martedì 30 dicembre 2008

SOL LEVANTE 日本とイタリアの 日ノ出


Felice Anno Nuovo 2009年 良い新年を !

( a Bretagne)
1990年度 年末の出来事 KEY WORDS

( 年忘れ言葉合わせ ソ連邦帝国の崩壊開始) 

ソ それでコッシガのピッコナータ真実吐露始め PICCONATA di
 COSSIGA(コッシーガ師,真実の著作に期待,待ってま〜す)
連 連帯した軍隊式グループの反共活動地下部隊 GLADIO
(ROMA は太古から GLADIATORE が ARENA で戦っていた)
邦 邦人は入れない NATO STAY BEHIND
(non era NATOper morire ? NATO傘下の対共産主義防衛戦略)
崩 崩れた後は帝国意識のみ生き残り CROLLATO UNIONE
SOVIETICA (Golf の影で見えにくかった大崩壊、でも大歓迎)
壊 壊れた地上を守る地下資源と地下組織 
  (ハイ 皆様お疲れ様です、、穴から出て来て)


1990年は代表選手であるソ連と米国の間で戦った東西冷戦が一応?終了開始。全世界にとって大事件だったが、せんこ花火のような湾岸戦争の影で色あせてしまったみたい。この冷戦中に膨張して権力を手に入れた諜報機関や国防総省は本来の任務からかけ離れ、軍産複合体その他僅かなパーセントの利権代表ロビー等は野望と標的を他に移転。その存在とプライドや利権を保守する為に次々に新しい戦争の火種を作って世界中に蒔いて歩く案を彼らの大量従業員を使って実現していくのでした。世界の皆がそれを知っている、なのに間違った道(歴史)を歩いているのを忠告出来ないでいる。そして私が何時も考える1点、すげーお金がかかるこの全組織と活動費用って何処から出すのかな〜? 巨額の費用は米国民の税金だけではとても間に合わないのでは?んじゃーどこからかな〜 ?武器を双方に売り歩くのがそんなに儲かるのかな?米国だけではなく世界どの国もその手は汚れて血だらけ、あちこちで局地的な人間への虐殺が毎日のように起きている、現実に人を殺す事が平気になっている、文明文化の衰退期なのだろうか。

何処か遠い宇宙で地球を観察している媒体がいたら 言うかも「あの地球の人間っーのは馬鹿か?」戦争と犯罪の違いはどこにあるの?金貨の表と裏それとも双頭の人間動物?


独りで過去のニュース記事を選び 昔のラブレターを読むように思い出した事など、私の勝手な意見と一緒にぽつぽつメモっています、寄ってくれて本当にありがとうございます。同じ思いの友人が出来るといいな、、

銃砲に沈黙を.. .. .. .. みんなに幸せと平和な新しい世の中を願って。

giovedì 25 dicembre 2008

SILENZIO DA PAPA  パオロ法王から世界に「沈黙を」

PAPA GIOVANNI PAOLO II の言葉

1990年12月 クリスマスの夜は法王と世界の祈り
Notte di Natale 1990

Papa Giovanni Paolo II dice :
" la guerra è un' avventura senza ritorno "

La guerra è una avventura senza ritorno, è sempre possibile invece individuare la strada del dialogo, della pace e dei diritti inalienabili dei popoli. Sono le severe parole con cui il papa nel suo messaggio di Natale si è rivolto a quanti sono interessati alla crisi del Golfo, primi fra tutti il presidente americano George Bush ed il dittatore iracheno Saddam Hussein
(略)
Giovanni Paolo II rivolgendosi, anche senza nominarli, a George Bush e a Saddam Hussein, si persuadano che la guerra è un' avventura senza ritorno, appellandosi alla ragione, alla pazienza, al dialogo e al rispetto dei diritti inalienabili dei popoli e delle genti. Bandire per sempre il ricorso alle armi ha invocato in sintesi il papa sia per risolvere la crisi del Golfo che per affrontare qualsiasi altra tensione in ogni angolo della Terra e far posto ha sottolineato ancora il pontefice alle strade delle intese e della pace.
(略)
Orazio La Rocca     27 Dicembre 1990 - La Repubblica

(この法王の言葉は日本では子供の時から聞かされている平和論なので特に訳しません。ただ政治家や経済学者等が語る平和論が正しく法王の平和の言葉は軽視するのは公平と思えない)
 
Wojtyla chiede al Mondo " Silenzio "

