sabato 16 gennaio 2010

JAMES BAKER   日本を地球八分に、、 

 
1991年5月   MAY DAY !!   MAY DAY !!

James Baker の政治外交政策術はみさかい無く下方を狙う事で有名でしたが、こうまで、、とは、、  

(下の2写真は ラ レプッブリカ紙 1991年5月7日火曜日付)





( foto : 7/05/91. I fantasmi della guerra sulla strada della morte - Renata Pisu )

クエートハイウェイに延々と続いたイラク軍の残酷な逃走遺骸をレナータ ピズー記者が報告する。又そのイラク死者のシーンの次は(TVニュース)星条旗の真ん中にマリリン モンローが印刷された旗をふって喜ぶ偽クエート青年が映っていた。あまりの悪趣味で吐き気がおきる。

イタリアメディアでは『米国は昔から敵の死者数や損害度に対して無感心な国である』と言う。

これで私は,ハハ〜ンと思い当たった、私の家も焼けた東京爆撃空襲や広島、長崎の原爆投下が未だにあたりまえと言い平気なのだなあ〜


ジェームス ベイカー湾岸戦争中は米国と中東を往復し政府外交を完璧に実行。 陰で広報活動も完璧に、


       
James Baker陰謀『 オッ いいアイディア 浮かんだ〜 !! 』
『何処かで局地戦争?』

ベーカー 曰く『 湾岸戦争 !! 』『 これぞ待ってたッ !! チャンス !! 』
          
『 Umiliare Umiliare Umiliare !! " JAPAN " !! 』

日本を侮辱せよ !!
  
湾岸戦争 裏でメディアに響いたべーカーとブッシュの広報作戦の数々、、

総督の胸の内を了解した下僕達が,その後見事に活躍して成功させます、、総督の最終決定は、日本の弱みを狙う、何が不得意だ、戦争体制が崩壊して有事の整備が不足、局地戦を起せば勝てる、日本の総体的な弱体化何でもいいから恥をかかす事、それでさまざまな工夫が生まれたのでは、、

今は陰謀と言う言葉がよく使われますが、私には何か沢山の意味が含まれる様な気が...

陰謀とは 陰の企み
     陰気な考案
     悪意の意図で行う作戦 
     される相手にはありがたくない戦略
     成功しそうな悪辣な提案
     悪質な企画
     正当でない策略
     前例のない罠
     証拠が残らないアイディアと実行   
     等々


厳しい年にならない事を祈って .. .. .. .. 迎春

giovedì 7 gennaio 2010

MORTE IPERLAVORO     過労死

お正月が過ぎ新年の仕事始め、イタリアは1月6日はエピファニアの祭日、その後は仕事です

クリスマス、新年と次はベッファーナ、彼女は魔法使いの様な醜いばあさんで炭を靴下型の袋に入れ、木のほうきにまたがって飛んで来ます。キリスト教以前の宗教から伝わる習慣で、子供達にこの1年間良い子だったらアメを悪い子だったら炭のプレゼントをくれます。(親は子供に内緒で真夜中に靴下の中に炭でなくキャラメルやチョコを入れておきます)

新年の仕事初め、でも過労死を心配させるほど会社の為に働く家族の姿をそばで見つつ、イタリアで育った日本人でもこんなに働く、やはりDNAは消えないのかと ため息と共に考えさせられました。でこの記事が気になり

Miriam Verrini  1991年10月6日付 Corriere della Sera

" Karoshi " il mal sottile dei dipendenti che l’anno scorso ha causato diecimila vittime
昨年1万人の犠牲者を出した、会社員の「過労死」と言う病

L’ultima paura dei giapponesi : morire di troppo lavoro
日本人最後の恐怖 : 働き過ぎで死亡

Tokyo – Morire di fatica ? In Giappone non è un semplice modo di dire, ma una realtà amara e terribile. Cosi frequente, da meritare addirittura un nome speciale sul dizionario. Si chiama "karoshi" ed è la sindrome da superlavoro, la morte che uccide alla scrivania, il cancro che decima le file degli instancabili soldati della superpotenza economica giapponese.

