giovedì 25 marzo 2010

GUERRA DEL PACIFICO   日米同盟と日米変形闘争

2010年3月 小春日和
春を待ちつつ、童がつらつらと思う、失なわれる30年にむかって、、

日米同盟
が盛んに討論されていますが何となく日米(変形変態)闘争みたい

今、歴史分析は大切です、日本は自分の歴史を振り返る時にきている。第二次世界大戦後史も含めて、国際状況を分析するにも一番てっとり早いのが、まず己を知る事。

特に日米関係などは日本の歴史特に江戸の徳川幕府がとった色々な政策は今影で米国がしている事とびっくりするくらい同じです。昔いた『親日家、知日家が現在の米国政府内にいない』と言われていますが、私からみたら正反対。何かものすごい徳川幕府(彼らにとってはSHOGUNかな)に詳しい人がいるみたい。強く優秀で経済的に秀でた大名や各藩をもぐらたたきなみにかたっぱしから因縁つけて崩して行った将軍家。各藩の独立禁止というか幕府への反逆防止のため参勤交代や数々のうるさい しきたりと御家つぶし(国際金融危機の作成や世界金融体制の英米独占状態)。日光東照宮構築への献金(沖縄米軍基地移動等の経費献金)。地下資源の独占(佐渡の鉱山独占等)対テロ戦争という名のイラク、中央アジアへの侵略地下資源確保戦争。又は将軍家安泰のための外地征伐(デモクラシー普及か人権擁護を建前として)国内事情を隠すためによその国に戦争をふっかける(国連常任理事国に日本を入れない工夫や人権擁護団体運動の悪活用等)将軍が気に入らない目ざわりな、お上にもの申す大名の消却(近い将来南米にいる悪口を言う反米主義者が狙われる)、と、そんな感じ、、

お奉行が幕府の意向で いくらでも自由に犯罪人をでっち上げた事が想像出来、かつ適当に親幕府の藩(外様大名などを避けて)や領地にかごで極秘で運びこみ自白させた。これなど今欧州で反対されだしているCIAが捕まえたテロ犯をC130飛行機に乗せ勝手に(何処かで極秘合意があるのでしょうが、欧州国民は知らされていません)民間空港を利用して親米国に設置した特別収容所と言うか監獄に運び拷問して情報取得していた事と同じ、よくメデイアに出て非難されています。

国際世界はどんどん移り変わりの流れが早くなるばかり、日本も早く目を覚まさないと〜

特に日本を目標に狙い撃ち的な 世界メデイア操作も活発です。早く自分の負け札に気がついて狙われる前に対処してしまう敏捷な動きが必要です。「メデイアコントロール」これらは幕府が隠密やそれこそ忍者集団スッパ、草などを使って口コミ誘導したのと同じ。だた江戸期と使う道具(今はコンピユーター、映画、TV、ラデイオ、携帯)が違うだけ。 英米イスラエルは色々な国の権力者そして検事、判事をはじめジャーナリストP2の生き残り的な文化知識人や芸能人等を影響下に置いて操作しています。このあたりの操作はナチスが採用したゲッペルス宣伝相の手法を取り入れ、さらにタルムードやカバラの基本を習得している様な敏腕な政府広報が裏にいるのでしょうか。

各国、特に欧州に知識人を植え込み済で操作そして監視役かな。彼らはTVを始め日刊紙、雑誌等,又インターネットニュース、ソーシャルネットワーク、ツイッターをフルに活用しています。米国の老人達、退役評論家がブログやサイトで日本批判等をやっています。欧州人も仲間に入れて、真実を語る人など少なく、どんどん自分勝手に歪曲して、 日本人が読めば「んま〜あきれた !」と言う事を堂々と書いて流し始めています。手法は例のごとく1割の真実に残りは90%の嘘という合成品。それは統計数、グラフ、写真、フィルム等の捏造製品を使い仮実質を信じさせるために既成事実を造り上げる事(この成功例がアル ゴアが布教する映画『不都合な真実』まるでCM作製なみに綿密に計算されて、その意味では秀作。完璧な後日原発販売等のため布石広報活動。つまりどこが真実じゃ〜数年前私がこの映画を見た直後の脳裏の残像は『トヨタが悪い !! 』だけ、、ホント)