今日はレアルタイムでもNatale、湾岸戦争前 1990年のクリスマスに ジョヴァンニ パオロ 2世 は世界に向かって「沈黙」を乞うと伝えた、、騒がしい軍亊大国のメデイア太鼓に反対した法王の戦争拒否でもある「NO」として「沈黙を」と、、どんなに世界中の普通の人々、私や貴方が祈ったか  、、でも爆弾は Bagdad に落とされた。

湾岸戦争はブッシュ、サダム、ジョヴァンニ パオロ法王の三つ巴の戦いでもあった。戦争を始めさせない為に法王はあらゆる力をふりしぼっていた。こんな強い王を持つヴァティカン法王庁は暫くぶりなのでは、、昔と違い今は軍隊無し、それでも世界のすみずみ 地の果てまでこの国の現地従業員が真剣にお勤めをしている。

ウオィティワの忠告をもう一度心の中で静かに繰り返す「戦争とはひきかえす事が出来ない冒険である」。ほんとだな〜武器を持って戦いに出て行けば、必ず血の泥沼道を歩き、破壊が待っている、町や家だけでは無い、人々も、特に女子供、そして文明文化、神経や心さえも壊していく、肉体に銃弾を受けナパームの火傷で皮膚がずれ落ちても年月が経てば回復するだろう  、、なのに心に受ける傷は誰もが計算に入れるのを忘れている、その傷は まいた種の実であり、それがさらに報復(別名テロ)と言う新たな攻撃に変身していく、

ぐるぐる と変化無しのどうどう巡り、終わりの見えない 長い長い戦争という いかさま劇

人間は考える葦」とパスカルは言った、嘘だったのかな?


" In qualche modo l'umanità attende Dio, la sua vicinanza.
Ma quando arriva il momento, non ha posto per Lui.....Esistono quelli che lo accolgono e così, a cominciare dalla stalla, dall'esterno, cresce silenziosamente la nuova casa, la nuova città, il nuovo mondo. "
( Natale 2008, da Vatican Asianews )



Pace dentro, Pace fuori....



Buon Natale a tutti lettori !!

(パリ市は燃料節約型ライト使用:2008-Avenue des Champs-Elysées

良いクリスマスを過ごして下さい

domenica 7 dicembre 2008

ALTRA CULTURA 文化生活大国へ

7  December     Pearl  Harbor の日に思う

文化生活大国への変身

提案 日本娯楽小説を翻訳して世界へ

今日は12月7日 何処かの国がギャーギャー騒ぐ真珠湾攻撃の日、欧州人からはあまり言われた事が無いが。人に言えないが、告白すると未だに私は何故パールハーバー夜襲突然攻撃が悪いのか分からない。「日本時代小説の色々な戦物語に書かれているし、奇襲戦とは一つの戦略だし〜どこが悪いのかな〜」とぶつぶつ文句つけたら 子供に言われた「古代ローマ軍が夜襲奇襲は卑怯な行為と考えていた、それが近代まで受け継がれ、西洋的現代史の常識になっているの」だそうだ。いくら言われても70年以上前にはまだ武士道精神が残っていた頃で西欧は遠く、当時の国際状況知識度は超低かったはず、今でさえ読めてない有様なので私にはピンとこない、これが文化の違いと言うものかな、どうしょうもない(内緒)。

今日本語を勉強する若い外国人は多い、そこでそろそろ彼らに活躍してもらい日本文学のジャンルのなかのエンタメ的な小説やエッセイを翻訳し始めても良い時期が来たのではと思う。すでに漫画を翻訳する若者達も増え始めた。ミラノでは日本語科を卒業した人達は就職先が無く、仕方なく英語を扱う仕事に就いた人が結構いた。昔私がヴェネッツアでグラッフィク工房勤務のあい間にCa Foscari日本語学科の卒論を手伝った生徒達も最後は英語の先生になってしまっていた。でもあれから時代が変わった、非常に変わった。  翻訳の専門では無いので細かい行程は分からないが 最初は一人(ネイテイヴ日本語)が日本語から翻訳し、その後は日本語研究者の各国ネィティヴが相互に検討しつつ翻訳完了する二人三脚方式ではどうだろう。安上り方式なら、最初英語にして、それから各国語に翻訳。

