giovedì 27 agosto 2009

MIO MARE 私の海

AMORE   MIO  MARE      


横浜育ちの私はどこの海も大好き
















 

 









MARE DI ORTIGIA






  





    

CHIESA S.G     e      CATACOMBE



















TEMPIO DI MINERVA   -  DUOMO DI  SIRACUSA














                                    

             
DIONISIO の 耳 。右は神輿                     



   






                                                                     

 RICOTTA  FRESCA DI SIRACUSA                      TRAMONTO DALL'AEREO






私の夢がかなったシラクサ、シチリア上空の夕焼け


Arrivederci a Siracusa - Ortigia !!


martedì 25 agosto 2009

AMICI PER SEMPRE    永遠の友人

Questo lo dedico al mio amico Mario Cucè che ha una galleria d'arte contemporanea "QUADRIFOGLIO " in Ortigia-Siracusa, Sicilia.

invito a visitare il suo sito : http://www.galleriaquadrifoglio.it/







Evviva !! ecco il mio amico Mario !!


molto bravo e sempre buono !!







Eravamo giovani studenti nel '68 presso Accademia delle Belle Arti di Brera a Milano.
Adesso ci siamo ritrovati dopo 40 anni, nonostante gli anni, non siamo cambiati... uguali..la voce..modo di dire....certi gesti.


Amico Mario !! bravo e buono !! La sua personalità intatta !!

    


incisione di Mario Cucè dedicata a me " Ortigia" incisione di Mario




 


immagini della galleria "Qadrifoglio"





suo angolo del manager (キューレーター)














Mario con la simpaticissima e
affettuosa moglie Teresa e Izumi.




Viva l'amicizia !! viva Ortigia !! e Banzai Mario !!

venerdì 31 luglio 2009

Giapponesi di domani  明日 の 日本人

ASHITA NO NIHONJIN
これからの日本人には少しずつ様々な人種が混合した民族が参加して行く。
世界各国で育ちその国の言葉と日本語を話す日本人のハーフも増えている。
少し神経質だが賢く可愛いい子供や美しい人達が沢山いて見ていてたのもしく勇気が出てくる。パリの日本語補習校には週一回の授業があるが、この学校には金髪で青い目の日本人とのハーフの子供達も日本語を勉強している。もっとも生みの親である日本人の母親は「本当に私の子供かうたぐっちゃうわ、、アハハ」とか冗談を言ったりしてる、、現地校に通う子供が日本語を習うのに通う、このタイプの補習校は世界中にある。

イタリアのMilanoにある日本語補習校はハーフの子供達の方が日本から駐在等で来ている日本人学校の子供達より多くなったようで、現在160人になると言う。

「ユダヤ人と日本人」「 ebreo e giapponese 」

日本人はユダヤ人への差別が皆無なので私の親戚を含めて沢山の日本女性が世界中でユダヤ人と結婚している。別れているカップルも知っているが,世界中には非常に多数の夫婦がいる。必然的に二世の子供にはユダヤ系と日本人のハーフも多い。

これから勢力をさらに拡大する野望があるユダヤの方針が良い悪いは別にして、今では地球上に透明ユダヤ帝国を構築する偉業を成し遂げた。世界中にちらばるユダヤ人は日本人と違い連帯感が強くお互いに助け合い横の繋がりも強い、更にシナゴーグそして各自専門職協会組織(ユダヤ系政治家、ユダヤ金融業者、ユダヤ系企業、弁護士、医師、学者、芸術家、教授、商店、各専門家等々きりなくある)の協力をお互いに得られる気が遠くなるような広大な範囲の膨大な情報網でもある。これに反して日本人は国外で連帯できない点が国力の弱さに影響してしまっている、ましてユダヤ系の強さとは月とスッポンである。唯一の共通項と言えるのは現代において無宗教のユダヤ系も多くなっているので、日本人にとって(個人的な細部を別にすれば)彼らと一緒に仕事し易い、と言えるのが確かな事である。

