sabato 18 ottobre 2008

PER SUPERPOTENZA CULTURALE 文化大国への道


Per la trasformazione culturale di una superpotenza economica

経済大国から文化大国へ変身

今翻訳に手間取ってるのでその間、日本の達成すべき目標と未来への提案 なんてすごそうなフレーズに見えるけど、自分が肌でじかに感じ経験した身近な事をメモってみた。

日本はまだ世界第二の経済大国などと、おだてやでっちあげにのらないで、着実に歩いた方が賢明、お金持ちになったと言うなら、、じゃ次は本物の文化大国になろう。
(軍事大国、軍備などほっておいていい、公開情報の収集や分析がしっかり出来ないのにどうやって戦争情報の分析、対処が出来るのだろう、よその国から「どうもすいません」と貰うのだろうか、武装軍備拡大は人殺しが好きな国がやれば良い)

日本はベースになる古典文化はすでに持っているが、、これから出来る、やるべき事は山ほど、いっぱいあるのだ、、

日本を知りたい又日本語を勉強する日本好きな人から聞かれる

「映画館であまり日本映画を上映しないから、DVD借りて見たい?」、各国の日本文化会館には数が少ない、例えば在仏パリは持ち出し制度も無く館内で見なくてはならない、カセットがほとんどで監督は黒澤作品等古い物が少し、今の若い監督作品やDVDなど無い、ホント。自国の文化普及に何より簡単なのが映画、「質の良い映画はその国を助ける」誰が言ったわけではないけど、私の考え。 ちなみにパリ在仏イタリア文化会館は何百というDVDがガラスケース棚にいっぱい揃っているデシーカのクラシックから今の若い監督作品まで、、貸し出し持ち出し可、制度なので家でゆっくり見る事が出来る。これが文化国家の格差?
確かにイタリアは日本より経済面で立ち遅れているかもしれないが、治安や組織力でも、ただ国というのはそれらやお金だけでは測量不可能な総合体。

「ようやく夢がかなって、日本に行きまーす、それで好きな盆栽を本場で見たいので盆栽博物館は東京の何処にありますか 住所を教えて下さい?」「うむ うむ む む、、アリャそんな博物館あったけ?」(内心やばっ、地方に植物庭園兼盆栽園ならあるけど、、そこに行くには交通機関がちと難しい)「まあ、まあ、そのうち大きな盆栽博物館が出来るでしょう」とか言ってお茶をにごす、冷や汗。

「日本の本当のKIMONOを着て本場で日本舞踊をほんの真似るだけでいいので、そんな体験できないでしょうか?」この日本舞踊の言葉の部分をあらゆる日本文化芸能や工芸品の言葉にいい変えれば、、予算の無い若者達の希望がリストアップされる。
「あのねーその工芸品は作ってる地方があってそこの名産物だから、その地方に行かないとダメなの」漆はどこそこ、和紙はどこそこ、織物はどこそこ、あー日本陶器狂いのこのパリジャンにあの瀬戸の瀬戸物市バザールを見せたら死ぬほど喜ぶだろうに、、

仏貴族が「この浮世絵の版画は曾祖父の所有品ですが何て書いてあるのでしょうか?」「むっ、読める漢字は少ない、ひらがなが少—しけはいで解るぐらい」「こんな草書でくずれた書き方みたことない」(おじいちゃーん助けて、おじいちゃんはすごかった,そういえば、おばちゃんもミミズがはってるようなひらがなが並ぶ源氏物語を読んでたなー)

結論 今はWEBちゅうもんが出来たので、読めない古典の草書等は日本の国立、県立、何でもいいが、希望者には無料で現代日本語に変換してくれる公立機関があると良い。知る人ぞ知る的な機関でなく広く文化広報として広範囲にPR後に開始する。原文や原画をスキャンしてNETで送付すると日数がたってから現代語になって返信とか、、勿論外国向けの日本文化事業サービスとしても有効なのでは。

今、源氏物語千年記念とか、ちと広報期間が少なさ過ぎる、世界は日本の中の様に伝達が早くない、東欧の人に伝わるのに丸1年はかかる、もっとかも、クロアチアのアーテイストが年が終わる今頃知ってがっかりしている。何事も2、3年以上かけてPRした方が効果があるのでは。