もちろん純粋文学の翻訳はこのまま進めていくのだが、気晴らし的な(失礼)日本娯楽小説も捨てた物ではない。

私がファンなので言うわけではないが、柴錬などきっと上手に翻訳できたら人気がでるだろう。忍者小説 山田風太郎、柴田錬三郎等、軽い楽しい怪しげなファンタジーな世界を今人気のある漫画家にイラストを描いてもらい、挿入すればきっと受ける、かつ庶民的なプライスで。登場人物の時代が理解しやすい様に時代考証的な当時のイラスト、日本地図や政治形態説明図とか人物,時代解説を付けたせばよい。今フランスでも読まれている漫画「子連れ狼」は最後の頁に徳川幕府等の解説辞書付で解り易い。武蔵を描いた SAMOURAI 漫画「ヴァガボンド」も売っていて楽しい。十年以上前にミラノで買った吉川英治の小説 宮本武蔵のイタリア語訳は10cm 位の厚さの本でびっくりした思い出があるがイタリアでは人気があった。今フランスの子供達が FNAC や Virgin でサムライ漫画や「BLEACH」等を床にぺタッと座り込んで読んでる姿は本当にかわいい。

漫画がこれだけ若い人達に受け入れられるのだから、ちゃんばら時代小説、忍者小説などきっと面白いのではと思う。今がチャンス「鉄は熱いうちに打て」の如く、日本娯楽時代小説も漫画と一緒に世界に飛んで行くといいな。


domenica 30 novembre 2008

RENATA PISU レナータ ピズーの視点

GIAPPONE RICCO DI GENTE POVERA  日本は貧乏人がたくさん

Renata Pisu

1990年12月7日 付    La Repubblica

Rimasto fuori dagli ultimi grandi eventi internazionali , il gigante economico rischia ora di diventare un nano politico
最近おきた国際的な大エヴェントに外れて,経済巨人は今、政治小人になる瀬戸際
Giappone ricco di gente povera
日本は貧しい人達がたくさん
Scene di quotidiana alienazione nel paese che odia gli stranieri
外人ぎらいのこの国に毎日おきる異様な風景
Dentro una Tokyo che appare sempre piu come una macchina perfetta vagano enormi masse di nuovi nomadi urbani con loro yen in tasca.
ますます完璧なマシーンの様な東京の中には、彼らの円をポケットに詰めたニューシティージプシーの群が彷徨している
Sono tutti sospinti dall’idea che solo comprando,a qualunque costo ;anche a rate,riescano a dare un senso collettivo alla loro esistenza
皆どんな値段にしろたとえ月賦でも、何としても買うと言う事が彼らの生きている証の共通意識なのだ。 


(foto)Metropolitana di Tokyo : un passeggero cerca di scendere dal finestrino della carrozza vista l’impossibilità di accedere all’uscita per il troppo affollamento

(写真下)東京の地下鉄にて : あまりにも混んでドアにたどり着けそうにないと判断した乗客の一人は車両の窓から降りようと必死。



     


メーメーきゅうーくつーじゃー




Ma per evitare che il tassista rifiutasse di caricarmi,avevo rialzato il bavero della giacca e mi ero coperta la faccia con la sciarpa. Cosi da lontano forse non sembravo una « gaijin », cioè una straniera. Ebbene,ce l’ho fatta a ingannare il tassista.
タクシー運転手の乗車拒否をさけるために私はコートの襟をたて、マフラーで顔を隠す、こうすれば遠くからは « gaijin » 要するに外国人に見られない。やった〜タクシーの運ちゃんをだませたぜ。

Il quale, quando mi ha scoperta « aliena », mi ha detto che lui non è razzista, per carità, nessun giapponese lo è, ma il fatto è che sono isolani,loro,e i « gaijin » gli incutono timore, gli fanno venire dei complessi di inferiorità. Cosi se tassista non ti carica devi capirlo, è che soffre di un complesso di inferiorità nei tuoi riguardi. Non di superiorità, non sia mai.
彼が私を « エイリアン » と気がついた時に、俺は人種差別者じゃないと私に言う、めっそうもない、日本人の誰もそうじゃない 、ただ島の村人なだけなのだ、彼らには« gaijin »は心配の種で劣等感をよびおこすのだ。だからもしタクシーの運ちゃんが貴方を乗車させないのは、貴方に対して劣等感に悩まされるからだ、というのを解ってあげなくてはけない。全く優越感からじゃ無い、ぜったい。

