martedì 21 aprile 2009

AMORE ODIO   愛 と 憎悪 

憎まれても強く生き続けるか、愛された思い出に生き残るか?

ユダヤ問題日本問題

イソップ物語のなかに鳥の仲間だと言ったり動物の仲間だっと言って最後には両方からつまはじきにされるコウモリの話しがあった。私が小学校の時にクラスで喧嘩があり、どっちの子も好きだったので何とか仲良くさせようと自分なりに立ち回ったが、後で「泉ちゃんコウモリみたい」と言われて哀しくて泣き出した思い出がある。

今も又同じ、むなしい気持ち。今メディアでは盛んにホロコースト哀悼(繰り返し何かやってShoah、Shoahと連呼。私は昭和に青春時代を送ったのでちょっと嫌な感じ、ホロコーストじゃだめなのかな。おまけにイスラム原理狂の自爆テロカミカゼと呼ぶ、自爆というちゃんとした言葉があるのに)

アラブ人もユダヤ人も一緒に地球の上にこびりついてる小さな動物に変わりない(私も含めて)、誰も選民でも無くそれ以下でも無い。私は単純なので、自分が肌で経験しないと納得出来ないど古いタイプ。アラブ人からは安月給でせっかく買った車のタイヤをぶち抜かれたり、車体にいたずら書きや窓を壊された経験があり、どうも彼らを好きになれない。イタリアもフランスもアラブ系の犯罪者はけっこう多い。だからと言って平然とガザの住民虐殺、他にテロやゲリラ自爆行為等何もかもアラブやムスリムのせいにする巨大メディア操作はおかしい。アラブ諸国は歴史文明の進化がちと遅れているので、彼らに対し寛大さや期が熟すのを待つ忍耐時間も必要なのではとも思う。自分の事を考える時間も無く、がむしゃらインスタント西洋近代化した日本の過去を真似をする必要もない。

ユダヤ人といえば学生時代に仲良しだった米国の友人が20年後に突然「実は私はユダヤ人なのよ」とか言い出す始末。おまけに私を見て女独りでも子供が育つと勇気ずいて、テレアビブに行き子供をつくって帰ってきた、、何たる事。両親はWWII以前にドイツにいたがナチスが勢力を拡大してくるのを見て危険を感じ、米国ミシガン州に早めに逃れて助かり、おかげで後年に彼女が生まれた。そういう私の父も自慢はヒットラーからの手紙を持ってる、ヒエーッと、よく聞くとSSからきた一刻も早くドイツから出国するよう、との召喚状、要するに国外追放令(今だから自慢になるけど)。若い時にベルリンにいて多くのユダヤ人の友達ができ、ガールフレンドもユダヤ人だったとか。おまけにヒットラーの政策にジャーナリストとして「ちりちり毛の友だちが可哀想だったんだ」と言う事も手伝って反対論を展開,当時のSSに目をつけられてしまった。それで父はパリに一旦出国し苦労の末ようやく日本に帰国した。今思うと強制収容所送りでなく助かった、多分日本人だったから国外追放ですんだのだろう。Auschwitz などに送られていたら私は生まれてこなかったのは確か。父の癖で傲慢なもの等何にでも反抗する、ベルリンのゲシュタポに平気で対抗した「日本男子ここにあり」てな気力で収容所にいたらさぞ反逆行為をしただろう、ますます私の存在は怪しくなる。ちなみにユダヤ人のガールフレンドは父を頼って日本までやって来たが、父よりずーっとハンサムで紳士役俳優の斉藤氏と結婚し、、彼女は幸せに日本で生き延びた。他にも色々なユダヤ系ドイツ人達の話しを子供の時に聴いた。もっとも父は誰にでも反抗する性質のようで、面接の日本憲兵に対して「君のサーベルの先には錆がついてる」と言って憤怒させ兵役免除になった、理由は「自由主義者を兵舎に入れると、ろくなことない、」と言われたとか。戦争後は占領下の日本で栄養不足で肺炎になった姉にペニシリンが必要で「マッカーサーの処に抗議に行く」と、本当に行ったそうだ、、「引き揚げ船の上で死んだ子供より(船から遺体を海に投げた)日本に帰国後に死んだのでまだまし」と母のあの戦争については話さない思い出、そして黙って去っていった。ドイツでSSから国外追放にあった後はジャーナリストを諦めビジネスマンに変身し日本企業に勤めシナに転勤。天津で駐在中、日本兵が人力車のシナ人に金を払わず蹴っているのを見たり「日本帝国軍人が」「我ら日本人は」「日本帝国は」と言っては威張って生活するのを見て、にがにがしく「田舎っぺども」と冷たくみていたそうな。敗戦が決定すると、日本軍人の家は石が投げられ、火がつけられ報復された。父は従業員の給料を払うのに母の着物や家財を売り払い(日本からの銀行送金など切れたまま)なんとかつないだ、、これを知っているムスリム系シナ人の社員達は感謝して私達所長家族を守ってくれた。父も母も軍隊軍人ぎらいだったのが私に感染してしまった。国際社会と日本の現実の姿をよーく知っていた父は良い物を作って世界に売り歩く路が日本にとって一番あっているのを肌で解っていた。