サイト等ソフトパワーに広がる彼らユダヤ系の巨大勢力とネットワーク情報力、その狡猾な知恵の数々、例えば、数年前Ariel Sharon元首相をサイトで探索していた時に彼が突然倒れて危篤になった、その後暫くしてSharon Stoneがイスラエルを訪問し病気の首相の方はサイトで探しても女優の方がぞくぞく出てきて困った事があり、このあまりにも上手な工作術に感心してしまった。河豚計画 ( FUGU PLAN ) もサイトで探すとApple のソフトプログラムFugu Planが出てきてなかなか本命にたどり着けないようになっている、過去に日本人がユダヤ人を救った歴史を広く知られたくないのだろうか、、この様にあまりにも敏速な操作に舌を巻いた思い出がいくつもある。

最近は世界のmediaが彼らの手中に収められているのが直に感じ取れるが、それより恐ろしいのは、一部のユダヤ上部組織が考案してる気配、長い歴史の差別の元祖ユダヤを日本人にすり替えてスケープゴートにしようとするのではと疑ぐりたくなる。小さい細工から始まり、長い年月をかけて ゾーッ、怖いホントに怖い、これを防ぐには世界中に優秀な日系人の植え込み増加作戦しかない。

世界にいる日本女性が日本の武器では? 
友達の口癖の中に「住んでるから言うわけじゃないけどカナダ人で悪人は珍しいのよ」大いにけっこう、「頑丈なカナダとのハーフを生んで下され」そしたら最近「ブラジル人の恋人が出来たのー」との事、随分ちぁうなあ ! 仏語ぺらぺらなのにポルトガル語を習い始め将来は大学教授を退職したらポルトガルで老後を暮らす計画とか、これも結構、若い日本人女性は世界に飛び跳ねるのがあっている。
日系二世の人達はほとんどがバイリンガル又トライリンガルなかには4ヶ語堪能な人もいる。

日本国が二重国籍容認さえすれば下記の人は日本人と言える。
南部陽一郎(ノーベル賞米国人受賞者)
  Roxana Saberi(米国のジャーナリスト、イランと日本のハーフ)
                
この人達の大きな願いは出来たら日本人でいたいと思う、しかし国際的にと大声で言うわりにはちっとも国際的になれない日本政府はこの人達の願いをもぎ取ってしまった。(1980年代に狭い視野しかない政治家達の一方的な判断で日本国籍法が改正されハーフの子供達の日本国籍は奪われてしまった)

今日それがどうゆう大影響を日本に与えているか、、日本の政治家達はさっぱり気がつかないでいる。
日本の政治を強くする秘訣はこれ !!

日本の為にこの地球上のあちこちから行動し、発言し何か書いてくれる人達、日本を愛し支援出来る大切な地球上の可能性の層を失ったのだ。日本の政治外交の弱く哀れなさま、その視野の狭さ、国際社会からのけ者になっていくのを彼ら世界中にちらばる日系人が援護して助けられる、それが解っていない。日本に帰ってくる日系人が全てではない、もっと多くの日系人達が世界中に住んでいる。このままでは日本は物言えぬ国であり続けるのがはっきりしている。今何で日本が世界の中で静かで何も動かず話さず、誰も発信しなくなったか、、少しずつ劣って来た日本の国際情勢に、何かが狂っていたと、、やっと気がつき出した、、

もう時間が無い、中華系の2世3世の人達はどんどん現地で増加して大人になって来ている、、日本の失われた20年、この間にダンボールに入ってヨーロッパにやって来た中国人は子供を生んでその赤ちゃんはそこの国の人となっている。これがどう言う意味を持つか、、現地で生まれているので18歳になれば正常な国民としての選挙権を持っている、、、中国は世界中でこの作戦方法を使っている。欧州がこれに気がついたのが遅過ぎた、、もはや想像外の大人数の中国人であふれている、そこで規制に乗り出した、今そのとばっちりが日本人にも降りかかって来ている。