( foto : La Repubblica. Mossad Operazione Vendetta -ドバイ, 殺しの ライセンス - 26/02/2010)

早く日本の老人達もコンピユーター駆使して活躍してほしい、ただ他国の世論を操作するのが目的ではなく自分の悪口を布教する相手の心理を知る事と、自分を守るために。

この先 イルカ、マグロ、極端に下品なポルノ、日本人が夢中になるバカゲームと笑われているパチンコ、戦前の使いもしなかった毒ガス、地震国のくせに原発が多い電源浪費、女性軽視等々限りなく探し出し冷笑され叩かれるでしょう。

中国人も彼らに都合よく作った『南京大虐殺』映画を手土産にイタリアの田舎を巡回している有様。

今まで大人の足をふんずけていた子供が日本の態度、怒った大人が情け容赦なく蹴飛ばし始めた。これからは大人のジェスチャーが必要かな。米国の態度をよーく分析するのも役立つ。半世紀間日本はお友達で?あったはず、こんな邪悪戦争軍事国家になってしまった理由は?いまだ第二次世界大戦で勝った奢りから抜け出せない?この半世紀日本が何でもハイハイ言う事を聞き過ぎた?いつまで彼らの戦国史を続けるつもりなんだろうか?止めさせるのが日本の本当の友としての役目では?全て米国のせいにして非難するのは簡単だが、米国民には価値観も似ていて面白い人も多い。何故米国政府は米国民とこんなに遠く遠うのか?今、彼に必要なのは本当の事を言う友達なのでは?日本には『いい友とつきあえば良い人間に成長する』的な物語がいっぱいある。色々な案が出てくるが、、米国は日本と違って耳と目を持っている、聞く能力は備わっている、日本が大声で言えば聞こえるのでは?

徳川幕府が終末の頃浪人が江戸や日本各地にあふれていた。侍はスパルタ人の様に戦いで死にたい希望だったが、現代の軍隊にいる者や諜報員は戦の中で死にたいとはこれっぽっちも思っていない(だから西郷隆盛は彼らには不必要)世界にあふれた米軍の侍達を少しずつ平和利用、天災、事故、医療、避難、再建援助隊に変換する手伝いが、日本には出来るはず(この意味で自衛隊と米軍が協力するのはとても意味がある、軍事訓練だけに終わらせずに、将来軍隊をリストラされたら消防隊や国民災害救助隊に移りやすい様に、)沖縄米軍基地問題も米軍が人々を援助する部隊、大地震や天災の時は日本人の一時避難の援助とかに変身する事を前提にして交渉した方が日本と世界のためになるし、、じょじょに感化していく事は可能では。もっとも先年、日本は一度頼んだ事があったけど、日本のTVに映ってた米軍高官の顔はびっくりマークだった !!

さて今 日本の姿は童話にでてくるヘンデルとグレーテル物語に似ている。 チョコレートを食べたばっかりに魔法使いのおばあさんに捕まって、檻の中に入れられ毎日腕の太さを調べられる『フ〜ム、も〜ちょっと太ったら食べよう』とか言われ、毎日が過ぎてゆく状態。太るための食事は何か?これはきっと米国債再買いと日本再軍備費かな?

『中国は怖いぞ〜 中国と戦えるぐらい強くて太らないと〜』とか言って魔法使いはあれこれ工夫しているようです。

何かこの前までは『ソ連軍は最強だぞ〜 怖いぞ〜』って言ってたみたいな気がする、、

sabato 20 marzo 2010

LOTTA PER IL POTERE A TOKYO   政権交代

KAIFU ESCE DI SCENA 海部首相、沈黙の退場

1991年10月6日日曜日付         Corriere della Sera

Vittorio Volpi      nostro servizio particolare

LOTTA PER IL POTERE A TOKYO

東京での権力抗争

Si è aperta la battaglia per leadership fra le fazioni del Partito liberaldemocratico
Kaifu esce di scena quasi in silenzio senza spiegare gli intrighi scoppiati dietro le quinte
Una lunga lista di asppiranti per la successione al primo ministro silurato a sorpresa