Nel 1990 i caduti sul " campo di battaglia " sarebbero stati almeno diecimila, ma soltanto 33 vittime sono state riconosciute ufficialmente dal ministero del Lavoro di Tokyo.
Negli uffici dei grandi burocrati di Kasumigaseki, il quartiere delle sedi del governo, il "karoshi " è ancora un tabu, un brutto neo che offusca le conquiste del miracolo economico giapponese, e come tale non ha i titoli necessari per assurgere al rango di malattia sociale. Fuori dalle stanze del Parazzo invece, il "karoshi" fa sempre piu paura. L’ultima conferma arriva da un sondaggio condotto dalla Federazione dei sindacati della provincia di Kyoto, fra i suoi diecimila tesserati. I risultati fotografano una situazione allarmante. Piu della metà degli interpellati ha risposto di considerarsi a rischio. Teme cioè di finire al cimitero per le troppe ore dedicate all’azienda il 53.4% di chi lavora 60 ore alla settimana e il 67.5 % di chi supera addirittura le 70.

Tra chi ritiene di essere già colpito dal morbo ci sono i colletti bianchi, gli impiegati, i manager di medio livello, i tecnici di computer, gli addetti alle comunicazioni e ai trasporti. Uomini e –fatto nuovo—sempre piu donne, desideroso di conquistare una pari dignità sul posto di lavoro anche a costo di morire. Uccidono gli straordinari, necessari a rimpinguare uno stipendio insufficiente a pagare la scuola per i figli o l’affitto astronomico di casa. Uccidono le troppe ore di treno e di metropolitana del tragitto quotidiano abitazione-ufficio. E quell che è peggio, uccide il timore di essere considerato uno scansafatiche. " Anche quelli che vorrebbero riposarsi, spesso non possono farlo : l'etica del sacrificio non lo consente. Ragion per cui, l'unica "chance" che hanno è proprio quella di addormentarsi per sempre ", commenta amaramente Masaki Nobe, esperto di problemi del lavoro e professore alla Kobe University.

Rimosso per tanti anni come uno spettro di cui vergonarsi, il "karoshi" è un fenomeno che comincia a far parlare di sé. Nel 1988 si è costituita la prima associazione del parenti delle vittime. I giornali ne parlano sempre piu spesso e nei tribunali i giudici sono piu disponibili a trattare le cause di morte sospetta da iperlavoro. Persino le industrie sono piu aperte e piu sensibili al problema. Le ragioni ? La carenza di manodopera sta cambiando velocemente il mercato dell’occupazione. All’uscita della scuola ogni giovane giapponese puo scegliere in media fra quattro o cinque aziende in cui andare a timbrare il cartellino. E la qualità del lavoro, il tempo libero stanno diventando, piu dello stipendio, fattori prioritari. Per non rischiare la " morte da abbandono " insomma, le imprese dell’Impero dovranno prima o poi anche loro attaccare ai cancelli il cartello " chiuso per ferie ".

コリエレ デラ セラ紙に出たミリアム女史のこの記事は、いつもは日本をひやかしたり皮肉な書き方なのに、久々に読む素直な表現にちょっとびっくり。彼女は私の嫌いな言葉「アーモンド型の目」「日本帝国」「帝国の下僕」等を「日本人」と言う代わりに頻繁に使うので少し慎重に読んでいた記者でした。不必要な形容詞、何や意図ありグラフ等がいっさい無いこの真面目な記事を内容とは別に嬉しく読みました。日本人の「過労死」問題を彼女が最初に取り上げイタリアメディアに知らせた記者の様に思います。

