lunedì 30 marzo 2009

SALON DU DESSIN CONTEMPORAIN PARIS 2009

今日は テンポ レアーレ 2009年3月

salon du dessin contemporain Paris 2009

の展覧会があったので見てきました: 下は公式サイト
http://www.salondudessincontemporain.com/?menu=&page=main〈=fr

沢山ありすぎ、私にとって面白かった作品を少し写真に撮ったので貼ります


現代企業の大犯罪である薬の問題、有色人種を減らす目的のエイズ、サルス鳥インフルエンザ実験場、薬品企業の利益のために利用される後進国、、、
だけでなく私達も利用されて実験動物に近い(もしガンになっても絶対薬は飲まないぞー)、躁鬱用の薬品に殺人作用を引き起こす副作用があるとか、これを操作、、自由に治安不安定の町や社会現象を作り出せる、むむ、、、近頃おきる各国のピストル乱射殺人事件、、怪しい、、臭い。
 
Jeanne Susplugasの作品。(galerir schirman&de beaucé)






















女性も利用されている、男性ファッションデザイナーはほとんどがホモ、だからだろうかモデルは常識のある女性なら買わない高いヒールの靴をはいて歩かされる、見ていて心が痛む,もちろん女性の健康に良いはずがない。(この作品を見ながらぶつぶつ)







下は有名なMattaの息子Ramuntcho Mattaの15cmの黒い手帳に描かれた面白小作品。右端のデヴィル君が可愛いい  (galerie anne barrault)







          
これは何となくおっかないスケッチがつづくー Nalini Malaniの作品。
(gallerie Lelong Paris)
















ちょっと解り易い作品、じーっと見つめて下され、ねっ、写真がいまいちで失礼。皆さん、聖書、福音書、イザイヤ書、タルムード、カバラ等読みませう、、

















さ大変だー 、私は若くないから読めない、時間が無い。インスタントに「ヘブライの館」のサイトを見て了。







あれこれ見ながら楽しんだ、、終わったところで,中国人のアクセサリー問屋が並ぶ Rue Temple 近くのバールに入ってカプッチーノを飲む、アートの限界はどこまで? とか色々考え友だちと議論、、ふとイタリア人はどんな表現するかな?しばらくイタリアから離れてしまった、、なつかしい。

と意地悪な人が「今イタリアじゃ、ナポリで子供が野良犬の群れに噛み食われて死んでるよー」と横から捨てゼリフ。いやーな奴じゃ〜 これで友だちか〜っ



giovedì 26 marzo 2009

SONDAGGIO ESISTE ITALIA ? Aiuto, dove sarà Italia ?

mamma mia !! cari lettori italiani, aiuto !

mi è arrivato dalla una rivista Limes-web che leggo, un sondaggio ma essendo una giaponese non credo sia giusto rispondere, mi aiutate al posto mio a rispondere questo sondaggio ! grazie alla collaborazione e arigato.


partecipate al sondaggi, Limes online !



みなさま御協力ありがとうございます、いつも感謝しています。



Limesサイト内 Marco Hamamの Rubrica Fukahaアラブジョーク

A proposito di Gaza

上のサイトの風刺漫画




martedì 17 marzo 2009

MADAME SADDAM HUSSEIN サダム フセイン夫人


湾岸戦争考1991年2月28日にバクダッド空爆終了一応終戦

湾岸戦争ペンタゴンより表の出演者(真の参謀は裏に)
Schwarzkopf & Powell Autostrada della Morte
死のクウェートハイウェイ
  

死守するといわれたサダムのBaath 親衛隊は現代最強の軍隊とPaolo Garimberti も真夜中のTVトークショウで何度も言っていた。しかしバクダッド空爆後、思ったより無抵抗で降参したイラク軍その姿がTVに出始めた。カメラに写し出されたゴムぞうり、これが湾岸戦争でイラク兵が残した軍靴の事実の姿。イタリア人は多少あきれ顔、イラク兵が以外と簡単に捕虜になり砂漠で座り込んでいる姿を見ながらつぶやく「おれんちの田舎のおじさんに似てるな〜」、クエート死のハイウェイには気化爆弾等で炭のようになったイラク兵の死骸と焼けこげた戦車やトラック群、、路上にえんえんと続いている。皆複雑な心境になっていった。