TOKYO- Kaifu ha confermato ieri che non si candiderà per la rielezione a presidente del Partito liberal-democratico, incarico che da automaticamente la nomina a primo ministro ma non ha fornito alcuna spiegazione su quanto e avvenuto dietro le quinte.
( 略 )
Molte carte sembra averle invece Miyazawa, che ha chiesto ufficialmente l'appoggio di Kanemaru, perchè ha superato i 70 e quindi non insisterà nel rimanere alla scadenza del mandato biennale. Il suo tallone d'Achille è il coinvolgimento nello scandalo Recruit e l'aver mentito pubblicamente in Parlamento.
( 略 )
Il meccanismo di questa elezione - come molte delle cose giapponesi - ha una parvenza superficiale di Occidente, di democrazie anglosassoni. Ma la sostanza- come al solito - è figlia dell'Arcipelago.Il nuovo ministro non sarà quello piu gradito al pubblico o il migliore.

ヴィットリオ ヴォルピ氏が書いているのは、常に起きていた事、さらに上にいる権力者からの指令による日本の首相交代劇。

彼は海部首相が静かに何も言わずに席を譲る現状を書いています。直接は記事に出てはいませんが日本の政治実状をそれとなく臭わせています。海部首相が気に入らないとの事で交代させられる、誰に気に入られないか?これは日本人なら誰でも知っていますが、誰も口にしない事柄の中に入ります。

何時もの太平洋戦争後の日本政治の日米関係の実情です。そう、言う事をきかないと日本政治家が独りで米国訪問する『一本ずり』が待っていて退陣命令(恐喝)されます。

アンドレオッテイ伊首相が同じ様に一本釣りされてワシントン詣での後で首相の席を退いた。これをニュースで見て『ハハーン彼も一本ずりされて、辞めさせられたんだなー』と察しましたが、イタリアの人々は慣れていなかったせいか、そうとうショックだった様です。これで又日本が逆恨みされ、椅子の脚が一本短いのに座る黒い背広のせむし男がヒックリ返ってずり落ちるコントがTVに出回りました。 

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最近 Vittorio Volpi 氏はとても貴重な日伊関係の史実書を書き上げました

題名 :「巡察師ヴァリニャーノと日本」出版社 : 一藝社
ヴィットリオ ヴォルピ著
原口和夫訳


16世紀の日本にイエズス会から表向きキリスト教布教のため派遣され当時の信長、秀吉、家康と対話する貴重な経験を重ねるイタリア人。日本人が歴史上初めて出会った西洋人の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの話し

6章からなり
第1章 日本最初のヨーロッパ人と出会う
第2章 16世紀の東洋を行くアレッサンドロ・ヴァリニャーノ
第3章 少年使節が訪問したヨーロッパ
第4章 変貌する日本
第5章 ヴァリニャーノ——インクルトゥラツィオーの先駆者
第6章 教会を襲う嵐、そして鎖国

国際関係上の外交音痴や情報分析音痴から今再び鎖国をしなければならない状態に落ちないためにも、この本は色々参考になりそうです。パリのジュンク堂で売っていたのですが、私はちょっと立ち読みだけです。買う前に日本の本など手に入らないイタリアのはずれに暮らす事になり残念ながら全部は読めないでいます。

この様な歴史書は貴重です、日本は自分の歴史をよーく振り向く時にきているみたい。

冷戦が終わり、地球上の氷が解け始め地上に浮き出て来た,様々な実体図、歴史が又復活してきます。

本当の世界を知るのに良いチャンス、観光だけではない長居、若者達はもっと深く色々な国の歴史と実際の現状を見る時代がきている。ネット以外の、 生の人間を、、

martedì 16 marzo 2010

Disintegrazione dell'URSS  ソ連邦の崩壊

1991年8月29日付    La Repubblica

Marco Panara   Tokyo特派員

L'indipendenza di Estonia,Lettonia e Lituania è considerata un passo avanti per la restituzione delle Kurili
Il Giappone pronto a riconoscere le Repubbliche Baltiche
La disintegrazione dell'Urss preoccupa il governo di Tokyo

(略)... il timore che la disintegrazione dell'Unione apra un lungo e pericoloso capitolo di conflitti etnici e territoriali tra le Repubbliche.
(略 )
... troppo tiepido nei primi giorni del golpe. In quelle ore Kaifu si è dimostrato prudente all'eccesso. La giustificazione del ministero degli Esteri di fronte a questa prudenza si nasconde dietro alla differenza di fuso orario. In realtà, il governo non era bene informato e per due giorni ha annaspato alla ricerca di interlocutori in altri paesi con i quali coordinare una risposta. Tokyo ha sentito come non mai in questa occasione il peso della solitudine, l'assenza di un forum istituzionale, come per l'Italia sono la Comunità e la NATO, all'interno del quale coordinare una risposta.