1991年7月26日付 Corriere della Sera には橋本大蔵大臣の写真入りで金融スキャンダルの記事を書き、ミリアムは何回も彼を取材し,そうとう橋本龍太郎が気に入ってたようです。上もそれらの記事の一つですが、橋本大臣が国会で失望感で鎮痛剤を飲んでると言う写真解説付で富士銀行に起きた金融スキャンダルです。
湾岸戦争前後に開催されたサミット等の各国際会議ではべーカーブッシュの悪二人組に負けず劣らず各国のカメラマンのレンズに追われていた橋本龍太郎氏。確かに、イタリアのカメラマンも彼が気に入ったようでちょくちょくテレビニュースに登場。RAI TG では彼が会議場を歩いているのをジーと目で追っている中東諸国の国主達の羨望と言うか好意の眼差しがカメラにばっちり映っていました。龍太郎さん『金まみれの』(これはミリアムの形容詞から)注目の王子様でしたね。もっとも日本国内と違い、アラブのデブスルタンや髭王子達が多かったけどヶヶ、結構じゃないですかあれだけ人気があれば。脇にいた某国大臣が貴方が背広の内ポケットから懐中時計をチラット出していたのを熱い瞳で見ていましたよ(カメラは語る、)

ある時イタリアのTVにはおかしなショットが放映されてました。湾岸戦争拠出金のレート換算の違いで米国と言い合っていた時期で、大人しそうな人がボーと立っていてその顔に向かって泥がボタッーと投げられそれが繰り返されます「計算違い」とか聞こえる、、これは橋本大蔵大臣が米国に向かって「計算違い」と皮肉った事をパロディーにしたコントでした。この「計算違い」の言葉は湾岸戦争自体の計算違いにも引っ掛けてありそうとうわさびの効果大でイタリア人は喜んで笑っていましたが、、この時は元大使で伊外交評論作家の Sergio Romano 教授が橋本氏の言葉を米国の批判からかばってくれました。

これほど人気のあった日本、、国に華の時期なんてあるんだろうか?

「日本が湾岸戦争に派兵しなかったので国際社会から非難された」「支援金だけと軽蔑された」云々、否、国際社会はもっと入り組んで何段もの重層世界、表面とは別に日本は派兵しない事でとても尊敬され水面下で愛されていたのです。当時の日本メディアの表面的な記事を盲信するのは間違い。ただ日本が気がつくのが遅過ぎて,,その後の10年間でイタリアは日本から遠くに距離を置かねばならない運命が待っていました。ドイツはその辺は良く解っていたのでゲンシャー外相が静かにソーッと日本を訪ねてくれました(ただしバレンタインデーに)

湾岸戦争後にクエートからの感謝国に日本国名が無かった。『あったりまえ』と何処かで言ってる気がするな〜 それも目的の戦争だったみたい、どれだけ裏でべーカーとパパブッシュが乾杯したか、一つ一つ成功する度に極秘でハイ、シャンパンてなもんでは?

歴史は時々ピョコッとしっぽを出す様です、生きた人間にひっついて離れない真実探求と言う欲望からかな?

venerdì 1 gennaio 2010

BUON ANNO    新年おめでとうございます

FELICE   ANNO NUOVO   2010

       良い2010年になるようお祈りします


            Etna

新年のお祈り


世界中に沢山散らばっている米軍基地が医療施設と災害保護機関になるのが私の新年へのお願いです。

米軍基地問題は沖縄等日本だけではありません。参考までにこのサイトを見るとドイツは異常なほど数が多くびっくり。東欧は喜んで、それ以外の欧州どの国も騒ぎたてずに何とか今まで米国とやりあっています。(表面は親米として、NATOをたてながら、でもEU国民の本音は満足しているわけではありません。この事はあまりEU各国のメデイアは書かないので日本は良く解ってないかも)。

