sabato 31 maggio 2008

NESSUN DORMA   誰も寝てはならぬ

Giacomo Puccini   ( 1858 - 1924 )

Luciano Pavarotti  ( 1935 - 2007 )


TURANDOT   Nessun dorma

Nessun dorma, nessun dorma !

Nessun dorma ! Tu pure, o Principessa,
nella tua fredda stanza
guardi le stelle
che tremano d’amore e di speranza….
Ma il mio mistero è chiuso in me,
il nome mio nessun saprà !

No, no, sulla tua bocca lo dirò,
quando la luce splenderà !
Ed il mio bacio scioglierà il silenzio
che ti fa mia,

Il nome suo nessun saprà….
E noi dovrem, ahimè, morir, morir !

Dilegua, o notte ! Tramontate, stelle !
Tramontate, stelle ! All’alba vincerò !
Vincerò ! Vincerò !

venerdì 30 maggio 2008

MARCO DA TOKYO マルコ東京発 湾岸危機状況

湾岸危機が開始して35日目

Marco Panara

1990年9月6日付  La Repubblica より

Tra due paesi c’è identità di vedute sul Golfo
Mosca e Tokyo intesa sulla crisi
ソ連邦と日本と両国の差が湾岸危機で露出、サダムのクエート侵略を意外にさっと非難したソ連邦と反面日本の優柔不断なあいまいさが際立った。両国はイラク非難の共同声明発表。 1991年春にゴルバチョフ日本訪問予定 Eduard Shevardnadze がその調整のため来日中。(略)83%の日本人は戦争に反対で経費負担は60%が賛成した。海部は100人の医師派遣を約束したが集まったのは10人。82人の人質が釈放されまだ332人が残っている、日本としてはまず彼らを無事家に帰らせ、全てはその後からと言う事なのだろう。(略)

Marco Panara

1990年9月13日付            La Repubblica

Il primo ministro di Tokyo è stretto fra le richieste di sostegno degli Stati Uniti e la voglia di pacifismo dei nipponici.Per risolvere il dilemma ha pensato di creare un corpo di pace da inviare all’estero,sotto egida Onu,in caso di crisi L’ambiguita di Kaifu. Giappone senza linea alla prova del Golfo  「Amercan boysが砂漠の中で米国の商店に並ぶ日本製品の生産に必要な石油を守っている、なのに日本人は単純に何時ものごとく彼らの目的は儲ける事、どん欲さと守銭奴さ」と日本の湾岸危機への貢献の低さを米国上院議員に告発され日本政府には非常なジレンマが発生する。正しい戦争にしろ正しくないにしろもう関わりたくない日本国民の意思と米国の意向との間で海部は難しい舵取り。
(略)

サダムフセインの攻撃は日本が国際社会に出る準備が整ってなかった事を明らかにした。  

Marco Panara記者の記事がメモ的な東京発 湾岸近況記事抜粋になって申し訳ないが、全文は日本が派兵できない内部事情や経費支払い状況等が書かれている。 他の記事は平和日本の伝説を保守する反対勢力の内情が解説されている。このように詳細を報告してくれるのでイタリアからでは把握しにくい日本の国内事情が理解しやすくなっていた。現代版マルコ見聞録はまさしく、えんの下の力持ち。悪意のない分析記事は大事な羅針盤となりえる、来る未来に参考にしたい。

この記事の脇はワシントン から ベーカーがローマ訪問、又欧州各国に湾岸戦争参加へのプレッシャーを強めている情報記事が配置されている、この前ぺージはブッシュ父の強気な「サダムはあきらめるさ」アメリカは戦争の風が吹く等の記事がある。これら新聞の構成からでも世界政治の力関係が読み取れた。

湾岸危機から1ケ月で起した米国政府の動きの速さは驚くべき物があり、戦争準備の警笛が鳴ると団結してはりきるアメリカ高官達にはうんざりさせられる。古い映画をみる時と同じ、又か、という感じ。

湾岸戦争はもしかして関ヶ原だったのだろうか。

martedì 27 maggio 2008

una candela per scacchiera del mondo   チェス台の炎

このブログは若い冒険ずきなあなたに送るweekly-memo

そんなに遠くない昔、イタリアは遠い小さい島の為にとてもつらい痛い思いを味わいました、もしかして歴史に残らないかもしれない物語。知らずにいるには、あまりにも美しすぎて、悲しいお話ですが、是非 日本の若者に伝えたいメッセージの数々を残しておきます。愛の話にはよくある、直感的な思いもあるかも、でもあなたに語っておきたい、知らせておきたい「ある愛の物語」なのです。