写真はイラク攻撃後捕虜になったイタリア空軍Tornadoの操縦頭 Maurizio Cocciolone キャプテン。そして戦後 Giammarco Bellini 少佐と共に 無事に生きてイタリアに帰還( TVで24時間コッチォローネコッチォローネと大声で叫んでいたEmilio Fedeの声が今でも耳に残る)その後米国NYで行われた勝利?パレードに参加して伊の人々は大きく胸をなで下ろしました。なにしろブラッキア海軍大将もコッチョローネキヤプテンも同じ様にこの戦争の意義に疑問を持った発言をしていたのでブッシュ政権に対して若干ヒヤリとして心配だったのです。もっとも伊国民は皆本心は(??)を抱いた複雑な心境でした。

Capitano Maurizio Cocciolone(RAI TG2よりのFoto)

Caso Ammiraglio Buracchia "Questa guerra si sarebbe potuta evitare se solo avessimo usato un po' più di saggezza". 湾岸派遣の伊海軍ブラッキア大将は「この戦争はもう少し知恵を使ったなら回避出来たはず」と公言して解任させられた事件。


SADDAM vs PAPA GIOVANNI PAOLO II vs BUSH papà
サダムフセイン 法王ジョヴァンニパオロ二世 ブッシュ父 三つ巴の戦い

Madame Saddame HUSSEIN 夫人の はなれ技

バクダッド空爆後いき処を無くしたサダム「ヴァティカンが亡命引き受ければいい」と皮肉った案が伊メディアに飛び出しました。法王ジョヴァンニ パオロ2世はイラクの外相テレク アジズとも面談して、イラクを心配していた。何とか戦闘を回避努力も虚しくバクダッド空爆は続きました。そのうちサダム夫人がいなくなった、、「何処だ?」「何処に行った?」 、 、、数日後に病人を装い極秘で日本を訪問し、夫の亡命をリクエストしたとのニュースが出廻り。この情報を日本外務省は肯定したとイタリアのTV NEWSが伝える(ただし夫人が極秘来日し旦那の亡命依頼をした事のみで、それを日本が承諾したかどうかは不明だった)湾岸危機から湾岸戦争中そしてその後と、国際社会から、からかわれ失笑され続けていた日本がぽっと昔のサムライにもどった如く伝わってきた話しは、サダム夫人の勇気ある姿と共にかっこいい地味なテロップ ニュースでした。

Saddam Hussein con la moglie Sajida e figlia Raghd

 サダムフセイン Sajida 夫人(茶髪)と娘の Raghd

(foto dalla La Repubblica)

湾岸戦争中に私の驚いた事の一つは、米軍戦闘機がイラク爆撃用ミサイルを投下出来ずくっつけたままイタリアに帰路飛行中との速報ニュースが入った時でした。メデイアは「どうするんだ」「おい何処に飛んで来る?」「何処でミサイル投下するのか?」「アンツィオ方向に飛んでくる?」「ウォ〜怖い」と恐怖の声................「今は第二次世界大戦じゃないんだ,ANZIO 戦じゃない、何を怖がる」「安心しろ海に落す」とこの反響に対し落ち着く様に再三忠告していました。国民一同皆夜更かしの毎日のなかで、ひときわ恐い闇夜でした。勿論バクダッドに投下されるべきだったこのミス ミサイルはアドリア海に落されました。

わっイタリアの国民の中にはこんな潜在意識の恐怖がまだあるんだな〜と驚きと一緒に哀しい気持ちを呼び起こされました。私にとってイタリアはヨーロッパの一員即ち白人世界、要するに絶対に原爆は投下されない国と言う強い確信があったので、イタリア人がこの様な恐怖と懐疑をたとえ一瞬でも抱いた事自身がただのミサイルにしても不思議で驚きでした。イタリアも第二次世界大戦の傷はまだまだ深いんだ.....と考えさせられました。


ところで米国を見ていると過去の日本との戦争経験にそうとう強いインパクトを受けた様子。この湾岸戦争後のNYでの凱旋パレードの映像に日本敗戦と大きく書かれた新聞や太平洋戦争終了後のNY凱旋シーンが操作されて入れてあった。よっぽど嬉しかったらしく思わず本音(日本から金を巻上げ、侮辱し放題、地球村八分に成功)がでたのかイラクと戦っていたのを忘れて日本と戦って勝ったみたいな雰囲気(内心たしかに広報外交戦で負けたと思ったが、こうも喜んではしゃいでいるのが、ちと不愉快)。ペンタゴン他の軍組織やCIA等諜報機関に勤める人々には、いざ日本と争うと言う時に強い変な作用があるらしい。あの日本との戦いと聞くと妙に姿勢がしゃきっとすると言うか、ピンと直立するみたい。多分太平洋戦争後にめんめんとし続けた各戦争がよほど汚なかったか、陰謀そのものの戦いだったからか、あまり誇りを持てない経験みたいで余計日本との戦いについてこの先何か裏があるのか、やはり真剣だったせいか自然と気が引き締まるのか。何かいつまでもいい迷惑な感じ、、


