳は私の脳裏から離れません。
そうこうするうち、私は又一つ肌で感じる良い経験をつみました。古〜い石の壁(1mの厚さ)の家、一階のためにすごい湿気、居間は更に一段低い場所、丁度ワインカーヴに最適な環境。1日中、全く太陽は照らないし,入らない、家に入るとヒヤ〜と体中が冷えてくる。紀元前や1400年代はスペインから追い出されて逃れて行ったユダヤ教徒、その前にもユダヤ人が住み着いたジュデッカと呼ばれている区域に家を1年間借りました。古いユダヤ教の清めのための風呂の遺跡があちこちの地下にあるシラクサのオルテイージャです。家の中は太陽がささないので午前中はなるべく屋外にいる工夫をしなければなりません。ひんやりとした石の家に暮らすと膝の上の方が何となく湿気で変な感触になります。何もかもが湿気て冷た〜い
この家に居て考えたのは、ついでだ !! 差別を受ける民族の歴史的な心理状態とメンタリティーの追求です。
昼でも暗く明かりが必要なのは電気の無い時代キリスト教徒も同じ、キャンドルを使ったのでしょうが、ロウソクは湿気も少し遠のいて一石二鳥です。私も大型ロウソクを沢山買い込みました。ゲットー的な区域、昼間も暗い家、窓の薄明かりだけの暗ら〜い部屋。一歩家から出れば中世の差別が待っていた時代、これでは宗教がいかに大事な生き抜く礎になったか,想像できます。外の世界の人間達を憎む一方さぞ憧れたことでしょう。豊かに太陽の下で差別無く生きられたら、と。近世に約束の地?アメリカに逃れたユダヤのお金持ちがすぐ広い緑の庭園とプールを持ち太陽の下で日に焼けるのを理想とした、無理ないですね、悪趣味とかたずけるのは単純すぎます。しかし中世のヨーロッパでは、ユダヤ人達はそのまま人間そのものを憎んだとしても想像出来ます、人類など頼りにならないとも思った事でしょう。つい半世紀前までは、仕事に就いてはいけない職業ばかり、いける学校も限られていました。共産主義や社会主義が後で悪用されたとしても、彼らの中から生まれたのは納得できます。金貸し業や宝石(特にダイヤモンドと金ゴールド)に執着する心理も何だか解る様な気がしてきます。さらに自由な科学、数学、芸術や音楽に芽を出すのは,必然でしょう、、日のあたる場所に出るために普通の人々キリスト教徒より人一倍努力しなければならなかったのでしょう、、考える習慣が脳の発達を活性化し、祈りの動き自体が良い血の巡りになり老化を防ぐ、かつ時折の宗教上の絶食は最高のダイエット、、虐げられた1900年以上の歴史がそれを物語っています。
古代から許された職業は金融業で、金貸しや銀行を考案したのは紀元前のユダヤ人、結果として現代金融世界を左右できる地位にいる状況、これは歴史の自然な成り行きでしょう。何もかも悪く言う陰謀論やサタンとか悪魔教と断定するのは歴史考証に沿っていない。その言葉を使う事自体が今を生きている私達には何かピンとこない『悪魔的な戦略を利用した』とか『、、の陰で、、を悪用した』と言った方が納得しやすい、、
シオン賢者の議定書が日本でも問題になったりしますが、これなど例えば、戦国時代に徳川家康が世界制覇を考えついた、と します、その意向を部下に書かせ、それが今発見されれば、ブファ〜と笑われるところでしょう。ただユダヤ人の場合はやりかねないと非難するのはちょっと、100年前の物を現代にオーヴァーラップするのはフェアーでは無い様にも思います。歴史的な迫害と差別は10年50年ならいいですが、ユダヤ人の場合は500年や1000年単位ですから、、そうとう根は深いですね。
何か悪循環の輪を想像できます、事実、ヨーロッパやロシアの中世と近世歴史は彼らに冷たかった。これに追加して第二次世界大戦ドイツでのヒットラーが発案したユダヤホロコースト、ユダヤ人とユダヤ系民族の壊滅の最終解決の決定。このあたりはイタリアではもう飽きたと言われるほど繰り返されメディアで言われているのでここでは書きません。念のため、1938年あのユダヤ人差別の法律にファシスト期にサインしたムッソリーニでさえ自分で良く調べたらおじさんがユダヤ人だった,と言う話が未だに食後の笑い話の中で語られ、からかわれています。事実ムッソリーニ総督時代の秘書官で愛人役だったのはユダヤ女性、数年前作家になった彼女をビアジ記者がインタビューした時に「総督はせっかちな愛の性質だった」と語ってた。