チェス盤の上の炎は誰のため、灯されているのでしょうか ? もしかして  あなたの為では ? あなたは若い、諦めないで、いじめやからかいは台風みたい、必ず過ぎて行く、それよりあなたの知らない処で、 広い世界にきっとあなたを信じて待っている人々が、、いる事を、それまで強く生き残って、、あなたが信じる道を歩きつつ、この沢山の隠れた愛に、、、気がついて早く反応できる様になってくれる事を願って、、


そんなに遠くない将来、私の未来の孫達は言うかも「ねえ、おばあちゃんの時代って人と人がほんとうに殺し合ったんだって!ホント? うわぁ〜やばーんじーん、それじゃ血がでるの?ひゃ〜、それでお母さんやお父さんがふつーの人達の声が強くなる様に戦ったんだ〜(お母さんが横から)「でも血は出ないやつね」ふーん。でも今はアジモが兵隊なんだ、大きいアジモもいるよ、戦争になったら銃なんて使わない、大きい声で喧嘩すればいいんだよ、それがダメならサッカーで決めるんだ。いつもイタリアが勝っちゃうんだけど〜」と、、

sabato 24 maggio 2008

MONDO DI MARCO PANARA マルコ パナーラの世界

         Marco Panara  マルコ 日本見聞録

ラ レプッブリカ紙の東京特派員のマルコ パナーラから送られてくる記事はとてつもなく新鮮で面白く、そしてちょっと考えさせられたものでした。 彼の日本発信記事はイタリア中で大変人気があり、ちょうどマルコ ポーロ東方見聞録の現代版。欠かさず読んだ人(上下 左右 大小)は多く政治家はもとより各界のプロフェッシオナル、アーテイスト、著名人等に大きな影響力を発揮し、当時のイタリア世論の中核にもなっていました。
La Repubblica 日刊紙は創設者 Eugenio Scalfari のきりっとした文化度も立派で、飛び抜けて文化関連の記事は濃い内容と高い知性に裏ずけられいるのが特徴です。著作家はもとより各専門分野の人、創造的職業人各デザイナーや若者の愛読者も多い。マルコは歴史も含めて複雑な日本の問題の各経緯、現状、正直な国民感情等を誠実にイタリアに伝えてくれたアルカンジェロの使者。これから彼の記事をひとつづつ見ながら主要な物を抜粋して進んでいきたいと思います。
日本とイタリアの星、マルコを知ってもらうために、、、


1990年9月26日付    La Repubblica

Giappone allo specchio
Alla Fiera di Francoforte sarà il paese dell’anno e cercherà di farsi capire e di capirsi al di là degli stereotipi

Il GIappone , dopo aver conquistato I mercati ha deciso di lanciarsi in una piu ardua battaglia, quella della conoscenza e, in senso letterale, della comprensione.
Passiva ovviamente. Il Giapone ha letto e studiato tutto quello che poteva degli altri, ora vuole ricevere lo stesso trattamento, vuol essere letto e studiato, nella speranza di essere capito e magari anche accettato.
“Sentiamo fortissimamente il bisogno di essere compresi”
“ Conquista della comprensione del mondo “

鏡の前の日本
今年のフランクフルト本の見本市メーンカントリーは日本、ステレオタイプから抜け出た理解を求めて模索している。

日本は市場を征服した後に非常に厳しい戦いに挑む決心をしている、それは「知ってもらう」文字どうりの意味で、勿論受け身な型の「理解されたい comprensione 」日本は他所の物は全て読み研究した、今度は反対の立場で扱って欲しい、分かってもらいたい、あるいはひょとして受け入れてもらえる との希望から、今度は自分たちを読んで研究して欲しいと願っている。この「分かって欲しい essere capito & comprensione 」強い要求から、世界に理解してもらう為の遠征に挑戦している。

Marco Panara記者の上は1ページ位の記事ですが、日本がどんなに困難な戦いに臨んでいるかが分かる様に書いてあります。この記事でイタリアの若者がいつかもっと日本を分かってあげたいと思う気持ちが湧いたのは事実

