martedì 28 settembre 2010

PARIS VICINO DI CASA     パリのご近所さん

家のまわりを買い物がてら散歩した時のパリご近所 スナップ。

モンパルナス

我が家はこのモンパルナスタワーの近くにあります。14区なので非常に便利で快適それに治安が良いので狭いのですが、この14区から動く事が出来ません。パリ市は螺旋状の型で1区から20区に分割されていますが、足が強い人は時間さえ気にしなければ東西南北に歩けるくらいの面積。だたこの区画分割は(住所の郵便番号でばれます)例えば750に14区が入り75014となる、すぐに生活環境がわかる不都合があり、求職中の若者は要注意。家の住所がアラブ系やアフリカ系が多く住む悪名高い郊外とかだと就職に影響します。16区は面白くない高級住宅区、ヌイーも俳優や市長が住む高級区でスーパーも少なく買い物に超不便。1区はオペラ座のある区で中心街、近くには日本的スーパー、安ラーメンやおっかさん料理が食べられる日本人通り的なRue Ste.Anneがある。19区や20区は多民族地区で庶民的で面白い反面治安上注意が必要な地区。すごい大きな中華街があり、恐ろしいくらい、物価は安いのですが何せ全て中国系で、ここの郵便局職員は中国系仏人ばかり。どうも私にはパリ大学近くの中華街の方が小じんまりして親しみやすい。中国系老人も多くかわりばんこにパスポートを密入国の他者に譲っているのでは?と疑ってしまうほど。昔中華スーパー付近でこっちが日本人と解ると地面にぺッとツバを吐いた中国人が今はニコニコ笑いかけてくる様になった、この変わりよう(憎み合うには我々の外見は似過ぎている)これからこの中国系(漢系ヴェトナム、カンボジアと台湾含む)フランス人達のパワーが動き出す時がくるでしょう、日本人は残念ながら立ち遅れてしまったかも。これからもさらに有色人種の欧州入国は厳しくなる一方です。

歩いて良く行くのがSaint-Sulpice広場、そばにあるカトリーヌドヌーブのアパートで電話に出ている影が窓に見え,喜んだりしてる。私はミーハーなのでこういうのは大好き。彼女は無化粧、市場で見かける時がある。そういえばジャックペランも気さくなジーンズをはいて歩き、近くのおばあさんから『ボンジュー ムッシューウー ペラン』とか声かけられていた。何か彼のカッコイ〜白髪を見てると「ニューチネマ パラダイス」そのものだな〜と、しんみり。



ジャコメッティーの自宅けんアトリエ



私が愛するアーティストのジャコメッティー彼の自宅兼アトリエ。左は玄関にある看板で1926年から死ぬまでこの家に住んでいたと説明書き。アトリエの大きな木と緑が目につきます。



この通りの標識で Hippolyte Maindron 通り、何でジャコメッティ通りと名称しないのかな?

14区にあるHippolyte Maindron通り44番地が彼の自宅アトリエの住所。





      


公園側からみたアトリエで白い車影がある向かいの通りが彼の家と庭の木。何でジャコメッティ通りと名称しないのかがいつも疑問。スイス人だったからか、又パリ市と子孫が仲悪いからかな?市はこのアトリエを美術館にしたかったらしいけど、子孫に反対されたとか、残念だな〜。




アトリエの前にある小さな公園で、おじさん達が座っているベンチに私も座ってよく彼のアトリエの方を見ています。

昔学生の頃に矢内原伊作氏が東京で開いたジャコメッティ死亡追悼会に出席した思い出があります。その時、伊作氏はジャコメッティ夫人がISAKUに恋をした事実を告白され、彼のこの時の話しがとても印象に残り、ますますジャコメッティが好きになりました、作品も本人も。


モンパルナス墓地

永遠のカップル、サルトルとボーヴォワール







上は買い物にいく時の通りぬけモンパルナス墓地内でサルトルとボーヴォワールが仲良く眠るお墓の前を突き抜けます、時々立ち止まって良く見ると墓石はキッスマークの跡だらけ、二人のファンの参拝記念なのかな、今も愛されている二人でほほ笑ましい。



結婚もせずいつもアベックだった二人、、今も一緒に眠っている、、



モンパルナスの若いアーテスト達



左はFrance国のメタフォラである鶏がエッフェル塔に進化するパロディー風イラスト。アーティストらしき若者が道ばたで売っていました(買わなくても写真はOKとか)右は個展のポスターいまだに油で写実を描くアーティストがいるのが可愛いいし、モチィーフが好きなアーティーチョークなので記念にパチリ。