おじいさんはチェコ人お婆ちゃんはスロベニア人、お父さんはイタリア人でお母さんはフランス人と言うイタリア人の知人がいますが、陸続きであり、あちこちから侵略されたのとイタリア人移民で歴史的に血はまじります。ましてイタリアには紀元前からいるユダヤ人となると、同化現象は明らかです。銀製品販売業や宝飾販売業、革や繊維染色業者、教会建築と共にユダヤ系は古代から強い、今はそれらで小さい街のお金持ちとしても有名です。これで中世では彼ら自身と事業を守るために秘密の会合を作ったとしてもその心理は推察出来ます、これがカルビン派の宗教やマッソネリアとか各秘密結社をつくった原因でしょうか。余談で最近パリの地下鉄のコメデイ広告に頭の上からマットーネ(フリーメースンのシンボルであるレンガ)が落ちて来るポスターが貼ってありこれを見てケラケラ笑いこけました。これらの組織を後年、現代になって罪の無い人達に対し悪用した,これが私には許せません。
そしてホロコースト戦争半世紀後の反逆から、イスラエル国、ユダヤ人やユダヤ系を非難したり、ホロコーストを疑問視したり、元ナチスの腕章や象徴を所有しているとドイツでは監獄に入れられたり、各処罰が遂行されています。イタリアではネオナチ行為はただ馬鹿にされ、頭の弱そうな若者達だけが夢中になります。欧州ではネオナチ運動を又自分達のために利用するモサドや他のパラレルに存在するナトウ極秘組織もあります。
『どんな悪辣計画やテロ行為でも最終的にユダヤ民族を守るためなら何でも許される』
ここから第二次世界大戦後のモサドの諜報作戦成功の為にはいくらでも冷酷になれる考え方が生まれた様です。それは歴史の報酬でしょうか、良心に麻酔をかけてしまう役、その後のメンタリティーを利用出来る、どんな邪悪で冷酷な計画でも実行出来る立派な言い訳になっています。ただ今では普通の人達が非難し始めました、決して特別な環境にいる人ではない、はっきり言えば八百屋のおばさんまで悪口を、これは大変な事です。昔も内緒で口伝えで人々は悪口を言ってたのでしょうが、又それが繰り返されているようです。タリバン、ムスリム、中央、東南アジアのはずれ、とんでもない処でも、何か事件やテロが起きると『又モサド、』『自作自演』とか言われています。噂の無い処に煙はたたない、、
最近歴史的に封印されていた出来事の公開が続いてます、良い時代になってきたと言えます。そして冷戦のイデオロギーもとけ始め、よけい真実に近ずけるチャンスですが、人間の歴史が又表面に顔を出してきたのでしょうか。ただスタジイStasiの書類管理されているビルが突然崩れたり、オーストリアで人気が出てきた反ユダヤ的な意見の若い新人政治家が自動車事故死、等々臭い事件も続きます。自分達の祖先のお墓にナチスのいたずら書きするくらいならまあ許せますが、行き過ぎやり過ぎは、憎まれ種まき に等しい。
世界の諜報機関はものすごい早さで戦略を実行していますが、ペンタゴンと米英国モサドの諜報機関が行う作戦が成功すればするほど、世界のただの国民からは嫌われて始めています。インターネットや現代のハイテクは彼らと同じ次元で走り始め、世界の普通の国民達に隠しきれなくなった工作があちこちでシッポを出して来ています。(ここで一言日本のために、何故世界の人達は 日本製を快く買うのか?高品質だから?....... ブラジルのストリート少年達が日本製品を梱包していたダンボールに寝て、幼い汚れた顔で『家はないけど寝るのは日本製なんだぞ〜』と誇り高くTVのマイクに言ってます、この子達はもう殺されたのでしょうが、、もっと違う何かがある事、日本の人達は気がついて下さい)
今ユダヤ系イタリア人はカトリック教徒として街の教会に日曜日のミサにいきます、私は無宗教ですが友達の街(伊中南部)なので一緒に同席します。ただ司祭は彼らを見る と何となく冷たく扱います、日本人の私には変だな〜と思われますが、当然の様にふるまいます。そ〜と何気ない風を装った冷た〜い差別が未だに(2000年代で)あるので、私は静かにびっくりしました。
イデオロギー戦争が無くなって今度は宗教戦争を利用するのでしょうか、それとも薬学で、人工気象学、化学数学で、、形を変えて歴史の繰り返しを狙っているのかな、、
普通の地球人達の人間性が目覚め、世界中で個人の関係が広がり強くなるのを願って、、
domenica 4 aprile 2010
I Bombardamenti qui e là あちこちへ空襲
2010年3月28日 Domenica Cielo sereno 日曜日の晴天に
変わった展示会を見ました、常設展ではない めずらしいその時の写真です
Chiesa San Francesco di Paola - Ortigia
LAMBA DORIA Associazione Culturale Siracusa
Bombardamento al centro Ortigia
連合軍によるオルテイジャ中心街への空爆
Bombardamento a Ortigia 連合軍による空爆