このサイト参照下さい http://www.kelebekler.com/occ/bas_it.htm















Ortigiaの海



世界には美しいものが沢山あり、大切な人達が沢山生きている、どれもみんな重要なのに

いつか必ず平和が続く世界が実現するよう、皆で貧困、飢餓、病気、天災 そして人工金融災害、人工地球温暖化操作、人工噴火、人工地震、人工つなみ、人工竜巻、人工豪雨、人工土砂崩れ、人工洪水、人工乱気流(特に千葉上空)人工パンデミア(エイズ、各インフルエンザ含む)、人工列車事故、人工飛行機事故、人工自爆(通称テロ)、人工磁気操作、人工出生妨害、人工人口調節、人工遺伝子組み換え、人工薬品販売操作、人工情報操作、人工ケムトレイル、人工ハルプ、人工マインドコントロール、人工脳操作、軍事用秘密兵器研究製造、研究所の極秘邪悪開発、等々まだまだあるけど、これらが無くなるように、、戦争しないでも戦う物が沢山ある、、若者が戦争をせずにこれらと戦うメンタリテイー運動が広がるように、、だんだん気がめいってきた、、そんな時

お笑いサイトを見てケタケタ笑って明るい?新年にしましょう、かえって暗くなってくる? (同じ様な事をしてもレオナルド ダ ビンチ作の洗礼者ヨハネの方がジィーと見てて目や脳を癒され、ちょっぴり笑える)。

神にたのまなくても人間同士の協力でなんとか実現出来る、願い、希望そして夢も、パキスタン、アフガニスタン、ミンダナオ等々アジアや貧しい国が戦場にならないように、子供達がこれ以上殺されない様に、、

            




若者達がブランド志向、贅沢、傲慢から離れ、自然やよその国を理解する努力そして世界の現実を自分で実感出来る能力が備わったら、そんな時、平和な空気が漂い始めるのでは、






平和な風景、飛行機から見たエトナと太陽に、オルティージャの海に、新年我が家のミニ門松にも願いをこめて、、よろしく〜


ひどくなるばかりの日本語を、じっとガマンで読んでくれてありがとう。


今年もどうぞよろしく。         元旦           

martedì 29 dicembre 2009

ORTIGIA TO PARIS  ただいま〜

『ただいまぁ〜』パリの我が家に帰ったよぉ〜 ritorno a Paris, casa mia
                              
questo è il cielo di Paris                     
パリの空

フギャーこれが家に帰って来て見たパリの空、シチリアの青空とどーしてこう違うんだろ〜
おまけに23°の島から2°の大都会 Parisで
寒い〜 。Ortigiaでは太陽の下で日焼け中。
CDG空港にオーバーを持って出迎えてくれたけど、ホント冷え込みます⁂                     



                       mio cicramino
 
 
    我家のシクラメン花咲く
バルコニーにおいてあったシクラメンが見事に咲いて大感激、と言うのは一度全て死に絶えたかと、もうダメかと思っていたら、、やはり奇跡はあるのだな〜 (なんちゃってシクラメンは冬に強いのだ、、) 沢山家族がふえちゃって、すあわせそ〜♪ ♫               


              


funghi neri funghi gialli funghi bianchi

家の近くRue Daguerre の八百屋のおっちゃんがなつかしげに挨拶してくれる、店にはフランス人がよく食べる色々な種類のシャンピニオンが沢山並んで(白、黒、黄色 これ全て きのこ)


                    
サンミシェルまで散歩
S.Micheleに挨拶
   










Rue de Seineまで散歩の続きそこで見た さて これは何でしょう? ??

         

これは古本屋のウインドウーじゃないのだ、写真は携帯で撮っているので focus が悪くガラスに反射した向かいの家が映ってしまいましたが、この古色蒼然とした古本とか懐中時計やメガネ、板まで油絵です。(今時んま〜 、、とか思ってつい笑いたくなりますが、、)笑ってはいけませんよね、、 真面目に感心しましょう、、師走ですから。(関係ないかな)

しばらくぶりに娘と一緒に楽しいクリスマスとお正月をパリで過ごします。

みな様にステキな年がくる事を祈ってます。

giovedì 24 dicembre 2009

ETNA E FUJISAN   エトナ と 富士山

B U O N E  F E S T E !!    B U O N  N A T A L E !!