今パリはお茶サロンが流行、オールドイングランドティーサロン



今パリは日本茶サロンやイングリシュティーサロン、アラブティーサロン、中国茶サロンとか各国のお茶サロン(喫茶店)が沢山あります。ここは本格的なオールドロイヤルイングランド各紅茶とスコーンが出るサロン。(英国製紅茶が好きでロンドンに行った時はFortnum & Masonで各種買ったり、でも大英帝国茶器や英国調薔薇模様はちょっとネ、センスがいまいち、、)

もっともフランス人と英国人は見かけによらず仲が悪いところもあり、いわゆる「仏人のケツをなめる事が出来るほど」フランス文化を敬愛する英国人でも最近はその仏人にケチつける英国人が書いた本などが出始めました。仏銀行員のサービス態度が悪いとか、かたっぱしから悪口が書いてある(ホント?フランスは意地悪な人が多い?)

反面フランス人は「パリのディズニーランドの経営が悪化すると英国人が喜ぶ」と怒る !! んまーそう言われても日本人の私は困ってしまう。

欧州欧州EU統一と 言ってもなかなか内輪もめも多いのです。

sabato 18 settembre 2010

BALCONE ORTO       バルコニー有機栽培 

PARIGI の我が家 今年の BALCONE バルコニー有機ミニミニ菜園?

収穫はいかに?とれた 沢山とれた〜 !! パリの家は涼しい刈り取りの秋だ !!


一番はバジリコでまずはペストジェノヴェーゼをつくりパスタペンネをゆでてあえ、残りは冷凍、後は友人達にあげてもまだ残る。 



サルビア(溶かしたバターで少しだけ炒め、N°1のスパゲッテイーにかける、これぞスパゲッテイービアンコ)。右はメンタ(ペパーミント)お茶にサラダにカンボジアネム用に。



左はラバルバロで茎のみ食べる、葉っぱは有毒なので捨てる、こわい(何故あるのか?繊維質が便秘にききめあり)。お隣さんは、そば、みそ汁や冷や奴の上にと大活躍のエルバチポリーナちゃん。右はラベンダーこれはひたすら香りを楽しむ。窓を開けるとラベンダーの空気が部屋に流れてくる(癒し自然アロマテラピー、安上がりだな〜)



Ciao ! 朝 超プチトマトへ挨拶、小さいくせにちょろちょろのびて、でもちゃんと食べられた、不思議に美味しい。パッキーノトマトにまけない我が家の POMODORO それこそ黄金のリンゴ( pomme = apple & d'oro = gold) !! 有機はどうしてこう美味しいのかな? 味や香りが抜群によいのだ、何故? ズバリ「有機に出会い企業悪を知る」 !!



左はレモンの木、親は豆粒みたいなレモンが実り優しい葉、生まれた次の世代はすごい棘があり、葉は全く親に似てない、こんな事ありえるのか?(親が浮気したのかな?)右はオリーブの木(実は小さくていまいち、ただ見てるだけで幸せに、癒しのきじゃ〜、これは真実。世界が平和になる、これは嘘。)



左はラズベリーただし実はまだ見た事が無い !! 右は「Momiji Japonaise」本当にぽわっとして色気たっぷりな葉の回りがピンク色の優しい紅葉でしたが、冬を越し今年に芽が出た紅葉はガチガチしたそっけない葉の子供が生まれた(何か植物も国に似るのかな?)




左は去年に続きこの夏も我が家のバルコニーオルト産の桃を収穫、こんなに小さくて可愛いい、けなげで、食べられない、じゃなくて、甘くて美味しいかった、鬼になったかな?

右は海と太陽がいっぱいのシラクサOrtigiaからパリの家に帰り、うすい太陽の下で、バルコニー菜園でアロマテラピー、こんな小さい緑でも人間に大きく作用する不思議さ、忘れていた大切な物を思い出させる。

やはり、つくづく『ゆうきBIOに出会い企業悪を知る』に返る、、

venerdì 10 settembre 2010

STATUE JOMON DIVENTANO ALIENI  縄文土偶が宇宙人に

I  GIAPPONESI   SONO  E.T  ??

