giovedì 28 aprile 2011

NIPPON GANBATTE 日本がんばって

GANBARE  NIPPON


私が今暮らしているシラクサから32kmにあるNOTOと言う人口2万4千の小さい村にドライブにいった、バロック様式、リベルティー様式のバルコニーアートで有名な村。


Arte Balcone di NOTO
















しかし、村の広場には、、そこで見たのはじゃーん  !!! この彫刻。 








(東日本大震災のニュースは深く長くイタリア人の心中に伝わっています、インスタレーションのあった時に彫刻家Paolo Torriが彫ったのだそうです。私が答えるのもおかしいけど、日本の人が誰も見てないといけないので、代わりに、、、) 


ありがとう !!!

 

sabato 23 aprile 2011

COMMENTO NUCLEARE 1  東日本震災&原発コメント

2011年4月23日のコメント


ある日本のオンライン ニュースサイト論評に私が投稿した「東日本大震災、原発事故」コメントです。


確かにこの大震災と原発人災を乗り越えるには長期な大変革が起きるべきでしょう、乗り切るには何が障害かは言わずも国民は感ずいている様。

ただ自由民権運動 やそれなりの大正デモクラシー時期はありましたが、本当の市民大革命は日本には起きない風潮があり、これがやっかいな状況にしていきます。

世界に津波をお こしたフランス革命もさして日本に影響したと思えません。

さて、どうするか?

戦後体制の腐敗政治家を一掃して有能な政治家を登用するシステム導入でしょう か?

国民主体のメデイアの新構築か?

外交官システムをやめて現地に強い情報官を配置
するとか?

今大震災と原発人災により日本は広範囲で細部にわたる大改革が必要な時代に突入した事は確かです。

既存のメデイアがそれをどこまで国民に知らせるか
がポイントになるかも?

又は今までの様に国民は二の次で お国に奉公で知らん顔するのかな?


たった1つでも良い、今からでも遅くない、既にある大メディアが国民の「味方」「目線」「代弁者」になってイデオロギー や利権側に媚びない、あるべき事実を報道してくれれば、、


日本人は昔から新聞を読む民であったし、これからも読み続けるでしょう。


まず第一歩は勇気ある日本メディアの自覚を期待します。
​​


投​稿​者​ i​t​a​l​i​a​n​o​i​z​u​m​i ​:​ ​2​0​1​1​年​0​4​月​2​3​日​ ​2​2​:​4​1​ ​ ​ ​



このブログを書くきっかけになったベースとして、何故日本は世界の情報が入手出来ないのか? 何故世界で起きている事に無関心なのか? 何故世界のリアル現実社会の姿を何も知らないのか?

これは長い年月何故か?と疑問に思っていた事が、幸いこの大震災と原発人災で数多く浮上してきました。日本の情報管理メデイアのシステム問題、東日本大震災の日3月11日より大メデイアが何故こんなに偏っていたのかがはっきり判明しました。

日本メデイアを腐らせている仲間内の「記者クラブ、番記者」システム、これでは日本に本格的ジャーナリスムの存在も、又調査分析の情報入手もむりでしょう。

外人記者クラブは良く知ってましたが国内でこの日本のジャーナリストクラブが現実社会でリアルにこんなに規制稼働してるとは、改めて驚きでした。



New York Timesサイトにあった大震災フォトこの中の191番目の少女の姿(La Ragazza di Natori)が他のニュースタイトル(EURONEWS)にも使われて世界を回る。




domenica 17 aprile 2011

PARIS TO ORTIGIA 再びパリからオルティジャへ

またまた パリ からカターニャ空港へ飛びオルティジャの家に移動だ〜



フランスの大地や畑はよく整理されて美しい,菜の花の黄色が際立って







今回は晴天でフランス アルプスがはっきり見えた飛行でした







アルプスを過ぎると一面海ばかりでイタリア領に入ったと気がつきます、下にエルバ島に良く似た小島が、、






さあ オルテイジャ島暮らし 太陽と地中海の空気を胸いっぱい、、

がんばろう〜