 
マルコはその難しい道 "comprensione"への良き案内人となりました。

venerdì 23 maggio 2008

HAI BISOGNO D'AFFETTO  優しい愛が要るんだ

Farfallina    小さな蝶

Luca Carboni

un fiore in bocca puo servire…non ci gurerei
ma dove voli farfallina non vedi che son qui
何処に飛んでゆく小さな蝶よ僕はここにいるのに
come un fiore come un prato fossi in te mi appoggerei
花のように 草むらのように 蝶が僕だったらこの僕に羽を休ませるのに
per raccontarmi per esempio come vivi tu
例えばどんな風に生きてるか僕に聞かせてくれるため
potresti dirmi sorellina in cosa credi tu
若い娘よ何を考えているのか言ってくれ
cosa speri cosa sogni da grande che farai
大きくなったら何したい どんな希望どんな夢なのか
se ti blocchi contro il vento o spingi piu che puoi
se hai paura certe notti ti senti sola mai

oh cosi sola da da non poterne piu

…..se hai bisogno d’affetto se ne hai bisogno come me
もし優しい愛が要るんだったら それが俺と同じ様に要るなら
…..se hai bisogno di affetto di qualcosa che non c’è

per te tra gioia e dolore che differenza c’è
おまえにとって喜びと苦しみに何の違いがある
vuoi dei figli si dei figli o non ci pensi mai
il sesso è un problema oppure no
性は問題あるのそれとも無いの
sembri libera e felice o a volte piangi un po
自由で幸せに見えるけど時々ちょっと泣くんだろう

si dice in giro farfallina che l’anima non hai
魂が無いとか言われているけど
e come fai piccolina a dire si o no
どうやって SI (はい) 又は NO (いいえ) と言えるのだろうか
non pensare che sia pazzo se sto a parlar con te
おまえと話しているから気違いだと思わないで
è che son solo sorellina cosi troppo solo che….
若い娘よ僕はあんまり独りぼっちなので

…..ho bisogno di affetto per oggi tienimi con te
ho bisogno di affetto ho bisogno anche di te
僕には優しい愛が要るんだ それにおまえも必要なんだ
ho bisogno d’amore e di qualcosa che non c’è
僕には愛が要る、、
ho bisogno………….

( CDより仮直訳)

lunedì 19 maggio 2008

欧州 米国 日本の三角関係

キッシンジャーの種まき と Renato Ruggiero の苦悩 

ある日TVの画面にはよく現れる Renato Ruggiero の顔が映っていた。「ん?」立ち止まった、何かいつもと違う、、イタリアでは見慣れたレナート ルッジエロのどちらかと言うとベビーフェイスが歪んで困ってべそをかき.もう少しで泣き出しそう 気の毒で、何が起きたのか 立ち止まってテレビを凝視した。その時 脇で私を見ていた人がいたら 驚いただろう、きっと私の顔はTVをじっとみつめたまま蒼白になっていたに違いない。

Giallo ストリーを書くつもりでは無かったのですが、、ちかくなってしまいそう。話は簡単な事(?)で、湾岸論争盛んなおりキッシンジャーがイタリアにやって来て Milano のイタリアミラノ商工会主催で講演をした。キッシンジャーは講演後の記者会見で「ヨーロッパと米国の本来の姿はその血のつながりだ、何の血の繋がりや関係もない者が欧州の中でビジネス繁殖するのは間違っている、、云々」まるで欧州を日本と米国が取り合っている様な、まあ彼の言いそうな事、、ちょっと話す場所をミスったようだ。それ以前に「欧州統一後の市場を日本が独り占めするのは正しいのか?」の表現がメデイアに現れていた。私がTVを見たのは記者会見中にルジエロの番が来た時で「キッシンジャー氏の意見は私には納得出来ない部分もあるし、、言いたい意向は理解出来るが、」等々非常に苦労しながら絞り出す様に意見を発表していた、その時の顔がアップされてTVニュースに映っていたに過ぎない。ルジエロは大使として冷戦時代を主要都市に派遣され外交や経済大臣を経験したベテラン、よほど苦しかったに違いない。彼のいつも日本との経済交流歓迎論に慣れていた私には気の毒をとうり越して、、内心「もういいんですよ、あなたの気持ちは分かっているから、自分の事を考えて、自由に、」(後彼はWTOやビルダーバーグ会議、キッシンジャー組織に参加)