今年の七夕へのお願いの一つ 短冊に書いたのは、、
「日本の明日のために日本政府が早く二重国籍容認する様に」
イタリア、フランスそして日本の混合児は地球中に存在している。日本が二重国籍容認さえすれば、日本の希望でもあるこの子供達は将来日本人としても意見を発表出来る、それどころか日本の為になる良い運動をしてくれるかも知れない、でも大きくなって日本が自分を拒否したと知れば、何となく日本の味方にはならないかも、、、

日本政府はみすみす自分の国際的な巨大な可能性を自分から摘み取っているのに気がついてない 、、狭い卑近な事(例えば朝鮮,中国を怖がっているが、これらの国々は例外としてもおかしくないし、又日本国籍だけでない方が安全な気がする、犯罪を犯した人達は即日本国籍を剥奪してもう一つの国籍の国に追放すればすむ)小さい事に気を取られてもっと遠い高い視点から大きな視野で見る事が出来ないでいる。

ある人は「戦争が起きた時」と言う、たとえ日本が馬鹿な戦争を又する時があったり(あれだけの苦しみを味わった事を忘れて又戦争をするとは信じられないが)巻き込まれた時は法の補足規定を適応する方法を探せばよいし、何か起きた時点で適切な方法を取れば良いのでは。しかし戦争をしないと言う国体の元で戦争が起きたらと言う前提を出しこの国籍法を話すのは矛盾している。

銀河のかなたの織り姫と彦星、お星様へのお願い、、、日本の国に自分で考える子供、自分から意見を大声で主張出来、誇りを持った,暖かくて、外人にも思いやりある子供が育つように、地球上に沢山の日系人が増える様に。

早く国際世界に足並み揃えて、一緒に歩けるように七夕様お願いしますね

martedì 7 luglio 2009

SOSTENIBILE PACE NEL MONDO 持続可能な平和な世界

SOSTENIBILE PACE NEL MONDO ! è difficile ? se è cosi,
ci sarà una ragione !!

平和
と言うのはそんなに維持が難しいものなのか?戦争の方が簡単、何故?理由があるはず?

GUERRA DEL GOLFO
 の真ただ中をつらつら書き続けていると、フッと差し込む光の様な気配が時々ある、何だろうか? おかしい?と思わされる何かが、さまよっている。これを分析しなければ、何のため?それはまだ解らない、だだやらなくてはとせかされる、心のどこかから、、

コンピュターの試し用に FOTO の貼付けをします。 

これは PARISにある自由の女神のオリジナルの姿です。誰もが NEW YORKにあると思っているみたいですが、大間違い。フランスが助けて米国が英国の植民地だったのをはねのけて独立するのに成功したお祝いにアメリカにコピーをプレゼントしたのです。




下は NEW YORK に行った時に撮った写真です、揺れる船の上からだったので大分ブレてしまいました。こっちが フランスがアメリカに贈ったコピー版です。



私達の世代はこのコピー版の国から絶大な影響を受けていますが、そんなに長くはつづかないでしょう、『奢れる者も久しからず』覇者はいつか滅びて行くのが運命

お星様どうか、世界が平和を維持する努力をもっとするよう、お願いしますね。

sabato 20 giugno 2009

La morte di PC   あるコンピュターの死


死亡通知 & Scusa


6月はFoto Albumのアイディアを予定していましたが お休みしました。


何故なら我が家のコンピュターの大きい方が死んでしまった。サイト分析するバイトをしていて、その最中に急用があり、そのままPCつけっぱなしで買い物に行って,返って来たら殺されていた。勿論犯人は SPAM & VIRUS。 真っ黒のままビクともしない画面を前に呆然、あっけにとられ 何ともやるせないすまない気持ち。沢山のスパムを流し込まれて対抗出来なかったのだ