ETNA   ANNEVATO


今年2009年のクスマスイブ24日はエトナ山の上空を飛びました、とても奇麗なのであわてて携帯でシャカッ。頂上の雪を見ながら何故か富士山によく似てるので「あれー」と思い、おまけにこぶがあるのまで同じなので驚き。ちなみにエトナは高さ3340メートルあり、これも噴火の状況で変化するとかで、こうなると高さまで似てます、ただエトナは今も火を噴いている最中のすごい噴火山です。昔私の住んでいた町のイタリア人主治医がエトナに登山にいってあまりにも噴火口に近過ぎ溶岩をあびて死亡した事があり、当時あきれるやら、と同時に噴火ってほんとうに怖いんだなーと感じました。

ORTIGIA の星


これはシチリアのオルテイジャ島の夕焼けです、、とても美しいクリスマス

今年も皆様にとって良いクリスマスで家族と楽しくお友達と仲良くプレゼント交換して下さい、イタリア式に「クリスマスは家族と一緒に」そして「お正月や復活祭は好きな様に」とよく言われていますが、、

では " NATALE CON I TUOI " でいきましょうか、、

もともと無宗教な私にはもう好きな法王はいないので宗教的な儀式には興味が湧きません。心の中で GIOVANNI PAOLO II に話しかける事にしようと思います。 

venerdì 18 dicembre 2009

GUERRA DEL GOLFO-AMORE E ODIO 愛と憎悪     

IGOR MAN JENNIFER JONES 死亡ニュース

このブログのモチーフである20年前の状況をメモ書きしていると、ピョコンと目の前のニュースに私が書こうとしている同じ人物が出て来る時がよくある。

IGOR MAN イゴール マン(9/10/1922 - 16/12/2009)

今回も湾岸戦争当時私がよく見て参考にしていたRAI TV深夜トーク番組の話しをしようと用意していたらこの番組のメンバー PAOLO GARIMBERTI と共にイラク国内、サダムの政権解説や湾岸戦争是非論争をしていたジャーナリストで中東アラブ問題に詳しい IGOR MAN ( 本名 IGOR MANLIO MANZELLA ) が18日に87歳で死亡のニュースが流れてきました。

Vatican Archivio の中にある Jubilaeum DD2000 のTERTIUM MILLENNIUMにあった彼の記事GESU CRISTO Il volto dell'innocente negli orrori delle guerreより一部抜粋しました。

Convinto, come sono, che nessuna guerra sia "giusta"
anche se qualcuna è imprescindibile...

どんな戦争も正しいものなどは無いと確信している
(略)
Una volta la società accettava la guerra "perché la guerra risolve". A quelli della mia generazione insegnavano che la guerra era un "male necessario". Oggi è diverso.
昔「戦争で解決する」と社会は戦争を認めていた。私の世代には戦争は「必要悪」と教えられてきた。今は違う。
Mi dice un Cardinale-Pastore, oggi tutti hanno capito che la guerra non risolve nulla, dà solamente la medesima illusione dell'intervento chirurgico su un organismo mitragliato dalle metastasi d'un tumore cattivo. «La pace, invece, fermando la corsa della morte, salva la vita, dona la speranza della giustizia».

(略)
Già, l'Iraq. 15 di febbraio del 1991: alla Tv di Amman lo speaker piange. Passano sul video le immagini della strage nel bunker "non intelligente" centrato da una implacabile "bomba intelligente".
既に1991年2月15日、アンマンのTV解説者は泣いていた。Video にはバンカー防空壕内に落下した " bomba intelligente 利口な爆弾 "と言われた " non intelligente 馬鹿爆弾 " の爆撃惨殺の映像が流れていた。 

"E' un crimine contro l'umanità, hanno colpito un rifugio con centinaia di donne e di bambini. Fermate il genocidio", singhiozza il conduttore. E' il telegiornale delle ore 19, il più seguito al di qua e al di là del Giordano.
「人類に対する犯罪だ、避難していた何百人という女子供が殺された。虐殺を中止してくれ」ニュース解説者はしゃくりあげて泣いている。ヨルダンのむこうとこっちで一番皆が見ている19時のテレビニュースである。
La guerra pressoché senza immagini ha ora un'immagine antica: la morte degli innocenti.
(略)
...................., la cultura della guerra è morta col Vietnam.
 