Ma che complesso di inferiorità possono mai suscitare quei « vu cumprà » americani del nord, che vengono collanine,accendini a altri gingilli alla gioventu nipponica lungo il viale di Omote Sando ?
表参道で日本の若者にネックレスやライター等のがらくたを売っている、あの北アメリカからの押し売り達 " vu cumprà " に 何の劣等感をよび起すというのだろうか? (略)

Alla ricerca di un qualcosa che sia trendy e disposti a pagarlo anche a rate perchè non è vero che siano tutti ricchi, il Giappone resta un paese ricco di gente povera che adesso si ritrova nella condizione di mutante.
たとえローンで払っても何かトレンディな物を探しだす 、全ての人が金持ちなわけじゃない、日本はプアーな人々がリッチにいる国で、今はミユータントになるところにきている。(略)

E loro giapponesi sospirando rispondo che è sempre stato cosi in Giappone, che si è sempre dovuto imporre tutto dall’alto, riforme, modernizzazione,democrazia.
日本人はため息まじりで答える日本はいっつも昔っからそうだったと、改革、近代化、民主主義も全て上から押し付けられて対応してきた。      
Insomma, pare quasi che si lamentino di questo loro popolo bue, tanto bue che non si lamenta nemmeno di loro e che è cosi in simbiosi con il sistema da costituire una zavorra nel momento critico della mutazione. Che è in atto, riconoscono,ma che va guidata. Penso che invece di lamentarsi dovrebbero ringraziarlo il loro popolo.
ようするに、牛の如きこの国民に対して何の不満がある、、あまりにも牛なので突然変異の重要な時にもバラストを構成するシステムと共にあっても不平も言わずいる。そんな場にあっても上から指導しなければならないだと、
思うに文句をつけるより、かえってこの国民に感謝しなくっちゃいけない。

            

Renata Pisu記者の記事全文を紹介出来ないのが心残り、彼女の書く日本情報に不満の伊読者もいるみたいだが、私にはとても面白い、何時も楽しく読んでいる。彼女は中国が専門だから中国情報を書けばいいと言う人がいるが、そうは思えない。日本人の偏屈な行動、歪曲した神経質な思考グセなど彼女自身も結構楽しんでいる様子。日本人を細かく観察して描写が出来ると言う事は彼女自身も繊細な受信機だと証明している。

レナータ ピズー記者へ、お願い又日本を訪ね面白い記事を沢山書いて欲しい、日本は貴方を退屈させない、今もどんどん変化変身していまーす。

イタリア人には常にアイロニーがそなわっている、日本人には想像もつかないほど、、自身も含んで面白く皮肉って笑いその場を軽くする技、究極のジョークも伴って人生を楽しむ術は素晴らしい。伊人の中には日本人とつきあっていて次第に嫌いになっていく場合もあるようだ。少し解る気もする、人間的あまりに人間的なイタリアーニは時に建前と本音が共生する日本人がめんどくさくて疲れるのだろう、さらに影で毒のある棘に刺されたりすればますます嫌気がさして、その後米国に行ってその気軽さに安堵していく。時々ひょっと頭に浮かんで来るイメージは麻雀のパイをガチャガチャかき混ぜる様に、日伊の人々を混ぜあわせてその中の中庸を取ったら面白そう。

昔横浜から東京まで満員電車で通ってたけど、あれから年月たって日本に寄ってもまだすしずめラッシュは変化無しでショック。押しつぶされながら涙が出ない様に苦労した、先進国なら30年経過すれば問題点は少しは改善されるはず。「ラッシュ見学したい外人がいるワッハハ」と笑う東京都の役人がいた。欧州ではラッシュアワーは悪政の見本、あの日本が、、と反発材料、物笑いと軽蔑感(日本の政治家、官僚に対し)でニュースになっているのに気がつかない。羊の写真と意訳は私が入れました、すいません。

参考までに : 下は2003年にEUが交付した、屠殺用の動物運送に対する(運送車や列車内の十分なスペース確保と休憩時間を入れる等)家畜待遇の改善規定。


日本のすしずめ電車内の人々、学生、サラリーマンは家畜以下なのか?
何とおとなしい哀しい羊たち、、もっと怒れッ怒れッ。


giovedì 27 novembre 2008

GIAPPONE SCONOSCUTO   未知の世界

Un  libro  importante  per  Giappone  "   DOG  &  DEMON   "