イタリア社会は湾岸戦争後、皆の感情が高まって、人々はとても敏感になっていました。そんな中に可笑しくてゲラゲラ笑う楽しい記事が新聞に登場(トゲトゲしい戦争経験でイタリア人の心が疲れきっていた時に、ピョコンと日本文化の傑作な癒し記事が、)このドメニチ老の記事、、、これからイタリアでは日本人が宇宙人エイリアンである事が確認され?この後どんどん伊社会に普及しメデイアでからかわれ始めました。

1991年11月19日火曜日
付          Corriere della Sera

Viviano Domenici

I dati archeologici smentiscono le fantasiose interpretazioni dei culti dell'assurdo
考古学データーが馬鹿げた想像論を否定

L'extraterrestre è una dea del parto

宇宙人は出産の女神なり

Cosi le statuette preistoriche giapponesi sono state spacciate per alieni
この様に日本の古代偶像はエイリアンに間違えられたのでした
( 略 )


foto : Il piu celebretra i reperti Jomon usati in chiave

Tra i pezzi forti di coloro che vedono extraterrestri nel nostro passato ci sono alcune statuette che gli archeologi giapponesi hanno scavato in diversi siti neolitici del loro Paese. Il piu citato di questi " visitatori del passato " è quello che riproduciamo nel disegno grande : tarchiato, spalle larghe, testa grossa, gambe e braccia ridotte a moncherini simili a salscicciotti.

Quando gli amanti dell'extrarrestre lo videro per la prima volta non ebbero dubbi : ecco l'alieno raffigurato con casco, occhialoni e tutta spaziale disegnata fin nel minimi dettagli ! E l'aspetto della statuetta rispondeva cosi bene alle loro aspettative che --- cosi affermano --- inviarono delle foto alla Nasa affinché gli scienziati americani facessero tesoro delle caratteristiche della " tuta spaziale". (略)


Non sappiamo che cosa rispose la Nasa : sappiamo invece che l'extraterrestre giapponese invase il mondo attraverso le pagine dei libri di fantascenza come la prova provata di antichi sbarchi alieni sul nostra pianeta.

A causa della scarsità di pubblicazioni scentifiche sull'argomento e del rifiuto del veri specialisti a confrontarsi coi sostenitori di teorie tanto balzane, pochi lettori ebbero la possibilità di paragonare la statuetta in questione con gli altri materiali provenienti dagli stessi scavi e quindi dallo stesso ambiente culturale. Cosi molti, anche non del tutto sprovveduti, rimasero turbati dalle caratteristiche " spaziali " di quella figuretta cosi diversa da qualsiasi altra conosciuta.
Se invece avessero potuto prendere visione di qualche testo serio avrebbero scoperto che le " singolari " caratteristiche della statuina giapponese ( e di altre della stessa cultura Jomon spacciate anch'esse per extraterrestri) erano si singolari, ma del tutto terrestri.

Col nome Jomon gli archeologi indicano un complesso culturale caratterizzato da una ceramica decorata mediante l'impressione di una cordicella sula creta ancora fresca.Questa tradizione ceramica compare intorno al decimo millennio avanti Cristo (quando già praticavano la pesca d'altura) e si sviluppa fin quasi al 300 a.C ; un periodo lunghissimo che gli archeologi suddividono in cinque fasi :

Periodo JOMON

1. Pre-Jomon
2. Jomon Iniziale ( 10.000- 5.000 a.C )
3. Jomon Medio (  3.500- 2.500 a.C )
4. Jomon Tardo (   2.500- 1.000 a.C )
5. Jomon Finale (   1.000- 300 a.C )
( 略 )

voce " Jomon " pubblicata nel " Dizionario di preistoria " diretto A.Leroi-Gouran e appena edito in Italia da Einaudi. (
)


foto : Piccola rassegna di statuette giapponesi Jomon dove si vede che le cosidette " tute spaziali " non sono altro che il risultato di un canone stilistico del tutto " terrestre "

La situazioni in cui sono state rinvenute le oltre mille statuette indicano chiaramente il carattere propiziatorio che queste avevano nella società Jomon e sembra di capire che ogni famiglia ne conservasse almeno una nella propria capanna per " incoraggiare " la fecondità :
Molte presentano tracce di pittura rossa e quasi tutte appaiono consunte e lucide, come se venissero continuamente accarezzate. ( 略 )


Nelle figurine delle epoche piu recenti sono perfettamente riconoscibili i caratteri femminili ( l'addome espanso e i seni sporgenti), i costumi pesanti, le gonne arrotolate sopra ai ginocchio, le decorazioni delle vesti, i tatuaggi sul volti, le collane e grandi occhi ovali che probabilmente derivano dalla concezione che l'occhio è la linea diretta di comunicazione con lo spirito, una modalità espressiva che si ritrova anche nelle figure di " oranti " della civiltà sumera.

Da tutto questo è facile capire che l'alieno dei fantarcheologi esce definitivamente dalla scena per lasciare il posto a qualcosa di assolutamente umano come, appunto, la speranza di fecondità.

fine

今回はイタリア語の読者にあの当時の傑作な癒し記事を思い出してもらう為に、これを載せました。要は縄文時代の土偶が宇宙人と勘違いされた経緯の面白話しです。