何故か好きな映画「MATRIX」を思い出す。修理不可能とあきらめて葬式
そしてBill のWindows 各種に別れをつげ Macの大型が我が家にやって来た、その余波で私にMacのnotebook が回ってくる。
そのうちこのノートブックも病気になり入院するハメ、Fnacにお見舞いに行こうと思ったほど。

そうこうする間にこのブログにあるFoto挿入システムが作動しなくなって.. ドッキリ、、暫く触らない方が良いと言われ、、さわらぬ 何とかに TATARI 無しの月日を送ってました。



ゴメンナサイ

そろりそろりと消えても良い写真を載せてみる 成功、ヤッター直ったのだ






mio balconcino
パリの我が家のバルコニー 何と食用が多い鉢植え ! 







左側はlimone, menta, lavanda, salvia, pesco, azalea bianca, basilico, rosmarino ecc..









右はbarbabietola, cipollini, ciclamino, timo ecc






下はacero osakasuki, origano, fragole, more, mirtilli, olivo ecc






いじきたないみたいだけど、スパイス用の草花、でもこの暑い日々にサラダにまき散らすのに大いに役立っている。





carpaccio用の肉を salviaでバターいためも美味。 今日は mozzarella di bufalo に pomodoro Napoletano そして basilico をちょこちょこちぎって混ぜ、aceto Balsamico di Modenaとolio d'oliva vergine di Siciliaと Himalaya の自然塩、胡椒をぐるぐる回してひっかける、、、うまい。


 


この後は、もり蕎麦なんか ! 


デザートがバルコニー産の初もも !






とにかく太らず美味しく、皆様もこの夏を無事過ごして下さい !!



venerdì 22 maggio 2009

trasforma Economia alla Cultura 文化大国への道

Per la trasformazione culturale di una superpotenza economica alla " Conquista della comprensione del mondo "

最近のTVやNet Newsに出る軍事大国はひどい時代遅れのイメージ、軍隊、軍人はジュラシックパークの見せ物的で何か滑稽、世の中が急速に変動しているのを感じる、戦闘など今の若者は興味なし、断然ビデオゲームの方がかっこいい

日本は必要最小限の精鋭自衛隊で充分

経済大国より文化生活大国の方が幸せ大きくて面白そう

国際文化投資事業 伝統と各専門研究への本格的な投資

米国企業財団が好きな慈善事業ってのは日本語になるとひどくうさん臭い言葉、どうも慈善という行為もあまりしっくりこないけど本来悪い事ではないので、日本人に馴染めるもっとかっこいい言葉を探したい、まあ「文化投資事業」ならまだ「慈善事業」よりましか?



この写真の草花の標本はフランス国立自然博物館にある何百万枚と収納されている植物標本の一部である、私は写真家ではないけど行きがかりで頼まれ1万枚以上を撮影したのでここに貼付してみた。何ヶ月間か撮影に通ううちひょっと目をあげたら入口建物の表面に「この館はロックフェラーの寄贈により建てられた云々」の標識があるのに気がついた。この自然科学博物館は建物も広くて大きく1950年代に建てられ、戦後のフランス自然科学文化復興と研究への支援となっている。もっとも館内で何の情報交流しようとそれはこちとらには関係ない米仏国間の事柄。アメリカや欧州各地から学生や植物専門家等が沢山研究にきていた、これがクラッシックな慈善事業のヒナ型だな。ロックフェラー一派もそうとう世界で悪い事もしているのでやはり何かあった時世間に言い訳用に善行を残しておくのかな?(すこし苔がはえてカビ臭いけど)