湾岸戦争後アメリカは自分が戦争( WWII )に参加しナチスから欧州を解放したと再宣伝し始め、欧州各国では米国に感謝する行事が半強制的に開催された。(本音は欧州各国には有り難迷惑な行事だったし、青年達から国はそんなパレードに金をかけるなら若者の雇用拡大に使って欲しいと恨まれていた)。この時ノルマンデー上陸等の戦争映画が多く制作される。又戦後米国が独りで欧州をマーシャルプランで助けたと強調(仏や伊、各国は恩着せがましいのを我慢して感謝行事に出席)。そして米国人の血の繋がり探し、要するにルーツ探し(白人米国人の祖先は勿論欧州出身者がすぐ見つかる)や欧州にいる同姓の人探し(特に仏の小都市では米国人と同じ姓の仏人が歓迎合流パーテイ等を開く)などが流行っていた。この頃はコロンブスのアメリカ発見やメイフラワー号船の映画も増えた。そして今は有色人種の欧州追い出し法(キッシンジャーが企んだ様に日本人は気がつけば黄色人種だった)有色人種移民管理厳格化に黄色人種も巻き込む技。

あの時のキッシンジャーの種まきが花を咲かせたのだろうか?、、しかし世の中は「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う事実があちこちの工作からチラチラ透けて見え始めている。

sabato 17 maggio 2008

GUERRA DEL COLORE  カラー戦争(無言の主張)

PERICOLO GIALLO ?   危険なイエロー 

イエロー 

よからぬ言葉「黄禍」の再来か、死語になって欲しい古く嫌な言葉だ。イタリア語 Giallo はそれだけだと黄色、スリラー&ミステリーいわゆる刑事物や探偵小説、疑問や謎、不思議、神秘で分からない事と言う意味で、禍(わざわい)の意味は無い。

イエロードラマや黄色小説は花盛り、ニュースではアジア人の迷宮入り事件はGiallo del gialloなどと言って喜んでいた。

異常に多かったCMは電話ビジネス情報提供のイエローページ。

反面 TAXI組合が相談の上 湾岸戦争後に TAXI を黄色から白に変色し、観光の日本人は戸惑っていた。

反対陣営にいた人はチャンスがあるとこの色を悪用、例えば非常に悪辣なニュース映像に黄色のフィルターをわざとかけて強調したりした。

当時のTVニュース解説者や各分野の男性がつけたイエローネクタイのヴァリエーションもこんなに沢山のトーンがあったのかと面白かった。

戦争最後の時期にはゴールドネクタイ(米国ユダヤ金融大好き派)まで登場。

又ブルーのコートや背広の下はイエローを着る事(欧州に日本いても、いいよ派)が流行(注:1990年代)反面、土の下には欧州から日本追い出し工作の種もまかれ始めていた。
















Ministro Genscher da FDP      
              Giovanni Paolo II ( foto da La Repubblica )







左からLeo Gullotta 中央はPippo Franco右はメガネの Oreste Lionello

Leo Gullotta、 Pippo Francoと Oreste Lionelloはベテラン声優であり俳優。オレステ リオネッロの特技はせむしのアンドレオッティ役、そして湾岸危機の流れをそのままお笑い風刺コントにした番組では 軍服の袖の中から「日本製が好き」と言ってプラモデル戦車を出したり入れたりするサダム役や大金を持ち歩く小学生役で大人気。 勿論ブッシュ父役も出演しRAI UNOが放映した湾岸コントの傑作TVバラエティーショウ BIBERON. CREM CARAMEL等Bagaglinoのお笑い3芸人。


venerdì 16 maggio 2008

PUBBLICITA CARINA 可愛いい広報企画

1990年9月1日付Corriere della Sera よりベスト広報

時節は嵐の前、、そこにぽっと現れた全面広告ページに思わず微笑が、、 あまりもに可愛いくて、良い時、良い場所、良い内容 
広報技術の傑作をここで一緒に見ましょう。

「Disegnate il Giappone cosi come lo immmaginate 日本はこんな とイメージして絵をかいて」で、イタリア中の子供が応募してきた作品から数名を選んで日本に招待する企画発表と報告広告。広告と気がつかない工夫(VATICAN図書館にある天正遣欧使節の壁画写真とgesuita Valignani/oの話、日本を愛したデザイナーBruno Munariの記事、松下幸之助の哲学等Panasonicの功績記事も1頁内で分割配布)この企画の後編予告日も付いて完璧な広報術。
Paola Sabattini, Elena Bellagamba,Massimiliano Villa,Francesco Dell’Asta 1980年4月生まれの子供達4名が選ばれていた。

絵Paola Sabattini(住所 Gualdo Tadino di Perugia)日本の歴史話
「Un giorno L’Asia si innamoro dell’Oceano si spsarono e naque il Giappone」