sabato 7 marzo 2009

FESTIVAL DI SANREMO 1991 サンレモ音楽祭

SANREMO音楽祭の季節 は毎年2月 サンレモ フェステイヴァルのなかで歌われる歌詞はいつもとても感動的、特にこの年は湾岸戦争中なので、よけい人々は心が歌を必要としていました。(2009年はボノリスの司会でCMにも彼が出てうんざり、でも視聴率はよかった)。 

1991年サンレモ音楽祭の一位はリカルド コッチァンテ

Riccardo Cocciante
1. Se stiamo insieme 「一緒にいる場合」

"♬ Se stiamo insieme ci sarà un perché
もし一緒にいるなら、何故か理由があるはずだ ♪
e vorrei riscoprirlo stasera.  ♫
それを今宵、探し出したい
Se stiamo insieme qualche cosa c'è  ♬
もし一緒にいるなら,何かある
che ci unisce ancora stasera.
今宵又一緒になれる     ♪
Mi manchi sai, mi manchi sai...aaii... "
あなたといたい、あなたといたい、、ああ ♪♪

3位にマルコマジーニの「何故それをする」
Marco Masini
3. Perchè lo fai

下位にラフの「今 神はいない」が入っています。
Raf  (Raffaele Riefoli)   オフィシャルサイト http://www.raf.it/
Oggi un Dio no ho

Sentivo solitudini l´ulivo del Getsemani
E accendersi le voci dentro la città. Le croci che non porterò
oggi un dio non ho.
Madonna per la via non andar via che mi perderò....
...lascio il gregge io...E la tua legge qui
Non rispetterò resta dove sei. Negli abissi miei non ti cercherò...
...Sentivo moltitudini l´arrivo di altri popoli.
E accendersi bandiere feste inutili, campane Che non suonerò...
..Madonna madre mia. Non andar via che io morirò e...
...sono uomo anch´io...Dentro un vortice.
Nuvole scoppiano e il sole cade giù
E ho bisogno di aiuto e non c´è. Che da vivere, esistere
Giorno dopo giorno ancora non mi arrenderò......
...sono morto anch´io se......E nell´Amore si io rinascerò
Chissà dove sei negli abissi miei ti ritroverò, ma...

ルーチョ ダッラの「狼に気をつけて」も入り、コミカルで楽しい曲。
Lucio Dalla
Attenti al lupo

今年2009年のサンレモ前に私の好きな曲がリバイバルで流れたので一緒に載せちゃいます。
Fabrizio De Andrè

ここからはイタリアの歌手が1991年以前に日本語で歌って大ヒットした思い出の歌、France & American POP歌手も日本語で歌っています、ついでに昔の歌も一緒に聞いちゃいましょう。

この歌手達に共通な事は、何か?? あてて下さい、簡単ですね?

Claudio Villa
夜明けの歌

Giliola Cinquetti

Mina
Milva

Salvatore Adamo ( Comiso- Sicilia 生れ)
雪が降る
サン トワ マミー


Connie Francis ( 彼女の本名はConcetta Rosa Maria Franconeroで おじいちゃんは San Giovanni di Gerace -Reggio Carabriaの人)
可愛いベイビー
大人になりたい
http://www.youtube.com/watch?v=IIbYvmkZzpg&feature=related


Tutti questi cantanti hanno una cosa comune, indovinate
un po' ?? facile no ?


60年代のカンツォーネは大きくなりたい願望が多い。戦後占領のために着いた時マッカーサーは「boys and girls」と言い、日本人は子供扱いされたとぷりぷり怒ったとか。日本にとって大事な時はわざとポケットに手をつっこんだままの無礼な姿にイライラさせられ、おまけに日本国民は12歳と言い残していく。(最近TVで終戦直後マッカーサー達の占領ジープを迎えるため道端に日本兵が何十メートル毎に直立している記録フィルム的映像を見た、立派にきちっと立っていたが 背中を米軍にむけていた !! 演出編集か ? でも吹き出した)

あれからずいぶん年月がたち湾岸戦争後パパブッシュが日本訪問から帰るとベビーサークルに入った赤ちゃんに絵本を読む映像を世界にくばっていたが、そろそろ青年になっているはずなのに、なんと乳児とは 、、どういうこっちゃ。