mercoledì 25 novembre 2009

GUERRA DEL GOLFO   湾岸戦争考

湾岸戦争とは? 何の為に?

1991年代の湾岸戦争は非常に沢山の課題を世界にそして日本に投げかけました、特にメディア情報操作、捏造、米国政府広報の総力を投じての攻撃はそれはすごい物で大いに情報リテラシー研究ができましたが、でも何故?

私には何故こんなにも日本を集中攻撃する必要があるのか?と疑問が浮き上がって来たのも確かでした。そしてネオコン勢力が台頭する時期にもなりました、、

他国のメディアもイタリアメディアを見ているうちに米国の態度が少しおかしいと気ずき始めます。

湾岸戦争時、ミラノで働いていた私は米国政府の変態的な異常な態度にあきれ果て、何だか毎日とっても疲れました。ついには丁度道の途中にあった米国領事館をさけて勤務していた会社に通い始めたものです。日本を売春婦の様な女(国)とまでイタリアを使ってわめいた米国情報機関や国防総省。おかげで?メディアでは日本国は売春婦から始り、どもり、聾唖者、盲人、身体障害者、ゴールデンボーイ又はおしゃぶりやおしめを付けた赤ちゃんなどに変化していきます。世界が日本を可笑しく楽しむ分にはちっともかまわないのですが何かが私の中でこれだけではダメだと繰り返しささやいたのです

さらに日米関係は何となく男と女の人間感情関係が連想出来てそんなイメージが出来上がってきます。これは主に1992年の伊メディアが語るメーンテーマになるのでここでは書きませんが、詳しくはこのブログでは来年になるでしょう。

この米国の態度は今からでも遅くないのでよーく分析する必要がありそう。こうした戦略をう まくあしらうこつと利用するデイプロマテックでかつプラグマテイックな知恵を考える時がきていたのかも知れません。湾岸戦争中はその色々なメディアリテラシーを分類整理出来た良いチャンスでしたが、ただそれを理解分析出来る年齢にも至らず、相変わらず子供みたいで相手にならなかった、というのが日本の現実の姿でしょうか。

その後は多分徹底的に潰されるか、女中か奴隷扱い、あるいは殺される運命の様にも見えました。

後年フランスJETROのスタッフと話した時『日本は奥さんなんだから、妻らしく乱暴な夫の暴力を注意すべきでは?』と言ったら、彼は『奥さん?冗談じゃない、日本は女中ですよ、こき使われる女中にすぎない』との哀しい答えが返ってきました。これは1992年の宮沢総理時代のイタリアメディアから読み取れるので、来年書くチャンスがきます。

戦後(第二次世界大戦)から長い年月、日本人としては全く奴隷の様な関係ですが、日本は国際上は表面的には奥さん役をやらされていました。90年代は小切手を気前よくばらまく奥さん(本当は家庭内暴力夫の内妻と言うのが正しい姿)ですがそれは現在湾岸戦争から20年たった今、やっと国際社会が気がついてくれて、あちこちで言われているのですが、本当に今までどの国も気がついてくれませんでした。

湾岸戦争が何故ひき起されたか?それには1980年代のイタリアの日刊紙に書かれた日本関係記事をピックアップすれば良いのですが、いまそれをしている余裕がないので、はしょります(すいません)。

80年代の日本の経済力、治安の良さ、学校教育の成功、犯罪検挙率の高さ等どれをとっても素晴らしい状態、おまけにまだ永久就職システムの時代で、それに比例して失業者率の低さ等々これらの記事が連日と言えるほど伊日刊紙や雑誌に掲載されました。どれをとっても米国にとっては『しゃくのたね』事項です(米国だけではないかも?)。ましてイタリアメディアでは日本は米国との戦争には負けたが経済,社会構成の視点では勝者になった、とまで書いて日本は大成功だと喜ぶありさま。これらの情報は米国にとってはそうとう『カチン』と頭にくる出来事に違いありません。何せ自分が何が何でも一番強くて良い国と思い込んでいる軍事国家参謀にとっては、、