イタリアは第二次世界大戦で各地に連合軍から空爆され、チンクエテッラのそばのある村などは全て崩壊してしまった処もあります。北から南までものすごい空襲を受けたのが実状です。さらにひどかったのは逃げていくドイツ軍からも攻撃されたり、敵味方の両方から村人が沢山殺戮されたのでいっそう悲しい現実です。ある村ではドイツ兵1人がパルチザンに殺されると10人の村人が銃殺されました。
シチリア島のジェラやリカータ等の海岸沿いは米軍が上陸する(1943年7月10日)前にさんざん空爆されました、上の写真はその空襲にあったOrtigiaの中心街です。
ミラノでも市内や北イタリア空襲の写真を市役所で見た事がありますが、日本の人達はこの事情をあまり知らないようで,残念です。ファションやイタめしグルメも良いですが,このような日本と似た経験を持つ事をもっと若い人に知って欲しいと思います。
上は私が手伝う現代美術画廊Quadrifoglioのある通りVia SS Coronatiが英米軍から空爆された後の写真。今も隣のBarの壁に掛けてあります。
イタリア人は声に出しません。静かに悲しんでいるのですが、日本ほど敵味方がはっきりしていない(兄弟で敵味方になったり、丘の上と下で敵味方に別れたり)込み入った複雑な状態の戦いがイタリアの第二次世界大戦でした
I Bombardamenti a Tokyo nel 10 marzo'45 e aprile, maggio ecc nel 1945
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
爆撃写真を見ていると米軍が昔から敵国への破壊度や死者数、特に女子供の死亡数などに全く無神経なのがよく解ります。今もイラクでアフガニスタンで相変わらず続けて空爆しているのがその証拠です。歴史の中で騎士道の中世が無かった国なので戦いの掟など全く無関心なのでしょう、、ヨーロッパと日本で少し教えてあげた方が世界のためになるのでは、、
以前ある歴史家が『米国はこのままほっておくとあと1000年は戦争をし続ける』と言ったのを聞いた事があります。ほんと恐ろしい事ですね、、
そう私もしつこく繰り返しますが、米国とイスラエルは, はっきり言えば新しい国ですから、戦国時代がないのでそれなりに歩く道を,そろそろ指導するのも一案と考えます。
変わった展示会を見ました、常設展ではない めずらしいその時の写真です
Chiesa San Francesco di Paola - Ortigia
LAMBA DORIA Associazione Culturale Siracusa
Bombardamento al centro Ortigia
連合軍によるオルテイジャ中心街への空爆
Bombardamento a Ortigia 連合軍による空爆
イタリアは第二次世界大戦で各地に連合軍から空爆され、チンクエテッラのそばのある村などは全て崩壊してしまった処もあります。北から南までものすごい空襲を受けたのが実状です。さらにひどかったのは逃げていくドイツ軍からも攻撃されたり、敵味方の両方から村人が沢山殺戮されたのでいっそう悲しい現実です。ある村ではドイツ兵1人がパルチザンに殺されると10人の村人が銃殺されました。
シチリア島のジェラやリカータ等の海岸沿いは米軍が上陸する(1943年7月10日)前にさんざん空爆されました、上の写真はその空襲にあったOrtigiaの中心街です。
ミラノでも市内や北イタリア空襲の写真を市役所で見た事がありますが、日本の人達はこの事情をあまり知らないようで,残念です。ファションやイタめしグルメも良いですが,このような日本と似た経験を持つ事をもっと若い人に知って欲しいと思います。
上は私が手伝う現代美術画廊Quadrifoglioのある通りVia SS Coronatiが英米軍から空爆された後の写真。今も隣のBarの壁に掛けてあります。
イタリア人は声に出しません。静かに悲しんでいるのですが、日本ほど敵味方がはっきりしていない(兄弟で敵味方になったり、丘の上と下で敵味方に別れたり)込み入った複雑な状態の戦いがイタリアの第二次世界大戦でした
I Bombardamenti a Tokyo nel 10 marzo'45 e aprile, maggio ecc nel 1945
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
爆撃写真を見ていると米軍が昔から敵国への破壊度や死者数、特に女子供の死亡数などに全く無神経なのがよく解ります。今もイラクでアフガニスタンで相変わらず続けて空爆しているのがその証拠です。歴史の中で騎士道の中世が無かった国なので戦いの掟など全く無関心なのでしょう、、ヨーロッパと日本で少し教えてあげた方が世界のためになるのでは、、