「戦争文化はヴトナムと共に死んだ」私が強く印象に残っているのは彼のこの言葉です、そうヴェトナム戦争以後、世界の歴史上にあった戦争という定義が消えてしまったのです、その後は単なる戦略上の捏造戦争にすぎません。この事はイゴール マン以外にも今のイタリアジャーナリスト達は気がついています。

彼はLa Stampa の編集長を長く勤め、又インタビューの難しい人々 SADDAM HUSSEIN や KHOMEINI 等に会って話しを聞いている。著書も多く1992年には DIARIO ARABOを出しました。  


AMORE E ODIO 愛 と 憎悪 - Guerra del Golfo & Cinema

JENNIFER  JONES ( 2/03/1919 - 17/12/2009 )

2009年12月17日に女優のジェニファー ジョーンズ(本名 Phylis Lee Isley )が高齢で死亡のニュース。もっとも女優よりこの映画のモチーフが私にとって重要なのです。彼女が出演した映画「白昼の決闘」1992年にTVで放映されていたので、丁度来年の予定「愛と憎悪」のあたりで入れるつもりでしたが、追悼の意を表しここに載せます。

DUELLO AL SOLE 1946年度作品 KING VIDOR 監督 プロデユースDavid O. Selznick

http://www.youtube.com/watch?v=DbK_9GpS3_U&feature=related


出演者 Gregory Peck, Joseph Cotten

dall'articolo critico paker
La storia di erotismo tormentato, di odio e amore dei due protagonisti riesce a superare la morale dell'epoca (e di oggi).
E' giustamente famoso il fiammeggiante finale. Impressionante non tanto per la risoluzione estrema del conflitto passionale che ha animato il film, quanto per la sapienza della messa in scena di una sequenza che dovrà riassumere un film comunicando elementi in forte contrasto.

In ogni inquadratura e in ogni scelta si respira odio e amore.
全てそれぞれのシーン、アングル毎に愛と憎悪が息ずいている。

一度DVDで懐かしい往年の俳優達を再度見て下され「そうですね グレゴリー ペック若くて ハンサムでしたね〜 最後は J.J の黒シャツ姿がセクシーですね〜 ラストシーンいいですね〜 はい さよなら さよなら、、、」と
にぎにぎ。淀川氏も亡くなりましたね 残念ですねェ〜

mercoledì 25 novembre 2009

GUERRA DEL GOLFO   湾岸戦争考

湾岸戦争とは? 何の為に?

1991年代の湾岸戦争は非常に沢山の課題を世界にそして日本に投げかけました、特にメディア情報操作、捏造、米国政府広報の総力を投じての攻撃はそれはすごい物で大いに情報リテラシー研究ができましたが、でも何故?

私には何故こんなにも日本を集中攻撃する必要があるのか?と疑問が浮き上がって来たのも確かでした。そしてネオコン勢力が台頭する時期にもなりました、、

他国のメディアもイタリアメディアを見ているうちに米国の態度が少しおかしいと気ずき始めます。

湾岸戦争時、ミラノで働いていた私は米国政府の変態的な異常な態度にあきれ果て、何だか毎日とっても疲れました。ついには丁度道の途中にあった米国領事館をさけて勤務していた会社に通い始めたものです。日本を売春婦の様な女(国)とまでイタリアを使ってわめいた米国情報機関や国防総省。おかげで?メディアでは日本国は売春婦から始り、どもり、聾唖者、盲人、身体障害者、ゴールデンボーイ又はおしゃぶりやおしめを付けた赤ちゃんなどに変化していきます。世界が日本を可笑しく楽しむ分にはちっともかまわないのですが何かが私の中でこれだけではダメだと繰り返しささやいたのです