それにこれからは中央アジアにまで広がって行く将来はもっとゆっくり企画をたてて彼らにも楽しんで欲しい。

んでよく聞かれる質問 「日本はお金がないと楽しめないって、、ホントですか?」。これをパリッ子に言われると「 NO 」と言えない


mercoledì 8 ottobre 2008

UN ALTRO MONDO   異質な世界

Alberto Ronchey

1990年11月24日      La Repubblica

Il Giappone che incalza da tanto lontano…
遠くから追い迫る日本、、
Eppure, tanti o troppi occidentali ancora non sanno spiegaresi perché il Giappone avanza e incalza sui mercati …
それにしても、あまりにも沢山の西洋人は日本が何故こんなに市場に追い迫ってくるのか説明がつかないでいる、、、
(略)
La risposta piu frequente si riassume in poche parole : « Quello è un altro mondo ».Come confessare che tutti piu o meno sanno cos’è il Giappone, ma non lo capiscono e neanche vogliono capirlo.
よく聞かれる答えとして簡単に言えば「あれは別の世界」。言ってみれば誰もある程度日本がどんなものか知っている、しかし理解出来ず又解りたいとも思わないのだ。
(略)
Prevalgono spesso l’incuriosità e la cieca ostilità, se non anche il dileggio. Il Giappone risulta distante, freddo, alieno persino a quanti nelle loro imprese lavorano su circuiti integrati Nec o Toshiba, mentre i loro figli non sanno fare a meno dello stereo Sony, del fuoristrada Nissan o Toyota, del motociclo bolide Yamaha, Honda,Suzuki.
嘲り笑いでなければ盲目な敵意と無理解が常に優勢である。多くの人達は NEC や Toshibaの関連企業で働いていている 又その子供達はSony のステレオ、Nissan やToyotaの四輪駆動ジープとかYamaha ,Honda,Suzukiのオートバイ無しではいられないのに、でも彼らにとって日本は遠く、冷たくて異質というありさまである。

E poi offende, o distruba , quell’inesplicata e recente ricchezza che compra tutto, sui mercati immobiliari e nelle aste internaionali di patrimonio artistico.
そして最近の説明がつかない成金、 侮辱的で邪魔でもあるが国際市場で不動産や競売の美術品を全て買いあさっている。
(略)
Ma non c’è niente da imparare ?
だが教わる事は何もないのだろうか?

Sarà vero inoltre che la selezione meritocratica e la competizione individuale, nelle scuole o nelle fabbriche giapponesi, impongono una severa disciplina interiore, ma chi puo dimostrare che sia un male ?
個人競争や実力主義が 日本の学校や工場では厳しい内面の規律が課せられるのは事実だ、しかしこれを誰が悪い事と言えるのだろうか?

Eppure, un giornale inglese definisce quella società workaholic, « ubriaca di lavoro », forse per plagio collettivo,.
にもかかわらず英国の新聞はあの社会はワーカーホリック「仕事中毒」多分 集団奴隷状態 と決めつける、

Un settimanale francese intitola l’ultima inchiesta sul remoto arcipelago : Fous, fous, fous ces japonais.
仏週刊誌が行った遥か彼方の群島の最新調査のタイトルは : 愚か者馬鹿馬鹿それが日本人
(略)
Un sindacalista italiano racconta d’aver visto una fabbrica giapponese di orologi dove nessun operaio, in quaranta minuti, ha mai sollevato la testa né pronunciato parola, concluendo che « quello è schiavismo ». Sicuro ? Ma non somigliano a quegli operai tanti nostri figli, o nipoti, davanti a un videogame ?
伊の組合関係者が日本の工場で見た事を語るには、時計工場で40分間というもの誰も工員が頭を上げなかったし話をしなかった、結果として「あれは奴隷制度だ」確かだろうか?自分達の子供や孫がヴィデオゲームに向かっているのと似ているのではないだろうか?
(略)
Ma perseverando nel dileggio primario e nell’incuranza megaleuropea, l’irruzione dell’industria giapponese nel mercato unico del ’93 è uno storico incidente che aspetta solo di accadere. Per gli europei, allora,sarà come vestirsi di tutto punto e non andare da nesuna parte.
しかし無頓着 なメガヨーロッパの嘲笑に耐えつつ1993年の欧州統一市場を前に日本企業の侵入現象が起きると言う 歴史的な事件を待つばかりである。その時、ヨーロッパ人にとって外出の正装をしたはいいが何処にもお出かけしないという事になる。


Alberto Ronchey記者の記事は「さて皆の衆 日本に御注意あれ、御警戒」と呼んでいつつ、欧州人として反省も促している。でもロンケイ記者の言葉は私にはいつも優しく響く、書く記事にしろ会議やTVで話をしている時も、、何故か彼が日本を気に入ってるのが感じ取れる(きっと色々な日本文化の本を読んで研究しているのだろう)ありがたい話し手だ、、こういう人が一人でも増えてくれると未来に希望が持てる。La Stampa の編集長、文化大臣等を勤めた。

1991年にRizzoli から「 I limiti del Capitalismo —資本主義の限界」を出版、他に著書多数2007年にはGarzanti から「 Viaggi e paesaggi in terre lontane - 遠い地の旅と風景」が出版された。
http://www.ibs.it/code/9788811740704/ronchey-alberto/viaggi-paesaggi-terre.html

彼が2005年に IL MORINELLO賞を貰ったのが嬉しい。とても若く今82歳と思えない思考明晰というか、しっかりした話し方で驚く。授賞式でスピーチするロンケイ氏。

http://it.youtube.com/watch?v=rUL_Bsbsj-c
(彼に賞杯をもたせろ、、)
               
彼は「好きな色はTerra di Sienaだ」と言っていたけど、どんな色あい

こんな色かな?(私)       
             

アルベルト ロンケイ記者の傑作な言葉
「 Raccontare ai giornalisti stranieri la politica culturale italiana non è cosa semplice. Bisogna prima di tutto cercare di non ridere」
「外国人記者にイタリアの政治環境を語るのは簡単な事じゃない。まず最初に必要なのは笑っちゃいけない事」