以前ある歴史家が『米国はこのままほっておくとあと1000年は戦争をし続ける』と言ったのを聞いた事があります。ほんと恐ろしい事ですね、、
そう私もしつこく繰り返しますが、米国とイスラエルは, はっきり言えば新しい国ですから、戦国時代がないのでそれなりに歩く道を,そろそろ指導するのも一案と考えます。
giovedì 1 aprile 2010
GUERRA DELLE IMMAGINI ゴジラ イメージ戦争
東京 ゴジラの逆襲 !?!
GODZILLA A TOKYO !!!
(上は私のマスコットゴジラ、よろしく)
下は笑っちゃうおふざけイタリアサイト(伊反百科事典サイトより抜粋)
" Scusi signore, ma per quale cazzo di motivo dobbiamo cominciare le invasioni sempre da Tokyo ? Non potremmo per una volta attaccare Bassano del Grappa ? "
- Un soldato alieno al comandante
『失礼ですが隊長、しかしどんなアホな理由から、いつも東京を侵略しなくちゃならないのですか? 一回ぐらいバッサーノ デル グラッパを攻撃出来ないのですか?』
(エイリアン兵より隊長へ)
( foto : Godzilla prepara il suo prossimo free roaming contro il Giappone dalla sua base non troppo segreta - noncicloooopedia)
(あまり秘密でない基地から次の日本フリーローミングを準備するゴジラ)
*************
1991年12月4日付 La Repubblica
Marco Panara TOKYO特派員
E' uscito in Giappone il diciottesimo film che ha come protagonista il celebre mostro. Ed ora incarna certe paure della società nipponica nei confronti dell'alleato
日本で有名な怪獣が主人公で18本目の映画が上映される。今は同盟国に対する日本社会の恐怖の化身となっている。
Godzilla è risorto
ゴジラの復活
Difende Tokyo contro i mostri venuti dall'America
アメリカから来たモンスターから東京を守る
マルコ パナーラ記者の全文はこちらから
http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/12/04/godzilla-risorto.html
日本で大学生の時はゴジラなどバカみたいで全く興味無しでした。ゴジラを初めて見たのはヴェネッツィアの小さな映画館。席の回りは小さい子供達でいっぱい、んで このヴェネッツィアのがきっ子たちが各シーンで『わ〜』『きゃ〜ッ』とか大声で興奮しているのを聞きながら、映画のラストシーンにゴジラの親子が雪の中を歩いていて、小ゴジラを置いて親が先に歩いて行ってしまいます。前に座っていた子供が横の親に『ねー子供独りおいてきぼりにして行っちゃうのー?』とたずねます、親は『しかたない怪獣だから、、』とか困って答えてます、すると映画の中は親ゴジラが子共がそばにいないのに気がつき振り返って子ゴジラのいるところに雪をかき分け戻ってきます、そして『ガオーッ』空に向かって、そのシーンが映った瞬間ヴェネッツィアのこの小さな映画館に起きたのは !?! 『うわーッ』とけたたましい子供達の喜びの歓声『うお〜やった〜親ゴジラが戻ってきた〜』前に座っていた親子と一緒に内心私もホッと、この時は私もヴェネッツィアの子供と一緒になってはしゃいで喜びました、そうこうするうちにだんだんゴジラも悪くないと思う様になり、、
しまいには夜中過ぎに伊テレビでやる古いゴジラ映画を見たくて、寒いなか(ミラノ市私のアパートは真夜中にセントラルヒーテイングを止めるので冬は寒い)眠たいのをガマンして毛布をかぶって待つフアンになりました(ちょう古い日本のゴジラ映画は宝田明、高島、久保、久我よし子の旦那等が出演していました)もちエビラやピーナッツが歌うモスラ、ガメラ等すべてイタリアのTVで見ました、、
これは私の誕生日プレゼントにもらった日本製のゴジラです。娘からなので今でも大事にしています。
『ホレ、ゴジラ君 皆様にごあいさつ』
『ガオー』とゴジラ 火を噴く
誰よりも日本のために頑張って活躍しているのは??