世界の多国籍企業や富豪達の慈善事業は本当の目的が税金逃れだけでない何なのか不明だけど、彼らの流儀をもっとかっこ良く日本は真似しちゃえばいい。大きな文化投資を地方海外で起業させ世界の学者と日本の研究者との交流場にして同時に日本自身も大きく主張しつつ育って行けばいい。中で何を交流しようと自由だし、場所はヨーロッパのど真ん中がいいな、日本は地理的に欧州東欧ユーラシア研究者にとって距離がありすぎ、彼らにとって飛行機代が高すぎる。日本は世界一樹木の種類が多いと伊の学者が言っていたが、、地球上の木や水の問題研究から展開かな、、雨も地震も噴火も多いけど、、こりゃだめか、、



ロックフェラーはよっぽど種子が気になるようだ? ダーヴィンの環境に順応出来るものが生き残る「種の起源」に感化されたのかな、最近は北極の近くで種を冷凍処理保存などしていたが、ここの館でも標本には種子がちゃんと小袋に入って保存されている。たとえそれが100年や200年以上前の物(ホント撮影しながら中世のペスト菌でも飛び出してくんじゃないかとヒヤヒヤ、用心して家に帰ってから手をゴシゴシ洗いガラガラうがいした)だとしても現代のクローンテクニックできっと再生可能。もっともこの標本を作成したのはJean Baptiste Lamarck (1744ー1829)というダーヴィンの先生だった学者だが弟子の方が有名になってしまった。
この自然博物館にはアフリカやアジアからの植物もいっぱいある、現在では絶滅した植物、花の種も保存してある。いつでもクローンを作れるという対策なのだろう、、



もちろん日本が文化生活大国になる決心をすれば、もっとずっと新しくて面白いタイプの文化事業を展開出来ると思う、PIL、経済成長率、景気等の踊らされるための言葉に惑わされず、近未来をしっかり組み立てれば、この先が楽しみ、どんな文化投資事業でも楽しい物を作れるだろうきっと、世界に愛される面白い物を、

文化生活大国へがんばれ〜 文化とは日々の生活、衣、食、住、教育、学問、趣味、スポーツ、娯楽、医療、環境、自然、空気等々を含んだむちゃくちゃ全ての総合体。新しい世紀はこれら文化が強い方が歴史的に正しいと、中世に戦国時代を経験したEUはそれに気がついてもう賢明な方向に着実に歩き始めている、一緒に良い道(歴史)を歩きたいな。

米国英国イスラエルも流行遅れな軍隊や軍備等軍産企業、覇権欲でよその国を破壊して不幸にする事ばかりの企画に脳やお金を使わず、確実にもっと世界が幸せになるように動けばいいのになァ〜、オバマ大統領の二期目に期待している、ゆっくりでいいから、

近未来アジアとユーラシアを戦場にさせないですむ(権力と利益の権化は血に飢えているようだけど)ために日本はじーと良い案を考え、戦争好みと言うか中毒の軍事優先国家 米国を説き伏せる事に全力を注ぐ時期が来ているのかも。


venerdì 15 maggio 2009

" like a boy of twelve"- MacArthur 「12歳の少年 」

Renata Pisu     1991年8月22日    La Repubblica

Dipendenza affettiva  -  甘え
 

La scimmia giapponese      ( 2/2 )
     

Il termine, come abbiamo già scritto, designa precisamente l’amore passivo, mentre nessuna lingua europea è in grado di distinguere fra amore attivo e passivo.

Secondo Doi, questa disparità linguistica riflette una diversità nell’organizzazione sociale.
« Amae » sarebbe addirittura il cardine dell’ « ideologia » giapponese, ideologia nel senso di insieme di idee, di concetto dominante che è la base effettiva di un sistema sociale.

Il culto dell’imperatore, per esempio, non sarebbe che una istituzionalizzazione di « amae » in quanto l’imperatore è completamente privo di responsabilità. Come un bambino, cioè,
egli incarna la dipendenza infantile nella sua forma piu pura : è un « amae soddisfatto » : come un bambino, presume che chi gli sta intorno si occupi di ogni cosa, compreso il governo del paese che è una grande famiglia pero senza padri, perché al vertice c’è un bambino e i sudditi sono anche loro bambini in quanto « figli dell’imperatore », condannati pero a vivere le angosce di un
« amae » insoddisfatto.