マルコ記者がソ連で1991年8月に起きたクーデター事件の時に国際社会との共通項がない日本外交の孤独な姿の状況を解説しています。その点イタリアはヨーロッパ共同体がありNATOの存在で各国と同じ態度を取れる利点を説明しています。
              
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さて話しは変わりますが丁度 NATO の事がでたのでこの場を使って大事な話しに入ります。1990年にあの共産主義大帝国であるソ連邦の崩壊が開始しました。そして1991年に起きたゴルバチョフ下のゴルペを経てこの冬に全て崩れ去ります。冷戦の終局。

懐かしい言葉 共産主義5ヶ年計画、鉄のカーテン、悪の帝国 等々が化石の言葉に変換しはじめます。

ただここにきて私は大きな障害にぶちあったてしまいました、先に進めない状態で困っていたところ、都合よくこんな本にめぐり会いやっとホッとしました。この本を読んでいただけば、私がこの月日、長い事思い悩んでブログが進まなかった理由に説明がつきます。

当初はソ連邦の共産主義勢力と戦う為につくられたグラデイオ、ステイ ビハインド作戦の秘密軍隊諜報機関組織。ただ敵のソ連が崩壊、冷たい戦争が終わりその代わりに「危機作成作戦」を実行する恐ろしいテロ捏造組織に変貌します。この時代のテロは極左翼、極右翼、ネオナチ等のせいにして本当は彼らが火種をつけて回ったのです、そしてこれは現在のアルカイダまで続きます。

世界中に、軍人、警察、憲兵だけではなく、有名人、学者、ジャーナリスト、フリーメーソンメンバーも協力者おまけにマフィアもこの会員が多いのです。今の欧州に生き残りが動いて稼働していない事を祈り、冷戦の落し子モンスターじゃ〜  こわ〜

Daniele Ganser
が書いた貴重な調査分析の本。出版社 Fazi Editore  価格11.50ユーロ(日本でも早く翻訳される事を願って)
題名「 GLI ESERCITI SEGRETI DELLA NATO 」「北大西洋条約機構の秘密軍隊」
      
     
  オペレーション グラデイオ と 西ヨーロッパ内のテロリズム


秘密の迷宮テロ事件の真犯人達、謎のとけ始め Gladio & Stay-Behind



この著者はLugano(イタリア語が公用語のスイス国)生まれのスイス人で現在スイスのバーゼル大学の教授です。そうとう頭がきれて、まとめる才能にたけてますし、調査資料を何処から手に入れたのか?そこが不思議な点ですが、あまり細かく追跡するのも意味がありません。ここまでオープン解説してくれたのを感謝しましょう。

全ての関係者が口を閉ざしていたので非常に貴重な本です。

NATO内諸国以外にも広がっていた秘密軍隊諜報組織。

1990年の8月伊のアンドレオッテイ首相がこの組織の事を暴露宣言。このイタリアから始まった真実吐露、次々と真実の情報が広がって、その姿とテロの誘導又テロそのものの行動が次々浮き上がって来る恐ろしい秘密組織。米国 CIA,英国 MI6(本書には登場しませんがイスラエルのモサド)の命令のもと彼らを訓練し各国に設置した広大な秘密組織。さらに仏、独、スペイン、ポルトガル、ベルギー、オランダ、ノルウェー、デンマーク、ルクセンブルグ、ギリシア、トルコ、又スウェーデン、フィンランド、オーストリア、スイス等に指令が伝わる地下組織。

私が覚えてる事件は彼らの工作テロだった、、

Piazza Fontana (1969年12月12日)の農業銀行爆破事件、犯人は極右翼とか、ただ犯人の一人諜報員のゾルツイは日本に逃げて日本の国籍をとり不問。現場は何故かコロコロした小さいガラスの破片が散乱していたのを思い出します。