「ある日 アジアは大海原に恋をしました 結婚して そして日本が生まれました」


こんなに可愛いい日本誕生話しは初めてで楽しかった。絵の中のサムライがこの日本誕生の語り部。

新聞下の頁には絵を送った子供全員の名前と住所がちゃんとでている。イタリアの子供の世界にとって日本は重要なので子供達の期待に答え、大切にしたい。



そういえばミラノのDuomo広場に立つとネオン広告はTechnicsなど日本企業も多く、それにCoca Colaもネオン広告出したかったが許可が下りず、「米国への人種差別だ〜」と抗議されていた。ミラネーゼは何故かきっと無言だろう、(嫌米ではない、、)この気持ちを分かってくれるのは多分、、

今はきれいさっぱり全てのネオンは消えた

giovedì 15 maggio 2008

SPIRITO GIORNALISTICO DI TERZANI ジャーナリスト魂

TIZIANO TERZANI ティツィアーノ テルツァーニ(1938-2004)

彼は日本や中国そして東南アジアを巡りそのレポートは常に好評だった。ヴェトナム戦争で本格的に書き始め、著書「In Asia」等、又日本人へ感動的な「手紙」(遺書)を書き残しています。「Lettere contro la guerra 」は彼のテロへの返答としても読み応えある。晩年癌の宣告を受け治療していたが、ある日全てを止めてヒマラヤの山奥で暮らし始め、その中で人生のハーモニーを見い出した様で、その姿はイタリア人らしく陽気な仙人の如く7年後に他界しました。

元気だった頃、湾岸危機(1990年8月2日)直前の彼の記事を読む。

1990年7月19日付 Corriere della Sera より

I BANDITI DEL GIAPPONE 2 INCHIESTA SUL FENOMENO DEL CRIMINE ORGANIZZATO E I SUOI INTRECCI CON OL MONDO POLITICO
Tokyo, la destra dietro ai gangster
Non c’è quasi differenza fra le cosche e I gruppi nazionalisti : sfilate con camion di ultra e gruppi di “Yakuza” –Malavitosi in tenuta paramilitare chiedono contributi alle azienda per la “ liberazione dei territori del Nord”-C’è chi li considera I nuovi samurai

Tiziano Terzani記者の半ページにわたる記事の内容は、1945年 米国は日本国占領時に戦争直後のどさくさでやくざの親分児玉を出獄させ彼を利用して社会主義者や共産主義者が主導したストライキなどを抑圧するのに子分達と関連した組織を作らせた。児玉は最終的に財政面でも面倒をみて今の自由民主党の母体を創設するのに力を貸した。 笹川もA級戦犯として 監獄にいたがGHQは対共産主義運動に組織活動する条件で彼を出獄をさせる。これらが米国が工作した一連のやくざの利用であり同時に右翼との繋がりが最初からあった訳で、今に始まった事では無いのを大きな赤尾敏の葬式写真(やくざらしき人々が撮れている)と共に説明している。(後日全文スキャンします)

この記事から彼が釜ヶ崎まで行って取材したのが確認できる。(余談だが記事内の赤尾敏の顔写真はMSI(通称ファシスト党=伊版愛国党)の党首Giorgio Almiranteに似ているのが面白い、思想が同じだと顔も似てくるのかな)米国は第二次世界大戦後の日本でのYAKUZAの活用工作をOSS後のCIAを通して操作した。

イタリアにも同じ様な作戦を使用している。1943年 米国はNew Yorkマフィアのボスの一人Lucky Luciano ( 本名Salvatore Lucania)をDannemoraの監獄から出して、南シチリアのGelaやLicata等からの連合軍上陸作戦を助ける下準備をする為に利用した。(ラッキールチアーノは上陸成功の功績を褒められ自由な身で1962年にナポリで心臓麻痺で死亡)更にひどいのは戦後ナポリ等にデトロイトのイタリアンマフィアの小ボスそれも50代とかの歳のいった、いわゆる「 INDESIDERABILI 」厄介者を600人も米国内から集め連行し解き放った作戦。これには戦争直後のイタリアでは防ぎようが無く、せっかくムッソリーニが追い払った犯罪者達は米国で泊を付けて舞い戻り活躍し始めた。

何故今イタリアがマフィアで困っているか、日本の人には理解出来るのではないだろうか。今のイタリア人にとってもこのテルツァーニの記事から日本が自分達と同じ運命を背負ったのを初めて知った。

運命に翻弄される二人はここでも同じ道を歩いているようだ。