Ma se questo era vero prima della guerra,nel Giappone tradizionale, con il crollo dell’ideologia del sistema imperiale, cioè dell’ « amae » istituzionalizzato, oggi si ha, per Doi, lo scatenamento di un « amae » senza controllo. Ovunque, nel mondo finanziario come in quello politico, spuntano « piccoli tiranni » vezzeggiati e blanditi da abitudini sociali diffuse, perchè « amae », come ideologia, sarà anche, crollata, ma « i giapponesi non hanno saputo rinnegarla nè estirparla dal profondo del loro cuore ». Per esempio, usare appellativi onorifici, sia quando ci si rivolge ai bambini sia quando si ha a che fare con i superiori, dimostra, secondo Doi, che questi ultimi vanno viziati e assecondati proprio come bambini. Non tanto perchè è meglio tenerseli buoni, ma in quanto il vederli contenti, con il loro « amae » soddisfatto, fa piacere, cioè accontenta anche il proprio « amae ».

Invece, quando ci si sente frustrati, cioè quando A non permette a B di « amaeru », ossia di approfittare della sua indulgenza dando per scontato il rapporto privilegiato esistente tra loro, si cade in stati d’animo che in lingua giapponese vengono sottilmente distinti e che sono tutti riferibili alla pscicologia del bambino : tenere il broncio sapendo pero che è concesso farlo, mostrare la gelosia da chi sa di essere trattato ingiustamente, assumere a parole atteggiamenti di aperta sfida, fingere la piu totale indifferenza, mostrare risentimenti o odio.

Tutti questi termini si riferiscono soltanto a sentimenti provocati dal rifiuto del proprio « amae » e tanta meticolosa precisione lessicale è prova, secondo Doi, dell’importanza fondamentale della sfera di
« amae » in una cultura, come quella giapponese, dove i rapporti umani basati sulla dipendenza si sono integrati nel sistema sociale. Mentre in Occidente ne sono rimasti esclusi, al punto che per gli occidentali è considerato disdicevole la sciare trapelare emozioni di genere « amae », o stabilire rapporti importanti all’« amae », in quanto sono considerati segno di una perdita del controllo emotivo, una regressione.
Ma è chiaro, sostiene Doi, che anche gli occidentali hanno emozioni di tipo « amae » che si notano soltanto se si osserva con occhi giapponesi. Tuttavia, se nel privato anche « amae » e alcuni dei loro atteggiamenti vi si conformano, è nel pubblico, cioè nei rapporti sociali, che lo negano in quanto « amae » è in contraddizione con il principio della libertà individuale che per Doi è uno « splendido articolo di fede dell’Occidente ».

Impossibilità pscicologica della libertà
Oggi in giapponese-ma d’altronde anche in cinese-il termine che indica « libertà » ha assunto sia il senso positivo occidentale sia quello negativo orientale, il che rende il concetto estremamente ambiguo. E qui Takeo Doi introduce una digressione sulla libertà che, secondo lui, in Occidente non è mai esistita se non come atto di fede, fede che Marx, Nietzsche e Freud hanno distrutto senza che un nuovo concetto di libertà l’abbia sostituita. Allora perché gli occidentali non dovrebbero riconoscere il valore dell’esperienza giapponese che da sempre insegna l’impossibilità pscicologica della libertà ?

Certo, dice Doi, per i giapponesi non è stato difficile rendersene conto in quanto sono sempre stato in armonia con « amae ». Ma, insinua, non sarà per caso che gli occidentali hanno tutti un « amae » latente ? E, in definitiva, che cosa bisogna farne di questo amae per il quale, come nota Doi « i giapponesi hanno combattuto la guerra del Pacifico in modo da diffondere questa visione del mondo nei paesi d’oltremare » ?