さらに日米関係は何となく男と女の人間感情関係が連想出来てそんなイメージが出来上がってきます。これは主に1992年の伊メディアが語るメーンテーマになるのでここでは書きませんが、詳しくはこのブログでは来年になるでしょう。

この米国の態度は今からでも遅くないのでよーく分析する必要がありそう。こうした戦略をう まくあしらうこつと利用するデイプロマテックでかつプラグマテイックな知恵を考える時がきていたのかも知れません。湾岸戦争中はその色々なメディアリテラシーを分類整理出来た良いチャンスでしたが、ただそれを理解分析出来る年齢にも至らず、相変わらず子供みたいで相手にならなかった、というのが日本の現実の姿でしょうか。

その後は多分徹底的に潰されるか、女中か奴隷扱い、あるいは殺される運命の様にも見えました。

後年フランスJETROのスタッフと話した時『日本は奥さんなんだから、妻らしく乱暴な夫の暴力を注意すべきでは?』と言ったら、彼は『奥さん?冗談じゃない、日本は女中ですよ、こき使われる女中にすぎない』との哀しい答えが返ってきました。これは1992年の宮沢総理時代のイタリアメディアから読み取れるので、来年書くチャンスがきます。

戦後(第二次世界大戦)から長い年月、日本人としては全く奴隷の様な関係ですが、日本は国際上は表面的には奥さん役をやらされていました。90年代は小切手を気前よくばらまく奥さん(本当は家庭内暴力夫の内妻と言うのが正しい姿)ですがそれは現在湾岸戦争から20年たった今、やっと国際社会が気がついてくれて、あちこちで言われているのですが、本当に今までどの国も気がついてくれませんでした。

湾岸戦争が何故ひき起されたか?それには1980年代のイタリアの日刊紙に書かれた日本関係記事をピックアップすれば良いのですが、いまそれをしている余裕がないので、はしょります(すいません)。

80年代の日本の経済力、治安の良さ、学校教育の成功、犯罪検挙率の高さ等どれをとっても素晴らしい状態、おまけにまだ永久就職システムの時代で、それに比例して失業者率の低さ等々これらの記事が連日と言えるほど伊日刊紙や雑誌に掲載されました。どれをとっても米国にとっては『しゃくのたね』事項です(米国だけではないかも?)。ましてイタリアメディアでは日本は米国との戦争には負けたが経済,社会構成の視点では勝者になった、とまで書いて日本は大成功だと喜ぶありさま。これらの情報は米国にとってはそうとう『カチン』と頭にくる出来事に違いありません。何せ自分が何が何でも一番強くて良い国と思い込んでいる軍事国家参謀にとっては、、

特に第二次世界大戦では米国にとって敵国同士の日本とイタリアが仲良く馬があうのが一番気にいらない、これは誰が見てもはっきりしている事です。

この頃からイタリアメデイアを使って色々な操作を始めた様です。日本のミサイル技術の探索をイタリア人記者を通じて探ったりします。丁度湾岸戦争後に種子島に行くと言うイタリア人記者に会ったのを思い出します、『種子島に何しに?何もないのに?ポルトガル人が鉄砲伝えたという歴史で有名な島だけなのに?』と尋ねると『イヤーちょっと行ってみたい』本音は日本のミサイル技術が何処までのレベル?調査でしょうか。当時種子島には東京大学がロケット発射研究している海の宿舎があり、ピョーとロケットが半円を描いてボットッと砂浜に落ちて不成功していた時代でした。私は内心可笑しくてケタケタ笑っていましたが、それを隠してイタリアの記者と話しをしなければならず、苦労したのを可笑しく思い出します。

この湾岸戦争考はづーと続けます、型を変えていつまでも、、、

もしや今も続く戦略INSIDE戦争の始りだったのかも、、、