今日は私にとって特別な日、11月27日。私が世界で一番愛する大切な人間の誕生した日なのだ。日本は女独りで働きつつ子供を育てられる環境が揃って無い、と判断してうん十年前に女性に冷たい母国よりイタリアを選んだ、だから今では心からイタリアに感謝している。そんな私が超親馬鹿になる日、まあ我が愛娘の Happy Birthday 何をプレゼントしようか迷ったが見つけた。この本に決めた,英語版もある。

まだ読んでない人がいたら是非一読をお薦め「犬と鬼」知られざる日本の肖像  ALEX KERR (アレックス カー) 講談社 2002


この本を読みつつ、沢山の思いでが次から次へと回り灯籠のように浮かんでは通り過ぎて行く。

何故か特に印象に残っているくだりは、某氏が日本を訪問し窓の外を見るに耐えず電車の中でずーと目を閉じていた話。私の学生時代、横浜に住み大学は東京に通っていた時、横須賀線又は京浜急行線に乗っている間は常に目をつむっていた。私にとって窓の外は見るに耐えない醜悪さ、私は生まれてから大学まで一度も日本の外には出た事がなかった、にもかかわらず何故かいたたまれない気持ち。

私の哀しみは見事にこの本に表現されている。戦争の破壊から逃げる手段で押し進められた見苦しい都市造り、さらに国民の生活も、そして古い制度やメンンタリティ—さえもそのまま置き去りにして日本中がビル立て直しに無我夢中で働いていた。ビルと道路建設用ドリルの騒音が子供の時の東京の思い出でもある。

「銀座を早朝歩いて石ぶつけるとD社の部長にあたる」とからかわれた会社に勤めていた父と一緒に夕食を食べた記憶がほとんど無い、朝食も同じ、異常に早い早朝部長会議がある会社だった。普通の人達の幸せな生活を犠牲にして建て続けたのは、醜悪な建築物群だった。

勿論あの戦争は知らないが、でも戦後というのが私の時代なのでよく覚えている、負けたからしかたないケバケバ下品な色のパチンコ屋、やくざがのさばって経営する娯楽施設等、、もっとも半世紀以上たっても未だに戦後が続いている気配は変わらないが。里帰りすると不必要に大きなビルを建てている、まるでファシスト時代の建築物の如き吹き抜けロビー、恐ろしく巨大である。父親を奪った会社も同じく巨大ビルにおさまっていた。そばには皆の父親の血を吸い取って巨大企業に膨張した各社のビルが建ち並んでいる。その一部を引っ掻いて壊したらきっと子供とくつろぐ時間を持てなかった父親達の血と涙が噴き出してくるだろう、、何時まで続けるつもりなんだろう。

まず初めに人ありき、」と言ったのは誰か知らないが、、何より第一番目に人間がいる、生活する、それも楽しく、そんな空間は日本には期待出来ないのだろうか? 

その回答を得るためにも、日本の未知の世界を覗ける本、沢山の人に読んでもらいたい。

sabato 18 ottobre 2008

PER SUPERPOTENZA CULTURALE 文化大国への道


Per la trasformazione culturale di una superpotenza economica

経済大国から文化大国へ変身

今翻訳に手間取ってるのでその間、日本の達成すべき目標と未来への提案 なんてすごそうなフレーズに見えるけど、自分が肌でじかに感じ経験した身近な事をメモってみた。

日本はまだ世界第二の経済大国などと、おだてやでっちあげにのらないで、着実に歩いた方が賢明、お金持ちになったと言うなら、、じゃ次は本物の文化大国になろう。
(軍事大国、軍備などほっておいていい、公開情報の収集や分析がしっかり出来ないのにどうやって戦争情報の分析、対処が出来るのだろう、よその国から「どうもすいません」と貰うのだろうか、武装軍備拡大は人殺しが好きな国がやれば良い)

日本はベースになる古典文化はすでに持っているが、、これから出来る、やるべき事は山ほど、いっぱいあるのだ、、

日本を知りたい又日本語を勉強する日本好きな人から聞かれる

「映画館であまり日本映画を上映しないから、DVD借りて見たい?」、各国の日本文化会館には数が少ない、例えば在仏パリは持ち出し制度も無く館内で見なくてはならない、カセットがほとんどで監督は黒澤作品等古い物が少し、今の若い監督作品やDVDなど無い、ホント。自国の文化普及に何より簡単なのが映画、「質の良い映画はその国を助ける」誰が言ったわけではないけど、私の考え。 ちなみにパリ在仏イタリア文化会館は何百というDVDがガラスケース棚にいっぱい揃っているデシーカのクラシックから今の若い監督作品まで、、貸し出し持ち出し可、制度なので家でゆっくり見る事が出来る。これが文化国家の格差?
確かにイタリアは日本より経済面で立ち遅れているかもしれないが、治安や組織力でも、ただ国というのはそれらやお金だけでは測量不可能な総合体。