Non c’è risposta in Anatomia della dipendenza, un testo che dice tutto e il contrario di tutto, ma che è di affascinante lettura perché spiega come i giapponesi si vedono - o per lo meno come livede un teorico della scuola dell’Uomo Nipponico- e anche come loro vorrebbero che fossimo noi : un po piu dolci, un po’ piu consapevoli di « amae ».


レナタピズー記者が書いた中で私が一番印象に残り、とても面白く読んだ記事の一つです。私達には自分達日本人がトロイのは良く解っているのですが、この本で書かれている心理分析をイタリア人読者に解り易くなかなか良く解説してあります。「甘えの構造」の本はよく知られているので、この記事をあえて翻訳しませんが、面白かったのは、この記事がレプブリカ紙に載った後、TVのコントや漫才に沢山利用され、あちこちでこの本の中で書かれている甘えの心理を取り上げて、からかうシーンがぞくぞくイタリアの メディアに出てきました。

人の目を見て話すのが恥ずかしい : スタジオに12歳の男の子を呼び、ジーと司会者の目を見る様に命令して、子供が恥ずかしがるのをカメラがアップで映す。

日本人は12歳 : 以前書いたけど、お笑いコメンター ジャラッパスが MAI DIRE BANZAI で「マッカーサーが日本人は12歳と言ったが、それは間違い120歳です」と使っていた。

口臭が気になる : TV CMによく息を「ハーッ」と吐いて息が臭くないか心配する姿が出回る。

自分が無い : コント等で「ここは何処? 私は誰?」と言う言葉が流行。

丁度湾岸戦争後、でもサダムフセインはまだ健在の状態だった時、「サダム(日本)のおしめを変えに行くのは誰?」とぺローがふざけていた頃です。湾岸戦争で国際社会を味方につける為に米国が総力を出した時期に相変わらず何もしてない風(本当は巨額支援金を出した)な日本(そのわりには世界から憎まれてない)しかたなく出兵した伊も含み当時の参戦諸国のイライラをもろに言い当てていたのが« amae » è amore che tutto perdona, presunzione di essere amati senza dover far niente per meritarselo, richiesta di un’indulgenza senza fine :
この文章を読んで笑ったのは私だけではなかったみたい。

日本人が子供というのはずーと言われ続けているので、慣れっこになっていますが、湾岸戦争から年月たって、時代の要求から急いで大人になる努力をするかと思えば、今だにその気配がない。昔はキッシンジャーにも「あまりにも幼稚」と言われる始末(そういえば彼2009年4月三極委員会の為に日本に来て金閣寺見物、最後の見納めか、と書かれていた、京都の祇園で遊んだらしい。私には彼が「ハウルの動く城」に出てくる荒野の魔女に見えてしょうがない)

いったい、いつ大人になるのか、無理ならせめて18歳ぐらいにはなって欲しい、甘えから抜け出て、自分で考え、選択して決行する時がきているのに、醜い面ばかり浮き出して、まだまだ独り歩きが出来ない、世界は、日本が鎖国をしたのでまだメンタリテイーの方が追いつかない、国際世界に仲間入りしたのがついこの間、米国から独立して行動するのが怖い、、等々の理由からでは、もう甘えさせてくれない、、

「日本人は12歳」米上院公聴会でのマッカーサー証言からピックアップした多賀敏行氏の調査、産経サイトの「正論」より。

「もしアングロ・サクソンが人間の年齢で、科学や芸術や宗教や文化の面でみて、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人も同じくらい成熟していました。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状況にありました。近代文明の尺度で測れば、われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、日本人は言ってみれば 12歳の少年と言ったところでしょう」  (略)

「日本はまだ12歳の少年で、まだ教育可能で、覚えが早くて優等生だ」

http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0701/ronbun2-3.html