Bologna駅の爆破事件 Strage di Bologna (1980年8月2日土曜)85名の死者200名以上の負傷者、日本の青年も巻き添えで死亡しました。

別件1984年で私が記憶によく残っているのはTVニュースに頻繁に出て来た若い Venezia の判事 Felice Casson を注意して見ていました。と言うのはフェリーチェ カッソン判事がある爆破事件 Strage di Peteanoを調査中に異常な量の強力爆弾や兵器があちこちの山や丘又は村はずれの小教会の壁から30センチの地下などに隠されている事を発見する(当時NATO軍のみが所有できたC4特殊爆弾等、139ヶ所の"NASCO"と呼ばれた隠し場所)そんな事件を扱っていました。当時の私ははそんな地下組織など夢にも想像出来ず「うえー又赤い旅団か? Serenissimaの残党かな〜 ?」とか簡単に考えていました。

まだまだ沢山あるこのNATO 秘密軍隊の邪悪なテロ作戦はずーっと続きます、何時まで?

今はヨーロッパではどんどん超現代史の中で米国主導で英国イスラエルの諜報機関が練り上げた邪悪犯人不詳テロ事件の真相が語られてきています、、イタリアでも罪の無い国民を巻き添えにする残酷なNATO下秘密軍隊の捏造テロ作戦などの裏の犯罪が新聞、雑誌、サイトやブログに書かれています。

欧州各国から、真実と言う" シッポ " 喜んでパタパタと音をたててふっている様です。もっともっとフレッフレッ、、

lunedì 8 marzo 2010

Alberto Ronchey    あるジャーナリストの死 

今日2010年3月8日月曜日 Alberto Ronchey è morto 8 marzo 2010 aveva 83 anni.( 27 settembre 1926 - 8 marzo 2010 )

ジャーナリスト作家元文化大臣Alberto Ronchey アルベルト ロンケイ氏自宅にて83歳で死亡。このニュースが入りました情報確認等に厳しいジャーナリストだったとヴィットリオズッコーニ記者が懐かしそうに語っています。とても尊敬していたので来月このブログに載せる予定だったのですが、急ぎ彼の記事を追悼の意味で載せます。


1991年12月7日
土曜日付      La Repubblica

Alberto Ronchey ( 27 settembre 1926 - 8 marzo 2010 )

Si rovescia la storia per metà del mondo

L'EGIZIANO Boutros Ghali, successore del peruviano Pèrez de Cuéllar, è un personaggio senza precedenti al vertice dell'Onu. Il primo delsegretari generali, dal'45, era stato il norvegese Trygve Lie. Ora l'ultimo è un arabo, ma insieme un cristiano copto ammogliato a un'ebrea. Nello stesso tempo, anche la condizione dell'Onu è senza precedenti. Le " nazioni unite ", alle origini,erano in tutto 50. Oggi sono 159,moltiplicate dalla decomposizione del mondo coloniale specialmente in Africa, ma è prossimo l'ingresso nell'assemblea d'altre nazionalità indipendenti come Lituania, Lettonia, Estonia, Slovenia, Croazia e chissà quante ancora dopo la frantumazione dell'Urss e della Jugoslavia.
Il prestigio dell'Onu forse non fu mai alto come oggi, dopo la fine della guerra fredda e della paralisi provocata per lungo tempo dal veti sovietici. Ma l'assetto dell'istituzione appare contestabile o precario, poiché non corrisponde piu ai rapporti reali di forza mentre si rovescia la storia per metà del mondo. Dal '45 in poi nel governo effettivo dell'Onu, il Consiglio di Sicurezza, furono concesse rapprentanze permanenti e potestà di veto al cinque Stati vincitori della seconda guerra mondiale, Usa, Urss, Cina, Gran Bretagna, Francia. Ma ora l'Urss non esiste piu e chissà mai se in parte potrà ricomporsi, mentre il Giappone è la seconda potenza economica del mondo e la Germania unificata è la terza.
La comunità internazionale contempla, per cosi dire, qualche straordinario voltafaccia della storia. Di recente, il 23 novembre. Le Monde ha sollevato in termini espliciti la questione sottaciuta finora in ogni assise dell'Onu. Quanto a lungo ancora sarà possibile rinviare la concessione del seggi permanenti alla Germania e al Giappone, già dominanti con gli Stati Uniti nel G7, nel Fondo monetario, nella Banca mondiale, ma esclusi dal novero del potenti nel Consiglio di Sicurezza ?