「ようやく夢がかなって、日本に行きまーす、それで好きな盆栽を本場で見たいので盆栽博物館は東京の何処にありますか 住所を教えて下さい?」「うむ うむ む む、、アリャそんな博物館あったけ?」(内心やばっ、地方に植物庭園兼盆栽園ならあるけど、、そこに行くには交通機関がちと難しい)「まあ、まあ、そのうち大きな盆栽博物館が出来るでしょう」とか言ってお茶をにごす、冷や汗。

「日本の本当のKIMONOを着て本場で日本舞踊をほんの真似るだけでいいので、そんな体験できないでしょうか?」この日本舞踊の言葉の部分をあらゆる日本文化芸能や工芸品の言葉にいい変えれば、、予算の無い若者達の希望がリストアップされる。
「あのねーその工芸品は作ってる地方があってそこの名産物だから、その地方に行かないとダメなの」漆はどこそこ、和紙はどこそこ、織物はどこそこ、あー日本陶器狂いのこのパリジャンにあの瀬戸の瀬戸物市バザールを見せたら死ぬほど喜ぶだろうに、、

仏貴族が「この浮世絵の版画は曾祖父の所有品ですが何て書いてあるのでしょうか?」「むっ、読める漢字は少ない、ひらがなが少—しけはいで解るぐらい」「こんな草書でくずれた書き方みたことない」(おじいちゃーん助けて、おじいちゃんはすごかった,そういえば、おばちゃんもミミズがはってるようなひらがなが並ぶ源氏物語を読んでたなー)

結論 今はWEBちゅうもんが出来たので、読めない古典の草書等は日本の国立、県立、何でもいいが、希望者には無料で現代日本語に変換してくれる公立機関があると良い。知る人ぞ知る的な機関でなく広く文化広報として広範囲にPR後に開始する。原文や原画をスキャンしてNETで送付すると日数がたってから現代語になって返信とか、、勿論外国向けの日本文化事業サービスとしても有効なのでは。

今、源氏物語千年記念とか、ちと広報期間が少なさ過ぎる、世界は日本の中の様に伝達が早くない、東欧の人に伝わるのに丸1年はかかる、もっとかも、クロアチアのアーテイストが年が終わる今頃知ってがっかりしている。何事も2、3年以上かけてPRした方が効果があるのでは。

それにこれからは中央アジアにまで広がって行く将来はもっとゆっくり企画をたてて彼らにも楽しんで欲しい。

んでよく聞かれる質問 「日本はお金がないと楽しめないって、、ホントですか?」。これをパリッ子に言われると「 NO 」と言えない


mercoledì 8 ottobre 2008

UN ALTRO MONDO   異質な世界

Alberto Ronchey

1990年11月24日      La Repubblica

Il Giappone che incalza da tanto lontano…
遠くから追い迫る日本、、
Eppure, tanti o troppi occidentali ancora non sanno spiegaresi perché il Giappone avanza e incalza sui mercati …
それにしても、あまりにも沢山の西洋人は日本が何故こんなに市場に追い迫ってくるのか説明がつかないでいる、、、
(略)
La risposta piu frequente si riassume in poche parole : « Quello è un altro mondo ».Come confessare che tutti piu o meno sanno cos’è il Giappone, ma non lo capiscono e neanche vogliono capirlo.
よく聞かれる答えとして簡単に言えば「あれは別の世界」。言ってみれば誰もある程度日本がどんなものか知っている、しかし理解出来ず又解りたいとも思わないのだ。
(略)
Prevalgono spesso l’incuriosità e la cieca ostilità, se non anche il dileggio. Il Giappone risulta distante, freddo, alieno persino a quanti nelle loro imprese lavorano su circuiti integrati Nec o Toshiba, mentre i loro figli non sanno fare a meno dello stereo Sony, del fuoristrada Nissan o Toyota, del motociclo bolide Yamaha, Honda,Suzuki.
嘲り笑いでなければ盲目な敵意と無理解が常に優勢である。多くの人達は NEC や Toshibaの関連企業で働いていている 又その子供達はSony のステレオ、Nissan やToyotaの四輪駆動ジープとかYamaha ,Honda,Suzukiのオートバイ無しではいられないのに、でも彼らにとって日本は遠く、冷たくて異質というありさまである。

E poi offende, o distruba , quell’inesplicata e recente ricchezza che compra tutto, sui mercati immobiliari e nelle aste internaionali di patrimonio artistico.
そして最近の説明がつかない成金、 侮辱的で邪魔でもあるが国際市場で不動産や競売の美術品を全て買いあさっている。
(略)
Ma non c’è niente da imparare ?
だが教わる事は何もないのだろうか?