特に第二次世界大戦では米国にとって敵国同士の日本とイタリアが仲良く馬があうのが一番気にいらない、これは誰が見てもはっきりしている事です。

この頃からイタリアメデイアを使って色々な操作を始めた様です。日本のミサイル技術の探索をイタリア人記者を通じて探ったりします。丁度湾岸戦争後に種子島に行くと言うイタリア人記者に会ったのを思い出します、『種子島に何しに?何もないのに?ポルトガル人が鉄砲伝えたという歴史で有名な島だけなのに?』と尋ねると『イヤーちょっと行ってみたい』本音は日本のミサイル技術が何処までのレベル?調査でしょうか。当時種子島には東京大学がロケット発射研究している海の宿舎があり、ピョーとロケットが半円を描いてボットッと砂浜に落ちて不成功していた時代でした。私は内心可笑しくてケタケタ笑っていましたが、それを隠してイタリアの記者と話しをしなければならず、苦労したのを可笑しく思い出します。

この湾岸戦争考はづーと続けます、型を変えていつまでも、、、

もしや今も続く戦略INSIDE戦争の始りだったのかも、、、

giovedì 5 novembre 2009

ARTISTA NATO A COMISO  コミソ生まれの芸術家

コミソのアーティスト ジョヴァンニ ラ コニィアータの個展 

5 – 31 Dicembre 2009 10:00-13:00 17:00-20:00

" QUADRIFOGLIO " GALLERIA D'ARTE CONTEMPORAREA
di Mario Cucè . http://www.galleriaquadrifoglio.it/
Via SS Coronati, 13 96100 Siracusa Tel: 0931 64443

Inaugurazione sabato 5 Dicembre ore 18:00

Giovanni La Cognata ( nato a Comiso 1954)

                Siracusa

Si tratta di paesaggi di campagna immersi nella luce degli Iblei e scorci urbani. Ma non solo.
Tra le opere in mostra anche un inedito paesaggio con figure dal titolo " Siracusa " che riproduce uno scorcio di Piazza Duoma ad Ortigia, affollata da turisti ed inondata da una calda luce estiva.

               Campo giallo


               luce di marzo

L'Artista comisano torna ad esporre a Siracusa dopo tredici anni negli stessi spazi della Galleria D'Arte " Quadrifoglio " La mostra presenra tredici opere di media e grande dimensione realizzate tra la fine degli anni Novanta ed il 2009.

               paesaggio

opere : olio su tela

Giovanni La Cognata vive con la moglie Irene e la figlia Giulia a Comiso ( Ragusa ) dove è nato il 27 luflio 1954.

友人マリオの現代芸術画廊でコミソ生まれのアーティスト ラコニィアータの個展があるので紹介します。
コミソはシチリア島のなかで大きな元ミサイル米軍基地のある街です。

domenica 1 novembre 2009

ARTISTA DI CANICATTINI カニカティーニのアーティスト

ETTORE  GAZZARA    Artista di Canicattini

私の友人でミラノ( mio amico della classe '68 di Brera a Milano )で同じ美術アカデミーで学んだカニカティーニ(シラクサ)の同期生エットレの作品と家族を紹介します

自分のobjet作品を説明するEttore


彼の噴水作品の前で夫人と娘のリンダ

        

Objet di Ettore彼のオブジェ作品 卵
                  due sedie molto provocante : 
                   SEDIA DEL CHIMICO &
    SEDIA ERMAFRODITE




per Libro di poesiaこの作品は彼が ANTONINO UCCELLO (poeta nato a Canicattini Bagni, 13/09/1922 - 29/10/1979 )の詩集の為に描いたイラスト集です。沢山の作品から私が気に入ったページを撮りました。

MADRE AKREIDEA




LA NOTTE D'ASCENSIONE






これは上記詩集のイラストとは別
キリストの受難をモチーフにした作品

『 苦難の影 』
L'OMBRA DEL DOLORE





彼は他にもジュエリーの創作もしていて最近はANGLO GOLDからジュエリーオスカー受賞し、作品は日本にも巡回展示されたそうです。

Opere i gioielli : Ettoreのジュエリー作品 (collier, anello, bracciale)

Il premio è stato assegnato dalla Fiera di Vicenza,Anglo Gold, Word gold Council 2000.


il gioiello che ha partecipato al GOLD VIRTUOSI 2002 che ha ricevuto la nomination.




もともと舞台装置を専攻していたのでとても美しいネックレス、指輪、ブレスレットを制作していました。オパールで楕円形のばかでかい指輪作品を見た時『誰がするの?ソフィアローレンじゃあるまいし』と言うと、あきれかえって『今流行ってるんだよ』気の毒になってきたら,奥さんが『いいのほら私が使うからー』と自分の指にして、夫婦でかばいあってその姿がとても可愛くて,幸せなんだなーとこっちまで暖かくなった日でした。
Ettoreごめんね、、