私は生まれてはいなかったが、あの太平洋戦争はメディア、国の広報やP.R,マーケッテング欠如で日本は敵に回した国々よりずーと遅れて貧弱だったと言うか全く対策が皆無だったと思える。本当のビジネス人間にとって戦争は一番悪い素材であるべきで、国という抽象的な物をだけを誇りにして振り回し外の人々を殺せる思想組織(軍隊軍人)を認めたくないな。今は戦争をビジネスにする邪悪さ、あきれて物が言えない時代になった。戦争で苦労の末に亡くなった人々も墓場の影でさぞ怒っている事だろう。

ドイツやシナ何処にあっても外国に住む日本人への日本政府の配慮&情報不足、世話や保護等何もしない現実を見て、父は日本外務省の出先機関を内心批判していた、トイレに行きたくなった時だけ大使館に行ったらしい。
(注 : 戦前の話し、、、)

そんなで私の親友の彼女とはお互いに留学生同士、二人でよくMilanoのスカラ座にオペラを見に行った。年月がたち今仲良しの友達も又日本大好きなユダヤ系夫婦である。

だからと言って最近のユダヤのやり方を黙って見逃す事は出来ない、「いや〜それはユダヤではないシオニストだ」「いやイスラエル国家とその諜報機関のせいだ」「白人アシュケナジー系多国籍企業の陰謀」「ハザール帝国生き残りが悪い」「一部ユダヤ富豪家族のしわざだ」「米国と欧州のユダヤ覇権狂人のせい」等々、あれこれ色々な答えが返ってくるのだろう。まあ何処かに本物のコウモリがいそう。今では世界の何処かににテロ事件が起きると、、あっユダヤ又やってる、へんぴな場所や国でも、あれっ奴だっミサイル発射、あっ又もさっどんな場合でもユダヤの名前が飛び出し始めている。

一般的ユダヤ系の人達には割が合わなくなって来ているのでは?

昔證券会社に勤めていた時、社内のユダヤ系スイス人トレーダーが言う「良い不動産物件を探す時一番大事なのは使用人との出入口が完璧に別れている事」いやな趣味だ。「今日はMr. Guggenheimから電話があるんだぜ」と繰り返す、一度言えば解る、やはりミスターとの商いは聴き苦しい。常に自分が他より上にいる事が人生の目的のようだ。後年インサイダートレーディングで逮捕されたとの噂、さもありなん、、彼以外にも正反対の生き方,考え方で嫌なユダヤ人にも沢山出会った。馬を買いたいというスイス人社長とルガーノの田舎にある競売場を訪問した、野外で食事の時テーブルには誰かが残したのか手付かずのストゥーデル、私に「食べる?」と聞く、「ヘーッいやだッ」私の代わりにこのユダヤ人が平気でたいらげた。彼の運転するジャガーに乗った返り道、これだからユダヤ人は生き残れる、日本人の私は残れないなァ〜と実感した。実際私は相変わらず独りで貧乏、人が見ないブログを書いている、彼は益々富豪になっている事だろう。
     
金融世界権力も含んで多いに論議された方がよい、「だって金融業は許されたので」と金融専門知者になってしまった歴史的な因果は解るが、ここでも今ではあまりにも横暴な商いが、ユダヤに対し反感反発の空気も作り出している(ひどい被害にあったアジア)、やり過ぎにはもっと深い検討が必要。「過ぎたるは及ばざるが如し」もう少し科学的な検証とか(50年100年とこのやり方を続ければあのホロコースト再来を止めるのは難しいのでは)謙虚な反省の気持ちがあれば助かるのに、いつもいき過ぎやり過ぎの連続史(この凝り性なところだけは日本人にも少し似たところがある、やはりあまり完璧を目指すのは良くないかな〜)コントロールし押さえつけることばかり考えて、自然に愛されるには、、へ 思いが至らない。

私が住んでいるパリの通り仏幼稚園や小学校の壁に黒い標識があり「この学校から、沢山ユダヤの子供達がビッシー政権の下でホロコーストにあい殺された云々、忘れてはならない」と書かれてある。11区、19区等、実際には生徒はアラブ人、アフリカ人とアジア人が多いにもかかわらず、1999年や2006年付で最近取り付けられた様子。これも私にはやり過ぎに見える。ユダヤ人は既に仏人なので、見えない地球規模のユダヤ帝国の覇権への助走だろうか。子供達や若い親達にどうしておしつけるのだろう、彼らに罪は全く無い。息苦しくなるだけの効果しかない、かえって世界金融や多国籍ユダヤ企業にひどい目にあってる人達には,未来へ反感と不信を募るだけで、いい案とは思えない。


Alla memoria degli studenti di questa scuola deportati tra 1942-1944 perchè sono nati ebrei, dei vittime innocenti per nazista di Vichy governo. erano oltre 1200 bambini dei quartieri di 11, sterminio nei campi della morte.  29 aprile 2006.
non dimenticare mai.

このまま今のままでは世界は傲慢な一部のユダヤの参謀に操作されユダヤ系の普通の人々にも危険な火の粉がかかるだろう、何しろ危険すぎる。同じユダヤ人が先に考え方生き方あり方を変える必要があるのではないだろうか,他のユダヤ系の人達のためにも。

地球のその他大勢は良いユダヤか、悪いユダヤ、と分けて考えてくれない。

今では世界の透明ユダヤ大帝国の覇者となり、手に入れた巨大権力に酔って傲慢になってしまった。危険が待っている彼らになんとか日本が助けられないだろうか、単純な日本人の助言など聴く耳は持たないのだろうか? 

今度は私がユダヤから追放状をもらうのかな? 歴史の巡り合わせなのだろうか又「コウモリみたい」と泣かされるかな?