venerdì 15 agosto 2008

MICHELE SANTORO   ジャーナリスト戦士

事実と言うパズルを組み合わせ真実の絵図をあぶり出す追求姿勢

ミケーレ サントーロと東京裁判
1980年代ミケーレ サントーロに初めて「ん?この人、誰?」と気がつき、記憶に残っているシーンが幾つかある。大分昔に映画「東京裁判」がRAI TVで放映された時に映画の後のトークメンバーの一人として「自分は通りすがりの普通の人間だが、言わしてもらうと」と前おきして話し出したのが新鮮だった。欧州では今気ずかれ始めているが、当時既にサントーロは「インドの弁護側から言われているがこの日本の戦争はアジアの植民地解放戦争だったのでは?」の問いに出席者の日本人弁護士は「いや、経済侵略戦争の一種でした」と苦笑しながら答えていた。サントーロは日本の大東亜戦争の勝者側からでない事実を模索していた、この彼の真剣な姿勢とイメージが私の脳裏に未だに焼き付いている。これが私がミケーレサントーロを知った時だった、同じ様に日本の映画「東京裁判」を見たのも初めてだった。思うにあの頃から彼の事実と真実を追求する姿は、変わりなく今に続いてるんだ、、感動。


MICHELE SANTORO & SAMARCANDA    湾岸戦争編

今も続く彼の人気トークショウTV番組のうち 湾岸戦争時代の ピークとも言えるのが SAMARCANDA 。この番組の中で1、2回あった湾岸戦争賛否論争。出席者は米国軍事戦略評論家Edward Luttwak , 日本に住む米国人Clark、在イタリア米国大使 Peter Secchia 等がそれぞれの意見で活発な論争をした。この出席者と共に他の人達も交えて湾岸戦争の正当性が審議され、この回は当時の番組の中でも非常に有益な湾岸戦争是非討論が交わされたので、TVトーク番組史に残る秀作と思える。

ただ私がピックアップするのは可笑しかったショットのみ、、すいません。

クラークが「自分の国アメリカは日本と同じく島国だ」に、サントーロの言葉「何、言ってる!アメリカは島ではない、あれは大陸と言うのだ !」に思わず吹き出した。Clarkは「アメリカでは貧乏家庭の若者は勉強を続ける為に軍隊に入る、だから貧乏人ばかりが戦争に駆り立てられる」と戦争NO組、当時はイタリア人にとって貧乏なアメリカ人は想像しにくく半信半疑の雰囲気がスタジオにあふれた。いわゆるRICCO ZIO AMERICANOアメリカの金持ちおじさん、が当たり前と思われていた。

米国軍事戦略評論家のサデステイックともとれるEdward Luttwakの言葉に耐えつつ、彼の米国側戦争正当論を聞かなければならず、いやーな感じでTVを見ていた、当時日本は戦争不参加だったので出席者達から尊敬されていた、そのイライラからか話の途中で「米国は日本製の新しい戦車を使用してるがこれがなかなかいい性能だ」「ん?」サントーロすかさず「そんなはずはない !」確かに、私も初めて聞く、いつから日本はアメリカの為に戦車を造っていたのだ?そんな馬鹿な、、日本は軍事品は鉄砲の玉一つさえ輸出してない、と聞いている、この言葉にはビックリ、おまけに意地悪じいさんみたいなLuttwakが言うのでよけい嫌がらせ的。

在イタリア米国Peter Secchia 大使は後に私的な事だが、任務が終わり伊を離れる時は家族皆で船で日本に寄ってその後帰国すると話していたのが何故か印象に残っている。他局の番組にもイタリアにいる米国人が蜘蛛の子みたいに何処からか、わらわら現れ、この民間人が米政府の主張を口を揃えて唱える、何でそんなに連帯するのか不思議、しかも良く揃えてある。もち、日本人は何処にも皆無。

この時のサマルカンダへの出席者は紙とかのあんちょこを見てはだめ、という約束で自分の口からでてくる言葉のみ、でお互いに討論し合った。この放送番組の資料videoを探したが見つからない、残念。


1991年著書 “Oltre Samarcanda” をSperling & Kupfer 社より出版

その後彼はジャーナリストBIAGIと共に当時のBerlusconi政府を批判、首相の御機嫌を損ねRAIから一時期、日干しにされた事がある。


いい加減とか数字が違っても平気等とイタリア人にケチをつける人がいるが、どんな圧力を受けても怯まないこのイタリアジャーナリストの、戦士の様な頑丈な意思で権力に抵抗する姿は数字や小さな正確さよりずーとすごい。