Sarà vero inoltre che la selezione meritocratica e la competizione individuale, nelle scuole o nelle fabbriche giapponesi, impongono una severa disciplina interiore, ma chi puo dimostrare che sia un male ?
個人競争や実力主義が 日本の学校や工場では厳しい内面の規律が課せられるのは事実だ、しかしこれを誰が悪い事と言えるのだろうか?

Eppure, un giornale inglese definisce quella società workaholic, « ubriaca di lavoro », forse per plagio collettivo,.
にもかかわらず英国の新聞はあの社会はワーカーホリック「仕事中毒」多分 集団奴隷状態 と決めつける、

Un settimanale francese intitola l’ultima inchiesta sul remoto arcipelago : Fous, fous, fous ces japonais.
仏週刊誌が行った遥か彼方の群島の最新調査のタイトルは : 愚か者馬鹿馬鹿それが日本人
(略)
Un sindacalista italiano racconta d’aver visto una fabbrica giapponese di orologi dove nessun operaio, in quaranta minuti, ha mai sollevato la testa né pronunciato parola, concluendo che « quello è schiavismo ». Sicuro ? Ma non somigliano a quegli operai tanti nostri figli, o nipoti, davanti a un videogame ?
伊の組合関係者が日本の工場で見た事を語るには、時計工場で40分間というもの誰も工員が頭を上げなかったし話をしなかった、結果として「あれは奴隷制度だ」確かだろうか?自分達の子供や孫がヴィデオゲームに向かっているのと似ているのではないだろうか?
(略)
Ma perseverando nel dileggio primario e nell’incuranza megaleuropea, l’irruzione dell’industria giapponese nel mercato unico del ’93 è uno storico incidente che aspetta solo di accadere. Per gli europei, allora,sarà come vestirsi di tutto punto e non andare da nesuna parte.
しかし無頓着 なメガヨーロッパの嘲笑に耐えつつ1993年の欧州統一市場を前に日本企業の侵入現象が起きると言う 歴史的な事件を待つばかりである。その時、ヨーロッパ人にとって外出の正装をしたはいいが何処にもお出かけしないという事になる。


Alberto Ronchey記者の記事は「さて皆の衆 日本に御注意あれ、御警戒」と呼んでいつつ、欧州人として反省も促している。でもロンケイ記者の言葉は私にはいつも優しく響く、書く記事にしろ会議やTVで話をしている時も、、何故か彼が日本を気に入ってるのが感じ取れる(きっと色々な日本文化の本を読んで研究しているのだろう)ありがたい話し手だ、、こういう人が一人でも増えてくれると未来に希望が持てる。La Stampa の編集長、文化大臣等を勤めた。

1991年にRizzoli から「 I limiti del Capitalismo —資本主義の限界」を出版、他に著書多数2007年にはGarzanti から「 Viaggi e paesaggi in terre lontane - 遠い地の旅と風景」が出版された。
http://www.ibs.it/code/9788811740704/ronchey-alberto/viaggi-paesaggi-terre.html

彼が2005年に IL MORINELLO賞を貰ったのが嬉しい。とても若く今82歳と思えない思考明晰というか、しっかりした話し方で驚く。授賞式でスピーチするロンケイ氏。

http://it.youtube.com/watch?v=rUL_Bsbsj-c
(彼に賞杯をもたせろ、、)
               
彼は「好きな色はTerra di Sienaだ」と言っていたけど、どんな色あい

こんな色かな?(私)       
             

アルベルト ロンケイ記者の傑作な言葉
「 Raccontare ai giornalisti stranieri la politica culturale italiana non è cosa semplice. Bisogna prima di tutto cercare di non ridere」
「外国人記者にイタリアの政治環境を語るのは簡単な事じゃない。まず最初に必要なのは笑っちゃいけない事」