『 ゴジラ〜だ〜 』
今日は4月1日、この日は何か1ヶいたずらしないと気が落ち着かない、いつまでたっても直らない 困ったもんだ。
GODZILLA A TOKYO !!!
(上は私のマスコットゴジラ、よろしく)
下は笑っちゃうおふざけイタリアサイト(伊反百科事典サイトより抜粋)
" Scusi signore, ma per quale cazzo di motivo dobbiamo cominciare le invasioni sempre da Tokyo ? Non potremmo per una volta attaccare Bassano del Grappa ? "
- Un soldato alieno al comandante
『失礼ですが隊長、しかしどんなアホな理由から、いつも東京を侵略しなくちゃならないのですか? 一回ぐらいバッサーノ デル グラッパを攻撃出来ないのですか?』
(エイリアン兵より隊長へ)
( foto : Godzilla prepara il suo prossimo free roaming contro il Giappone dalla sua base non troppo segreta - noncicloooopedia)
(あまり秘密でない基地から次の日本フリーローミングを準備するゴジラ)
*************
1991年12月4日付 La Repubblica
Marco Panara TOKYO特派員
E' uscito in Giappone il diciottesimo film che ha come protagonista il celebre mostro. Ed ora incarna certe paure della società nipponica nei confronti dell'alleato
日本で有名な怪獣が主人公で18本目の映画が上映される。今は同盟国に対する日本社会の恐怖の化身となっている。
Godzilla è risorto
ゴジラの復活
Difende Tokyo contro i mostri venuti dall'America
アメリカから来たモンスターから東京を守る
マルコ パナーラ記者の全文はこちらから
http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/12/04/godzilla-risorto.html
日本で大学生の時はゴジラなどバカみたいで全く興味無しでした。ゴジラを初めて見たのはヴェネッツィアの小さな映画館。席の回りは小さい子供達でいっぱい、んで このヴェネッツィアのがきっ子たちが各シーンで『わ〜』『きゃ〜ッ』とか大声で興奮しているのを聞きながら、映画のラストシーンにゴジラの親子が雪の中を歩いていて、小ゴジラを置いて親が先に歩いて行ってしまいます。前に座っていた子供が横の親に『ねー子供独りおいてきぼりにして行っちゃうのー?』とたずねます、親は『しかたない怪獣だから、、』とか困って答えてます、すると映画の中は親ゴジラが子共がそばにいないのに気がつき振り返って子ゴジラのいるところに雪をかき分け戻ってきます、そして『ガオーッ』空に向かって、そのシーンが映った瞬間ヴェネッツィアのこの小さな映画館に起きたのは !?! 『うわーッ』とけたたましい子供達の喜びの歓声『うお〜やった〜親ゴジラが戻ってきた〜』前に座っていた親子と一緒に内心私もホッと、この時は私もヴェネッツィアの子供と一緒になってはしゃいで喜びました、そうこうするうちにだんだんゴジラも悪くないと思う様になり、、
しまいには夜中過ぎに伊テレビでやる古いゴジラ映画を見たくて、寒いなか(ミラノ市私のアパートは真夜中にセントラルヒーテイングを止めるので冬は寒い)眠たいのをガマンして毛布をかぶって待つフアンになりました(ちょう古い日本のゴジラ映画は宝田明、高島、久保、久我よし子の旦那等が出演していました)もちエビラやピーナッツが歌うモスラ、ガメラ等すべてイタリアのTVで見ました、、
これは私の誕生日プレゼントにもらった日本製のゴジラです。娘からなので今でも大事にしています。
『ホレ、ゴジラ君 皆様にごあいさつ』
『ガオー』とゴジラ 火を噴く
誰よりも日本のために頑張って活躍しているのは??
『 ゴジラ〜だ〜 』
今日は4月1日、この日は何か1ヶいたずらしないと気が落ち着かない、いつまでたっても直らない 困ったもんだ。
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