O tre tutto, secondo un allarmato rapporto di Pérez de Cuéllar, l'Onu versa in una paralizzante crisi finanziaria, mentre deve provvedere a costose operazioni peacekeeping e missioni umanitarie, dall'Irak alla Cambogia e alla Jugoslavia che sprofonda con la fuoriosa guerra servbo -croata.

Già un anno fa, Tokyo ha fornito un terzo del finanziamenti necessari per l'operazione di " polizia internazionale " nel Golfo, mentre i componenti elettronici essenziali dei missili Patriot e dei teleguidati carri d'assalto M-I Abrams erano made in Japan.

Sarà inevitabile concedere il conveniente seggio nel governo dell'Onu al "generale yen" in tempi ragionevoli, anche se non subito. Sul momento, infatti, ricorrono cinquant'anni dall'agressione di Pearl Harbor, 7 dicembre '41, quanto i giapponesi distrussero d'un colpo l'imponente flotta degli Stati Uniti alla fonda nelle Hawaii per conquistare in un anno lo sconfinato impero del Pacifico da Hong Kong a Jakarta, passando per Manila, Rangoon, Bangkok,Singapore, alla ricerca di petrolio, carbone, ferro, gomma, riso. L'America ricorda , come lo defini Roosevelt, fra storici rancori e nuovi timori dinanzi all'invasione della merceologia Toyota e Minolta o Sony e Panasonic. Il Giappone si scusa, ma dopo mezzo secolo vorrebbe " dimenticare Pearl Harbor " mentre le sue industrie sospendono con una stratega coordinata ogni pubbblicità negli Stati Uniti per tutto il tempo delle rievocazioni.

Quel 7 dicembre, secondo i giapponesi, fu penalizzato abbastanza da eventi come le stragi atomiche di Hiroshima e Nagasaki, la resa incondizionata del'45, l'occupazione militare fino al'50, seguiti da quarant'anni di pace. Anche se questa pace, sostiruendo le competizioni commerciali alle battaglie navali, ha cancellato e in parte rovesciato le sorti della guerra. Invece che mandare a picco le flotte, ora il Giappone del "generale yen" tiene a galla l'intero arcipelago delle Hawaii , mentre i piu ricchi quartieri di Honolulusomigliano al snobborghi residenziali di Osaka. Anzi, decimati dagli orgogliosi keiretsu nipponici gli american manufacturers in tante aree tecnologiche, il capitale del Kabuto-cho è proprietario d'innumerevoli " pezzi celebri d'America ", del Rockefeller Center di New York alla Columbia Pictures di Los Angeles.
Simile per qualche aspetto è il fenomeno della Germania , ridotta nel'45 dalle spietate guerre hitleriane al suo , quindi scissa fra capitalismo e stalinismo finchè il miracolo economico dell'Ovest ha soverchiato il Panzerkommunismus dell'Est. Ora, poco piu d'un anno dopo l'unificazione a riscatto finanziario con le province orientali e due anni dopo la caduta del muro berlinese, già cambia lo scenario dell'economia oltre l'Elba, malgrado il temporaneo e inevitabile trauma della disoccupazione di massa. La svolta decisiva è attesa per il '92, quando potranno produrre a pieno ritmo le nuove fabbriche dalla Siemens alla Volkswagen e saranno all'opera i grandiosi piani di conversione infrastrutturale, ferrovie, strade, aeroporti, telecomunicazioni.

( 略 )
(このあと
記事の半分はソ連ロシア関連なのでカットします、すいません)

2010年3月8日月曜日付      La Repubblica のサイトより

ジャーナリスト作家元文化大臣アルベルト ロンケイ氏自宅にて83歳で死亡のニュース 
Vittorio Zucconi 記者が語るロンケイ師の思い出

http://www.repubblica.it/politica/2010/03/08/news/ma_non_era_italiano-2559671/

合掌