domenica 30 maggio 2010

ORTIGIA   ユダヤ地区


ORTIGIA の ユダヤ文化跡


ここには興味あるユダヤ文化と生活の跡が多くあります。何気ない門にバルコニーに建築装飾に、、暮らしているとポッと出合ったりしてあきません。パリにあるユダヤ歴史博物館は以外と私には期待はずれで図書館とか他の目的で使っているのでしょう。このORTIGIA の街の方がずーと面白い生きたユダヤ文化跡があちこちに散らばっているので私にはとても貴重に思えます。何千年前か何百年前か??推察するのも面白い、私は専門ではないですが考古学が好きな人にはよだれが出そうな街です。


VIA DEI TINTORI  「染め物職人通り」

近くの地域には「染め物通り」と呼ばれ染色業に就いていたユダヤ職人地区がある。小メインストリートが VIA DEI TINTORIでここからRONCO III DEI TINTORI とか RONCO IV DEI TINTORI 等の更に狭い路地が交差している袋小路。


VIA DEI TINTORI 「染め物職人通り」と RONCO III DEI TINTORI



RONCO IV DEI TINTORIとモダンなロンコ 1°(小さな共同中庭)新しい家の大家さんがこの写真を見てキャーと叫ぶ「私が生まれた時にお父さんがお母さんにプレゼントした家なの」縁はつづく。




 

ここも小メインストリートのVIA DEI TINTORI から出るRONCO IV DEI TINTORI とかロンコ何番と呼ばれる袋小路が多い。



Ronco Residenceと行き止まりのRONCO(青空共同中庭)にソファーをおいて夕涼みする人達とばったり、、
                         
ここも狭くて窮屈そうな、中が暗い厚い石の住宅が密集しています。歩き回り人の中庭に出てしまい丁度住人がいたら明るく笑って「ブオンジョルノー」と挨拶すれば怪しまれない、、相手も慣れている。


VIA DIONE (デイオーネは紀元前409年-355年シラクサ)通り






すぐそばの通りVia Dione 58 にあった古色蒼然としたダヴィデの星がある門扉。ちなみにこの通りの名前の主デイオーネ はプラトンの才能を尊敬していた。Dionisio王はDioneと対立しその仲介にきたプラトンが王自身の徳や作詩を評価しなかった事に怒りプラトンをカルタージネ(今のチュニジア)に奴隷として売り飛ばす。その後アテネに生還したプラトンに「俺の事を悪く言うな」と手紙を書いた、いいかげんな暴君。ギリシア劇場遺跡のそばにデイオニジオの耳と呼ばれている深い音響の良い洞穴がある、Dionisio(別称Dionigi)王は政敵をここに閉じ込めて上から彼らの談話を盗聴した。今も昔も暴君のやる事は同じ。


PALAZZO MERGULESE - MONTALTO


アルキメデス広場VIA DIONE の始り又は VIA DEI TINTORI からSANTI CORONATI 通りにぬけると1397年のゴシック様式 PALAZZO MONTALTO があります。他にも色々興味深い跡が残っています。



ヴィア デイ テイントーリ通り参考地図